第13話 流される人、芯のある人

 翌日


 教室に入った瞬間、空気が変わっていた。


 ざわざわと話すクラスメイト達の間に、見えない線が引かれている。

 その境界線の外側に、海ちゃんはいた。


 彼女の席の周囲には誰も近づかない。話しかける子もいない。

 たまに向けられる視線は、冷ややかで、興味本位で、怖いもの見たさのそれだった。


(昨日のこと、もう、広まってるんだ)


 きっと、あのアプリを使って確認した人も多かったのだろう。


 海ちゃんの評価、AIによるレッテル張り。

 たったひとつの出来事が、すべてを変えてしまった。


 彼女は静かに座っている。

 口を閉じたまま、誰とも目を合わせず、ただ時間が過ぎるのを待っているように見えた。


(まるで、透明人間みたい……)


 それでも、誰もおかしいとは言わない。教師でさえも、何も触れない。

 むしろ、評価が「要指導」なら仕方ないという、黙認の空気すら感じた。


「ねえ、昨日のあれ、やばかったよね」


「うん、あの子、ちょっと異常じゃない? 倒れるとか普通そんなにないし」


「モブ美ちゃんも、夜凪さんの影響でAI評価が下がっちゃったらしいよ」


「やっぱり、要指導の子とは関わらないに限るよね~」


 クラスの一角でささやかれる声が、私の耳に入る。


(違う、海ちゃんはそんな子じゃないのに……)


 心の中で何度も否定する。けれど、私は行動する勇気がなかった。

 AI評価や、皆の行動に逆らう勇気が。


 クラス中で皆が、ひそひそとスマホを見せ合っている。

 そこには、確定したAI評価が映っているのだろう。


(あんなの、ただの数字なのに。人の心を、数値で決めつけるなんて……)


 だけど、その「数字」が、この学校では絶対の正義だった。


 AI評価は公平で、中立で、ミスをしないと信じられている。

 誰も疑わない。たとえ、そのせいで誰かが傷ついても。


「おはよ、あかり」


 声をかけてくれた子に、私は笑顔を作って返す。

 だけど、その笑顔のまま、私は海ちゃんの方を見ないようにしていた。


(私も、逃げてる)


(一緒にいることで、自分の評価まで落ちるかもしれない)


 さっき、海ちゃんの陰口を言っていた人達と同じ考えが、ほんの少しでも頭をよぎった自分が情けない。


(最低だ、私……)


 これまであれほど『AIに監視されるのはおかしい、AIに評価されるなんて嫌』って叫んでたのに。

 今、私は何も言えず、ただ流されるままになっている。


 ふと、海ちゃんの方を見た。


 彼女はじっと、机の上の手を見つめていた。

 その手は、どこにも伸ばされず、ただそこにあるだけだった。


(海ちゃん。ごめんなさい)


 そんな中。


「おはよう、夜凪さん」


 声が響いた。


 坂本くんだった。彼は海ちゃんに、ごく自然に挨拶をした。

 昨日と何も変わらない声色で、何も変わらない態度だった。


 海ちゃんは少しだけ顔を上げ、困ったように、けれど確かにうなずいた。


 そのやりとりに、私は、ハッとした。


(どうして、坂本くんは変わらないの?)


 クラス中が空気を読んで、距離を取っているのに。彼だけは、いつもと同じように話しかけている。


(どうして? 怖くないの?)




 放課後、私は勇気を出して、坂本くんに声をかけた。


「ねえ、なんで、坂本くんは、海ちゃんに普通に接してるの?」


 彼は少し首を傾げて、私を見る。


「普通っていうか、別に、昨日何があっても、夜凪さんは夜凪さんでしょ?」


「でも、クラスの雰囲気とか、AIの評価とか、いろいろ、気にならないの?」


 私の問いに、坂本くんは少しだけ目を細めた。そして、静かに口を開いた。


「僕は僕だよ。誰と一緒にいようが変わらない。

 それに湊さんは、ただの他人の評価にそこまで影響されるのか?」


「え……」


「湊さんは夜凪さんと仲良しだと思ってたけど、所詮そんなもんなんだね。湊さんは芯のある子だと思ってたのに、残念だな」


 淡々としたその言葉は、けれど私の胸の奥に、鋭く突き刺さった。


 思い返す。


 最近、私は監視社会にも、AIの評価にも何となく慣れて、漠然と生活していた。


 海ちゃんとファミレスに行ったり、コンテストを見に行ったりして、監視社会でも確かに楽しく生きていたんだ。


 だけど。


 ほんの一日で、私は怖くなった。

 周りに合わせ、空気を読み、正しいことを言う勇気をなくしていた。

 他人の目を恐れ、海ちゃんに声をかけることすら避けていた。


(私も、無意識にAIによる評価社会に飲み込まれてたんだ)


 静かに、だけど確かな後悔が、胸に広がっていく。

 私が信じたかった「自分らしさ」は、たった一日で崩れてしまった。


 だけど、坂本くんは違った。彼は、「自分は自分」だと言った。


 誰かの評価に左右されず、空気にも染まらず、正しいと思うことを、ただ静かに貫いていた。


(私も変わりたい)


 沈黙を選ぶ自分じゃなくて、

 怖がって目をそらすんじゃなくて、

 ちゃんと見て、ちゃんと向き合って、

 自分の言葉で、大切なものを守れるように。


 そう、思った。


(変わろう、私)


 自分の手を、胸の前でぎゅっと握る。

 坂本くんの言葉が、ずっと耳の奥で響いていた。


(私は芯のある人間になりたい)


 そして、あの海ちゃんの手を、もう一度ちゃんと、握りたいと思った。

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