ロリババアとタイムリープに関する興味深い報告

中森たて

Article 01

#0「バックグラウンド」

 誰しも一度くらいはタイムトラベルに憧れたことがあるんじゃないだろうか。

 バックトゥーザフューチャーやターミネーターなんかのハリウッド映画に代表されるような、未来に行ったり過去に行ったりして、冒険したりサスペンスしたり、時には未来を変えてしまったりするようなお話だ。

 何が面白いかって?

 そりゃ、純粋にわくわくするだろ?

 時計の針は止まらない、元には戻せないというのが俺たちの常識なんだ。一度やらかした失敗はやり直しきかないし、先のことなんて誰にもわからない。だから、タイムトラベルは魅力的なんだと俺は思う。

 タイムマシンに乗って、古代や近未来を冒険するのもいいだろう。過去に戻って未来を変えるっていうのも定番だよな。逆に、未来人がやってきて、破滅に向かう未来を救うっていうのも熱い展開だ。

 実はかく言う俺もそんな、タイムトラベルをテーマにした映画や漫画、アニメ、ゲームに夢中になった時期があった。漫画、アニメはもちろん、有名なタイトルは片っ端から見てやったし、映画とか海外ドラマの名作も見まくっていた。

 そんなオタク的高校生活を送っていたら、大学受験がやってきた。そこで俺は特に深く考えもせずに、趣味の延長線上で、タイムマシンの研究ができそうな大学の物理科を選んだんだ。よし、いっちょ、タイムマシンでも作ってやるか! ……と。

でも、今にして思えば、これがケチのつけ始めだったように思う。

大学に合格して授業が始まって、そこで俺を待ち構えていたのは、お堅い学問という、しょっぱすぎる現実だった。

 日々、講義で目にするのは数式の嵐だ。

 これは数学なのか? もしや、ギリシャ語なのか?

 黒板に書きなぐられる板書は記号だらけで、もはや物理の授業とさえ思えない。

 教授の説明は念仏のように眠気を誘ってきて、ひたすらノートを取ってはみるが、後から見返しても何を意味するのかさっぱりわからない。

 実験なんていうのも、まったくもって楽しいもんじゃなかった。ポンコツ実験装置をどうにかこうにかガチャプレイして、深夜までかかってレポートをまとめたら、教授からは、小学生の自由研究ですかと激励が返ってくる。

 まったくもって、つまらねえ……というか、辛すぎる学生生活だ。

 俺が期待していたような、鬼気迫るマッドサイエンティストたちのタイムトラベル論争や、事故ったら地図が書き換わりそうな、危険と隣りあわせの大規模加速器実験はどこにもなくて、あるのはただ、地味でぼろい講義室と、ケミカル臭のする実験室だった。

 何やら、俺が壮大な詐欺にあった気分になったことは言うまでもないだろう。

 とはいえ、これは当たり前といえば当たり前の落ちだったんだ。

 タイムトラベルは21世紀を過ぎても相変わらずファンタジーのようで、本気で研究している研究者なんてごく一部の天才だけで、そもそも、大半の物理学者というのはタイムトラベルに興味すらなくて、タイムトラベルに関係ありそうな講義が開かれるはずもなかった。

 中にはタイムトラベルに関係ありそうな研究室もあったりするが、例えば人気どころの加速器や宇宙線、電波天文学に携わるためには、激しい競争の中、6年や9年という長さで努力し続ける必要がある。俺なんかじゃ、とても適いそうにない。

 すっかり、学業へのモチベーションが冷めてしまった俺は、なんとか授業には出ていたが、予習も復習もしなくなり、徐々に授業についていけなくなった。

 人なみにバイトやらサークルやらに顔を出し、キャンパスライフを謳歌していると、ぽろぽろと、単位を取りこぼし始め、それでもまあ何とかなるさと、なーなーに時を過ごし、のんのんと年をとり、そしたらあっという間に……大学に入って4回目の春休みを迎えてしまっていた。



