第8話 川

 探偵に助けを求めに来た人を助けるために、別の探偵を雇う。そのアイディアを握りしめ、ふたりは動き出した。

 しかし、予定というのは、脆くも崩れ去るということが、しばしば起こる。

 河川敷の橋の下にいたふたりが、橋の下から抜け出し、探偵のいるパサージュへ向かおうとした決めた直後だった。

「あ」

 と、マキノがいった。

 孫の視線の先には、川の向こう岸に並んで停泊して船があった。それらは住居用の船だったり、小さなレストランだったりする。漁船だけはない。

「マキノさん」ミズメが顔をのぞきこむようにして問いかけた。

 彼女の名を呼ばれ、意識を取り戻し、ただし顔がちかい、と、思って、正気を失ったのか、マキノは、大ききのけぞり、バランスを崩し、後ろへ倒れかけたものの、なんとか両足をかっこわるく踏ん張って、倒れるのは回避した。

 おおげさな。いいか、もしも、老体でそういう動きをすると、かんたんに、ケガとかするんだぞ、孫よ。

 ミズメは奇怪な動きとなったマキノを前にして「え、だいじょうぶですか、いまの」と問いかける。

「だっ………だいじょうぶです」と、マキノは一瞬で切れた息の合間から回答する。「おれじゃなきゃ、たぶん、倒れていたところです」

 わけのわからないセリフを添えてしまった感じから察するに、真実、あぶないところだったのだろう。

 気をつけろよ、マキノ。急な動きもそうだが、老人がわけのわからないセリフを言うと、それはそれで、べつの、種類の疑いが。

 まあ、それはおいといて。

 本題はどうなっている。

 マキノは川の向こうに浮かんだ一艘の船を指さしている。

「あの船」

「はい」ミズメは返事しつつ、示された方向へ視線を向ける。むろん、両手を胸の前で合わせたお祈りのポーズは継続中だった。「あの船ですか?」

「赤い、ラインの入ったあの船」

「ああ、あっちの船ですね」

「ニッパーがある」

「ニッパー」マキノの発言を聞き、ミズメが見返す。「ニッパーですか」

「はい、でかいニッパーがある」

 なんとまあ。どれどれ。

 なんと、二人がいる河川敷の反対側に停泊している船の一艘に、たしかに巨大なニッパーがある。ぱっと見は、住居用の船だった。前にもいったが川の浮かぶ住居用の船は、この街では並の賃貸力より、賃貸料金が高い。ちょっとした富裕層が暮らすのが、川の船だった。

 むかしはそういうことはなかったが。いやいや、むかし話の多発は、自重して、だ。

 向こう岸の船のデッキに、巨大なニッパーが置いてあった。船の修理道具のひとつか何かだろうか。おそるべき、偶然だった。しかし、わたしも生きているころ、さてはれ、どこかにニッパーが無いかあ、と思いながら生きた経験はないし、目に入っていなかっただけで、じつは巨大ニッパーは、つねに暮らしのそばにあったのかもしれない。

 でもな、あれはニッパーではないぞ、孫よ。

 大型のワイヤーカッターだ。鎖とかを、がしがし切る道具だ。

 それが向かいの船のデッキにある。

 マキノは「あの船の人にアレをかりましょう」と、いった。「お願いすれば、かしてくれますよ」

 根拠なくレンタル可能だと言い切る。

 ミズメの方は冷静だった。「かしてください、とお願いしたら、ヘンな感じになってしまわないでしょうか」

「ああ、なるかも………」指摘されると、マキノはモロにくらって、勢いがすべて吹き飛ばされた。脆弱だった。「じゃあ、ええっと………、なんとか、未成年の立場とかを利用して…………」

 やめろ、孫よ。そういう発想から出発するのは、やめろ。

「お願いして来ます、わたし」

 マキノが意志をふらふらさせている間に、彼女はその意志を決めた。

「あ、あ、あ、もちろん、おれも一緒に行きます!」

「ありがとう、マキノさん」

「ミズメさん」

「こわいから、一緒にだと助かってます」

 ミズメよ、そんなことを言ったら、孫は鼻血を出すぞ。

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