7話 興人會

1950年 2月28日

陽本ようほん帝国 帝都 第一近衛軍病院



 

 人体実験。

 あまりにも直接的な表現に、西条は顔をしかめた。


 帝国に身命を捧げた軍人である自分たちが、成功するかも定かではない強化手術に臨むこととは話が違う。まだ自分の意志があるともいえないような子供を、国家のためとはいえそのような苦境に陥れることが許されるのかという思いは、その事実を聞かされて以来、西条の心の低層に延々と滞留していた。


 どのような技術も、誰かの犠牲の上に立っている。

 現在、強化手術の成功率は六割にまで達しているが、五年前の開戦初期には三割だった。それ以前──開発最初期の手術はそれ以下の生存率だったという。


 1930年代初頭、新ローマ帝国が世界各国に先んじて強化人間の実用化に成功し、大方の予想を裏切って大戦果をもたらした。これはローマが医学を含む科学技術の最先進国であったことと、開発当事者であったローマ帝国軍部が強化人間の実用性を固く信じて疑わなかったことによるものだった。


 だが、強化人間技術の進歩には擬蟲まがいむしの存在が不可欠である。

 擬蟲の生態を熟知し、その制御方法を学ばなくては、強制的に人間に寄生させることなど不可能だからだ。


 野生の擬蟲は個体数がきわめて少ない。

 不毛の地である北米大陸を中心とした同心円が広がるにつれてその生息数は少なくなるうえに、その大半が休眠しているか、人間以外の動物に寄生しているかのどちらかであることも、擬蟲の希少性を高める要因となっている。


 強化人間の大量生産には、まず擬蟲の大量確保が必要であることは、秘密でも何でもない公然の事実だ。だが現在、強化人間技術において他国に抜きんでているローマと陽本がいかにしてそれを実現しているかはまったくの未知だった。


 西条自身も、このような事態が起こらなければその真実を知ることなく軍役を終えていただろう。だが現実にそれは起こってしまった。


「小早川は、擬蟲の雌性は世界に二例しか見つかっていないと言いました。そのうち一例が豊臣天姫であるのならば、もう一例はすなわちローマに……?」


「その通りでおじゃる。ま、あちらはあちらで、ずいぶんと込み入った事情があったようであるがの」


 西条の心境は複雑だった。

 これまでこの事実を知らなかったこと、そして今知ってしまったことそれ自体はよい。軍事機密が不慮の露呈をしてしまったことの責任は自分にはないのだ。だが、知ってしまった事実の内容そのものが、西条の近衛としての誇りと、報国の志とにかげりをもたらしていた。




「さて、本題からずいぶん逸れてしまったの。あえて止めなんだが、時間も押しておる。ここは少し、麻呂の言葉に耳を傾けてほしいところでおじゃ」


「──申し訳ございません」


 西条が頭を下げる。遠離院卿は構わないというふうな仕草をして、真言へ目を向けた。


「大杉よ。そなたの身柄を一時近衛軍預かりとすることは、すでに麻呂の甥、副将軍秀信ひでのぶに話をつけておじゃる。あれも今、相当せわしない立場におるが、時機を見てそなたに話をすると言っておじゃったよ」


「秀信さまが……」


 将軍秀清の長男であり天姫の兄にあたる秀信は、将軍家の嫡流でありながら尊皇の気風が強い。豊臣家の実権拡張に余念がないために主上からの覚えがよろしくない実父よりも、公家の象徴のごとき容姿と立場をそなえた叔父の遠離院卿のことを父として慕っているような印象さえある人物だ。


 征夷大将軍が職務遂行困難な状況にある現在、将軍府の──ひいては帝国軍の指揮をとっているのは、嫡子にして副将軍である秀信のはずだ。せわしない立場、というのはそういう意味だろう。


「麻呂も含めて、それなりどころではない立場にある人間がこぞってそなたに会いに来るという意味、理解しておじゃるかな?」


「……それだけ、天姫さま奪還に用いる戦力として期待されているということでしょうか」


「左様。此度の蜂起は、より大きな乱のための第一段階に過ぎぬと麻呂は見ておじゃる。ましてや帝国最強の女武者まで敵に回っておるやもしれぬと来た。そこに振って湧いた擬蟲の自然宿主……そなたに期待をかけるのも無理からぬことじゃろう?」