「それで君、本当に卒業する気、あるの?」

「ああ……はい、あります……もちろんです……はい」

 とある大学のとある研究棟の、とある研究室でのこと。

 1対1の重苦しい空気の中、俺は背もたれのない椅子に座らされ、まるで取り調べでも受けているかのように尋問させられていた。

「そうは見えないよね……」

 対峙するは、我がクラスの進路担当、古河教授、御年46歳。

 教授は険しい視線で液晶モニターに表示された数字を睨みつけている。

 映っているのは俺の単位取得状況。これを見る限り、2回目の3年生を経ても、4年への進級が危ぶまれる状況なのだ。

「それで就活の方はどうなっているの?」

「えっと……説明会は一応、出ているんですけれど、今年は卒業に集中しようかなと思って……」

「へえ、あそう。卒業できたとして、来年は?」

「できれば、ここの大学院に進みたいなって……」

「は? 驚いたよ。君、勉強嫌いな人だと思っていた。あと2年もここで勉強したいんだ?」

「あ、いえ、えっと……院に入ってから、しっかり就活しようかなって……」

 教授が操作するマウスポインタがピタリと止んだ。モニターから俺の方に向き直って、血走った視線で射貫いてくる。

「大学院は就活しに来る所じゃないんだよ。わざわざ、後2年も嫌いな勉強することないでしょ? 卒業するまでに景気が悪くなったら損をするのはそっちだよ?」

「ああ、はい、おっしゃるとおりです…………はい」

「まあ、君の場合、あと3年で済めばいい所だけどね」

 教授は深いため息をつくと、パソコンのモニターに視線を戻す。

いやーな沈黙による精神攻撃……。

 あー、もう帰りたい! やる気がないなら出ていけ、と言われたら、はい、やる気がないから、出て行きます! って、言ってやりたい気分だぜ!

でも、そんなこと、出来るわけないだろ? ここで諦めたら試合終了じゃねーよ、人生終了だよ。就活しようにも、卒業確定させなきゃ、内定なんてとれるわけねーじゃねーか。ニートまっしぐらじゃねーか!

 その後も、お説教と沈黙が続いた。

 あーもう、早く終わってくれよと、耐えがたきを耐えていると……。

「……というわけでね、あまり気は進まないけど、このまま大学に長居されても困るから、君が今年こそ心を入れ替えて勉強するっていうなら、他の先生にも頼んで進級させるのも手だと考えているんだよ」

「はい、すみません……って、はい?」

 教授は不満げに顔をしかめながらも無言の肯定を示す。これは暗雲立ち込める俺の人生に一筋の光が差し込んだ瞬間だった。

「で、どうなの? やる気あるの?」

「あっ、は、はいっ! もちろん、ありますっ、はいっ!」

「そう。じゃ、とりあえず、この論文を読んでレポートを提出して。来週まで」

 ドスンと、効果音付きで手渡されたのは、A4用紙の束、暑さにして2センチくらいはありそうだった。軽くめくってみると、全て、英文と数式でびっしり埋まっている。

「えっ……来週まで? 春休みなのに?」

 はは、ご冗談でしょうファインマンさん、という感じで聞き返してしまうと、教授は恫喝に近似できそうな睨みを返してきた。

 お説教のおかわりかと恐れおののいたが、その時、ドアをたたくノック音がした。どうやら、次の面談の学生が外で待っているらしい。後がつっかえてはいけないと、その日の面談はそれで終了することになった。



 ふう……恐ろしい圧迫面接だったな。

 寿命が10時間くらい持ってかれた気がするぞ。

 まあ、笑ってくれよ。これが俺こと、鹿島典明(かしま のりあき)、大学3年生(二週目)の現実さ。憧れの大学に入ったのはいいものの、留年して教授にドヤされているクソみたいな学生生活だ。まったくもう、どうしてこうなった?

 来週までにレポートを提出しろとこの事だが、まいったな。一人で出来る気がしない。誰か助っ人を雇いたいところだが、同期の半数は最後の春休みを満喫中だ。

 頭を抱えつつ、重たい足取りで、一階のエントランスを歩いていると、階段から一人の足音がして振り向くと声をかけられた。

「よお、鹿島」

「おう、下妻か」

 見飽きた顔だな。無精ひげをはやし、近寄りがたい、ニヒルな笑みを浮かべている。一歩間違えればチンピラそのものだが、ジャケットの中に着混んでいるTシャツには女児向けアニメのキャラクターがプリントされているから、ゆるぎないオタクだと判断できた。

