オルとレニ

群無羊一

第1話

「うわア~遅刻遅刻~!」

朝のホームルーム中、明るい声と共に、教室の後ろのドアから勢い良く飛び込んで来たのはレニ。

目を見張るような緩くウェーブのかかった尻より長い髪と、紅潮したヒレのようになっている耳が目に入る。遅れて、魚の胴体より尾側を取って付けたような尾がついてくる。

慌ただしさと彼のキャラクターが相俟ってクラス中が優しい笑いに包まれる。

そんな中。担任の先生も笑う。

「はい、ギリギリセーフ」

彼もまたレニを愛しているのだ。遅刻のチャイムなど、とうに鳴っていた。

窓際から2列目、最後尾がレニの席。その隣、最も窓際の最後尾がオルの席。ゆったりと細く筋肉質な尻尾をくゆらせ、いつものように癖のない長髪を尻に敷いて椅子に座っている。

「何してんだか」

オルの呟きはクラス中の喧騒に掻き消されそうな程密やかなものだった。特別声を抑えていた訳ではなく、これが彼の普通なのである。

呑気にこめかみの左右から生えた少し歪んだ角で器用に背中を掻くオル。その姿は草食動物を思わせた。

「今日だけは俺を待っていなくて正解だったよ、オルくんっ」

軽く息が弾んでいるレニはそう早口に言い、さっと席に座った。

「今日だけは、な」

オルはちらりと横目にレニを見て細かな鱗をぴったりと寝かせた尻尾を左右に警戒するように振った。

この尻尾というのが『異種(人間に似てはいるが人間ではない種族)』の気持ちをはっきりと反映させるものであり、特にオルは表情に乏しい分、尻尾での感情表現を好んだ(というか、本心が尻尾に自然と現れてしまうのである)。

尖った爪を持て余したように、それらが煩わしそうに、オルは教科書とノートを傷付けないよう慎重に机の下から引っ張り出した。机の上に引っ張り出して小さく嘆息をつく。

「ねえ、オルくん」

そんな姿を見兼ねてかレニが声を掛けてくる。

「ん」

低く短く返事をするオル。

「あのさー……今日放課後、暇してたりしない?」

レニのその言葉を聞いた途端、椅子の背もたれに仰け反り、長い髪の残りを中空に垂らしながら、

「次は何だ。そんなに僕と放課後デートがしたいか」

と低く唸るような声で文句を言った。レニがオルをこうして"デート"に誘うようになって3日になる。彼が文句を言うのも頷ける。

「あー、えっとね。ペンが欲しくて。サーモンピンクの」

こうして春からクラスメートになって数ヶ月。あくまでオルにとってレニはただの"クラスメート"だった。デートに誘われるだなんて思ってもみないことだった訳だ。

「サーモンピンク」

まるで阿呆にでもなってしまったかのように見事なオウム返しをしてしまうオル。姿勢を直す。

「そそ、ノート取る時絶対使う色でさ」

レニはそう言うなり、己の書いているノートを見開き、オルに見せ付けた。全てが色付きのペンで書かれていて何処が本当に大事な箇所なのかさっぱり分からない非常にけばけばしいノートだった。

「……それで、サーモンピンク……」

オルの呟きはレニには届かず虚しく空中分解した。

「取り敢えず、無いと困る色なんだよ!俺が!」

レニの叫びはクラス中に木霊し、ほぼ全員が振り返った。

視線、そして静寂。

「わ、分かったから。そのペンは何処に売ってるんだ?」

オルが折れた。レニは満面の笑み。

「近場の本屋さん。そう手間は掛けないから」

レニは上機嫌にそう言うと、雑に教科書を机上に叩き出す。文字通り。

オルはまた小さく溜め息をついた。




長い授業が終わり、放課後。

太陽はまだ高い位置にあるが、確かに翳りが見え始める時間帯だ。

レニは財布を開いて中身を確認している。まさか、とオルは思う。

「大丈夫。ちゃんとお金はあるから」

レニが言い、オルに笑顔を向ける。思ったことが口をついて出てしまったかと思った。にわか、オルの尻尾の鱗がざわっと反応する。

「ん?どしたん?行こ?」

小首を傾げ、レニはオルの手を取ろうとする。オルはその手を反射的に指の背側で払い除けてしまう。

「あ……」

レニの声が漏れた。オルはぱっとレニの脇を通り抜けて先に歩いて行ってしまう。微妙な間が開く。

「ちょ、待ってよ!」

レニは少し迷ったが、オルを追いかけることにした。


「ね、さっきはごめん」

昇降口でレニがオルに追い付いてその背に言葉を投げかける。オルがふと立ち止まる。

「多分だけど、その爪で俺に怪我させたくなかったんだよね?」

オルの尻尾が頷くようにこくんと動く。

「オマエの皮膚、薄そうで僕なんかが触れたら簡単に壊れてしまいそうで──」

言ってオルはレニに向き直る。視線は合わない。

「俺、そんなヤワじゃないよ。……あ、このヤワって柔らかいって意味じゃなくて、言葉のアヤで……」

「ぷ」

レニの言葉の途中で破裂音がした。レニは聞き間違いかとしばらく黙ってしまう。でも確かにその目で見た。オルが矯正器具を付けたギザギザの牙をちらと見せて笑っていた。いつも無表情で感情を露わにすることがほとんどないオルが。

「それくらい、分かる」

オルは言って尻尾で「行こうぜ」と誘った。


書店の帰り道、「俺こっち」「僕こっち」が発生し、別れることにした。

「今日もほんとにありがとー。1人だとそんなに楽しくない買い物も誰かと一緒だと楽しいよね」

レニがオルに言う。

間が開く。

「……ま、まあ、悪くは、ない……のか?」

オルがしどろもどろになって問うてくる。

「うん、悪くないと思うよ!今度もし買い物行きたくなったら声掛けてよ。俺、付き合うから」

また間。

オルは答えあぐねているように見えた。

「あ、無理にとは言わないけど!」

陽が沈んで仄暗くなりつつある路地で2人立ちすくんでしまう。

「えっと、じゃア、また明日ね」

レニが気まずさに耐えかねて別れの挨拶を切りだした。

小さく頷くオル。

「またね」

くるりと自宅の方へ歩き出すレニの背中をオルは見えなくなるまで見送っていた。



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