「自分に、それだけの能力があるのでしょうか?」


「西条隊との交戦記録を見た限り、十分におじゃろう。寄生されて間もなく、身体の融合も完全でない状況で旧式とはいえ強化人間六体を殺し、その上で近衛軍の精鋭と互角に渡り合ってみせたのじゃからな」


 真言は、遠離院卿の言葉をそのままの意味で受け取ることはできなかった。

 いくら親豊臣といえど、遠離院卿は計り知れない人物だ。全体として動きが早すぎるのも奇妙に感じられる。何かを隠しているのは間違いがないし、何か想像もつかないことを考えていてもおかしくはない。


 西条を見やる。自身と同じく、何かに疑念を感じている顔をしている。その何かが実際になんであるのかわかっていないところも、おそらく同様だろう。


 真言の内心を見抜いてか否か、遠離院卿は変わらず飄々とした様子で一枚の紙を差し出した。


「さて、これを見ておじゃれ」


「……『決起書』ですか」


 叛乱軍によって書かれたと思しきそれには、およそ一般の国民に理解しうるものではない難解かつ古風な文体と語調で、滔々とうとうと現在の体制がいかに悪辣であるかという主張と、自らの行為の正統性が述べられていた。


「……『然るに頃来けいらい、遂に不逞凶悪の続出して私心我欲をほしいままにし、至尊しそん絶対の尊厳を藐視びょうし僭上せんじょうれ働き、万民の生成化育を阻害して塗炭の痛苦を呻吟しんぎんせしめ、したがって外侮がいぶ外患、日をうて激化す。豊臣、石田、遠離院等はこの国体破壊の元凶なり』……」


 真言が読み進めるにつれてどんどんと不機嫌な面持ちになっていく西条を尻目に、小早川は笑いをこらえるような仕草をしていた。最後まで読み切るころには、真言自身もややげんなりとしているようだった。


「鎮圧された叛乱軍から押収したものでおじゃるが……どう思うた?」


「典型的な過激派青年将校のひつに見えます。理想と熱意だけが先行していて、およそ実現性がない。これを書いた者が誰であれ、先の叛乱を計画した者とは別人でしょう」


 遠離院卿は満足げに頷いた。


「うむ。叛乱を主導したのは、『興人會』。主に帝国軍の反豊臣派と、一部の過激な反強化人間派からなる組織でおじゃる。首魁しゅかいの名は……秋吉亮二あきよしりょうじ陸軍大佐。生体科学技術研究所の研究にも深く関わっておった人物じゃ。小早川もよく知っておじゃろう?」


 突然話を振られた小早川はびくりと動いたが、すぐに早口で話し始めた。


「え、あ、はい。秋吉大佐ですね……強化人間技術者の間では有名人ですよ。零戦れいせん以降の強化人間にはほぼすべて関わっていらっしゃいます。小官も何度かお会いする機会がありましたが、博覧強記とはまさにあの人のことでした。尊敬して……まし……ます」


 叛乱軍の首魁に対する評価とは思えぬ言いぐさだったが、そこには技術者としての純粋な敬意が感じられた。最後のくだりで西条に睨まれた小早川は、一度言い直しかけたが結局言い切った。態度によらず意外と芯の通った女なのか、と真言はやや見直した。


「ほ。まあそういうわけでの。先の叛乱が起こるまで近衛軍はもちろん情報局にさえまったく警戒されておじゃらんかった男じゃ。終戦までは生化研に所属しておったが、以後は帝国軍再編の都合もあって各地を転々としておった」


「そのような経歴の男が、『反強化人間派』をまとめているのですか? いささか……いや、明らかに妙に感じますが」


「『反強化人間派』にもいろいろおじゃる。かつて機械化人間技術を推進しようとして豊臣に潰された派閥やら、強化人間の存在は士道にもとるとか言っておる国粋主義派やら、挙句の果てには擬蟲は神州陽之本ひのもとを穢す邪道の力であるとか言い出す連中まで……」