 彼の名は下妻数実という。同期かつ同学年の、数学科の友人だ。つまり俺と同じ留年生だ。

 春休みなのに下妻が研究棟にいるのは珍しい。奴がここにいる理由が一つしか思い浮かばないので、こう訊ねてやった。

「お前もか、下妻よ」

「おうよ、鹿島。今、先公と人生相談やりあってきたところだぜ。来年、また頑張りましょうね、だってさ……ははっ、うけるっ!」

 全く面白くない話だが、下妻はさぞ面白おかしそうに笑いだした。

「おいおい、笑っている場合なのかよ?」

「なんてことねえよ。大学は8年いられるんだぜ?」

 後4年も大学にいる気なのだろうか。仮に8年で卒業できたとしても、まともな就職はできないだろう。

「構いやしないって。どうせ学歴なんてへの役にしか立たない時代なんだ。だったら学生生活フルで楽しんだ方がお得ってもんよ」

 不安げな様子は全く感じない。本気で言っているようだからあきれたものだ。

「そういう、お前はどうだったんだよ?」

「ああ、俺か? うーん……とりあえず、進級はできそうな感じだった」

「おおっ、やったじゃん! よし、今日は祝杯だな!」

「いや、待ってくれ、早まるなって。課題をどっさり出されちまったんだよ」

「そうか……よし! じゃあ、俺ともう一年ダブろう……今日は残念会だ!」

「どっちにしろ、お前は飲みたいだけなんだな」

「ちげーよ。いいお宝に入れたんだよ。鹿島、最近忙しいって、全然遊んでくれなかっただろ? 見ないでとっといたんだぜ? 一緒にみようぜ?」

「うーん、でもなー……」

 お宝、というのは多分、可愛い女の子がいっぱい出てくる漫画かアニメの円盤だと思う。下妻は定期的にこうやって怪しげな鑑賞会に誘ってくる。

「いいか、こいつは規制の緩い時代に作られた、今じゃ完全に配信不可能なロリ美少女アニメだ。謎の煙も消えて、見えちゃいけない部分も見れちゃう製品版仕様。見ておかないと、歯ぎしりしたくなるほど後悔するぜ?」

 こらこら、往来でその手の話題を平然とするな。

「なんだよ、つれないなー」

「そういう気分じゃないんだよ」

「そういう気分じゃないから、そういう気分にさせるものを見るんだろ? 楽しみがないと課題もはかどらないぜ?」

 下妻の言葉は悪魔のささやきそのものだった。これを跳ねのける心強さがあれば、俺は今こんなところで2流に王手をかけてなんていないだろう。お宝になんぞ全く興味はないが、一杯吹っ掛けないとやっていられない気分なのだ。

「ああ、もう、分かったよ。俺んち来いって」

「よしっ! 決まりだな。今晩、バイトが終わったら、酒と一緒に持って行くからな。ツマミグイしないで待っとけよ!」

 下卑た笑い声を立てて、俺の肩を乱暴に叩く。まったく、悪友とはこいつのことだな。俺の落とした単位の半分はこいつと遊んだ時間でできているんじゃないだろうか。

 下妻とは出会いは約4年前、入学して間もないころ、読書系サークルの新入生歓迎会だったと記憶している。

 歓迎会の夜、乾杯し、先輩方の自己紹介が終わり、次に、新入生が一人一人、自己紹介が求められ、下妻の順番が回ってきたとき、奴は伝説級の演説を行ってくれた。

「俺は小学生女児が大好き! 愛読書はロリータ! 小学5年生じゃ年食い過ぎ、小学2年生じゃガキすぎ、つまり、小学3年生、9歳6カ月くらいがストライク! ロリ巨乳? ロリババア? ナンセンス! ツルペタ、パイ〇ンこそ王道だろぉ! 小学生女児、マジ天使! 最高!」

と、奴は何やらラップ調ともとれる饒舌さで自己紹介をぶっちゃけてくれた。

 酔いが回って輪郭がぼやけ始めた空気の中、奴の発言によって急に潮が引いたみたいに静かになったのを俺は今でも鮮明に覚えている。芥川や太宰を崇拝するような連中の前で、奴の発言は場違いも甚だしかったし、何より下ネタに全く免疫のなさそうな新入生女子たちが、悲鳴を飲み込んで犯罪者を見るような目で下妻を射抜いていた。人間失格は誰だろう……それは下妻、お前だよと。

 下妻はさすがにひんしゅくを買いまくって、そのサークルをやんわり追放された。俺と下妻は学部も一緒だったので講義室で顔を合わせ、この話題をネタに、ちょくちょく会話を重ねるようになった。趣味の会話もよくするようになった。

 なに? お前もロリコンなのかって?

 いや、断じて違う。下妻はロリコン的コンテンツが大好物だが、同時に、俺の好きだったタイムトラベル物の映画やアニメばかりか、小説までをすっかり網羅していたんだ。話せば博識さはかなりのもので、俺よりくわしい所も多々あった。

 奴は本物のオタクなんだ。本物のオタクって言うのは、自分の狭いストライクゾーンだけじゃなくて、広く食欲旺盛な雑食性でもあるんだ。知識と教養の深さには感服するね。

 意気投合してからは、学科は違っても一緒にメシ食いに行ったり、アパートで映画やアニメを見たりして、やがて奴のゴリ押ししてくるエロゲやら萌え系アニメやらアニメやらを見させられ、俺は段々と美少女オタク趣味もまったく抵抗のない頭に改造されてしまっていた。

 ああ、俺も奴の被害者なんだ!

 自ら進んで道を踏み外したわけじゃない!

 信じてくれ! ……みたいな感じ。

 以上、回想終了……。



 なんやかんやと下妻と世間話をしていると、すっかり時計の針は12時に差し掛かっていた。奴はそろそろバイトの準備をしなきゃいけなと、話を切り上げて、陽気に鼻歌でも歌いそうな勢いで研究棟を去って行った。

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