 遠離院卿は嘆息した。

 先の大戦で強化人間が実戦投入され、莫大な成果をもたらすまでは、その実用性と非人道性が問題視されることもあった。そんなものを用いずとも、坂之上卿が戦場に出れば済む話ではないか、という他力本願きわまりない意見さえあったが、それらはいずれも豊臣家によって封殺されたのだった。


 真言にとっては、誰がどんな主張を唱えようが知ったことではない。主君たる天姫の意志こそが己の行くべき道であり、そこに武士道があると信じているからだ。


 だからこそ、その天姫を害そうというあらゆる試みに対してまず自分が立ち向かわなければならないのだ。


「秋吉めはそういう頭のよろしからん連中を巧みに操ってを起こさせ、自らの目的である天姫の奪取に利用した、というのが情報局の見解でおじゃる」


「……つまり、今回の叛乱は、はじめから天姫さまが目的で引き起こされたものであると?」


「それで間違いないでおじゃろう。現に、あの日はそなたら将軍警護隊によって天姫が護送される当日じゃった。天姫を狙う以外に、あえてあの日にことを起こす理由はなかろう」


「秋吉と天姫さまは、今どこに」


「秋吉めは蜂起の前日に部下とともに行方をくらましておる。生化研の研究員も複数名その中におった。情報局は血眼になって捜索しておるが、なかなかどうして用意周到な男のようでな。いまだ居場所が知れぬ」


「鎮圧した叛乱軍から聞き出せぬのですか?」


「期待は持てぬのう。さきほど言った通り、叛乱軍の大半は烏合うごうよ。義心にかられた過激派が、そうとは知らずに秋吉めに利用されておったのじゃ。興人會という組織は上と下がはっきり分かれておじゃる。そして下の方は何も知らぬし、上の方は捕らえられるよりも死を選びよるからの」


「それでも多少の情報は……」


「軍務省からの横槍が入ってな。拘束した叛乱軍将校の身柄は帝国軍の管轄ということにされてしまったのでおじゃる」


 遠離院卿は平然として言ったが、それを聞いた西条が苦い表情で目をつむるのが見えた。やはりか、という思いが真言の内心に生じる。


 軍務大臣である西条高尚さいじょうたかなお卿と近衛大将である遠離院卿の犬猿ぶりは、近衛府と将軍府の対立を象徴するものだ。


 将軍府に属することは、必ずしも豊臣閥──すなわち旧幕府閥──であることを意味しない。西条軍務大臣はその好例で、将軍秀清公に対しても反対的な立場をとっている人物だ。


 事態がこの期に及んでも派閥争いか。真言は内心でそうつぶやいた。先の戦勝以降、その気風が高まっているのは感じていたが、ここまでとは想像もつかなかった。


「そもそも、なぜ秋吉は天姫さまを狙ったのです?」


 真言の口調には、混沌とした状況そのものへの憤怒がにじんでいた。それに秋吉への殺意も。主君を拐取した張本人であり、部下たちの仇でもある男なのだ。怒りが内心の海をふつふつと沸き立たせる。


「はて、意外と義心からやもしれんな。ほれ、あるじゃろう、囚われの姫を……」


「あなたほどのお方が知らぬはずはありますまい!」


 茶化すかのような言い方に、真言は声を荒らげた。とっさに西条が割って入ろうとする。


「──大杉!」


「よい。麻呂に非がある」


 遠離院卿はいつになく真剣な面持ちに変わり、まっすぐ真言を見据えた。


「ひとつ確かに言えるのは、秋吉めの手中に天姫をとどめておいてはならぬということ。そしてそれはそなたの望みでもあろう」


 演出過剰な公家言葉を使うことなく、遠離院卿は言った。


「遠からず叛徒殲滅のための作戦に勅許が下る。そなたの力も必要になろう。それまでに、なんとしても擬蟲の力を手懐けておけ」


「……天姫さまはなんとしてでもお救いします。そのために必要であるなら、今は納得しましょう」


「ならばよい。ではの……西条、小早川、追って連絡する。別命あるまでは今の任務を続行せよ」


「「はっ!」」


 

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