しまなみブルー ー風のSHIFTー 〜中型で挫折した元バイク女子が原付二種で再スタートしたら、仲間と出会って友情も恋も人生も全部シフトアップしてた件〜
TAKA☆
第1話 『風の入り口――ジスペケとの出会い』
Scene.01 無気力な日常
「……はぁ」
何度目かわからないため息が、喉から漏れる。
制服の上にパーカーを羽織り、自転車を漕ぐ
夕方の今治市。のんびりとした港町の風景の中、彼女だけが取り残されたような気持ちでペダルを踏んでいた。
「今日も、怒られてばっかりだったなぁ……」
書類の順番を間違えた。チェック表の転記をミスった。朝礼での返事が小さすぎたと注意された。積み重なる「うっかり」と「失敗」に、自分でも嫌気がさしていた。
(東京での短大時代は、もうちょっと前向きだったはずなのに)
ふと、カゴの中のスマホに貼られたバイクメーカーのステッカーが目に入る。
――そう、彼女は昔、一度だけバイクに乗ったことがあった。
友人に勧められて取得した普通二輪免許。勢いで購入したCB400スーパーボルドール。しかしその車重とパワーに圧倒され、立ちゴケと取り回しの難しさにすぐさま心が折れ、数ヶ月で売却。以来、バイクという存在は、結の中で「憧れだったけど諦めたもの」として封印されていた。
その風は、遠い過去の話だった。
⸻
Scene.02 風のような出会い
下り坂を抜け、結が駅前のコンビニに差しかかったその瞬間だった。
――風を切る音。
シュウゥゥン……と、まるで空気そのものを引き裂くような切れ味のあるエンジン音。
次の瞬間、マットシルバーのバイクが一閃のように駐車スペースへ滑り込んだ。美しく研ぎ澄まされたフォルムと、しなやかに傾く車体の挙動に、思わず息を呑む。
(……CB125R? でも、それ以上に――)
見とれていた。
それは、バイクという機械の美しさを超えて――まるで何かを纏っているような、風そのものだった。
やがてヘルメットを脱いだライダーは、170cmを超える長身に漆黒のロングヘア。陽射しを弾く瞳と、端正な顔立ちに、結は一瞬で心を奪われた。
その視線が、こちらを捉える。
「……何、見てんの?」
凛とした声に、我に返った結は慌てて頭を下げる。
「ひゃっ、ご、ごめんなさいっ!」
しかしライダーは、ふっと口元を緩めて笑った。
「別に怒ってないよ。……あんた、面白いね」
「え……?」
「CB125R、気になる?」
「……はい。すごく、かっこよくて……」
「ふーん。試しに、跨がってみる?」
「えっ!? いいんですかっ!?」
興奮を隠しきれない結が近づき、恐る恐るシートに跨がる。だが――
「……うっ」
両足とも、つま先がかろうじて地面に触れるか触れないか。そもそもそれは身長155cmの彼女には大きすぎた。
「やっぱり、無理……ですね」
悔しそうに笑う結に、ライダーは目を細めて優しく言った。
「だったらさ。うちの店、来てみない? “今治オートセンター”ってバイク屋。うちの実家なんだ」
「……あの、そのバイクも?」
「そう。うちでも扱ってる、私の愛車。……あたしは、
「瀬戸 結……です。……ありがとうございます」
「場所、教えるよ。興味あるなら、明日でもおいで」
⸻
Scene.03 再会と運命の出会い
翌日、結は地図を手に今治オートセンターへ向かった。
鉄骨とガレージの匂いが漂う工場風の店舗。駐車場には整備途中の車両が並び、バイクとオイルの匂いが空気を満たしている。
「来たんだ。待ってたよ、結」
作業着姿の凛が工具を手に笑った。
「……本当に、来てよかったのかなって……ちょっと不安で」
「うちは誰でもウェルカムだよ。さ、見てみなよ」
二人で並んで展示車を見ていく。スポーツタイプ、ネイキッド、スクーター、オフ車……それぞれが独特の個性を放っていた。
すると、ガレージの奥に立つひときわ存在感のある男に気づく。
つなぎ姿で、工具を手にエンジンと向き合うその背中。
振り返った瞬間、鋭くもどこか温かな眼差しが結を射抜いた。
「兄貴ー! こっち来て!」
凛が手を挙げると、男が近づいてくる。
「初めまして。
「……あ、あの……瀬戸 結です。よろしくお願いします」
(かっこいい……)
声も上ずりそうな結に、隼人は一つ頷いた。
「……ちょっと、見てほしいバイクがある。君に見せたいんだ」
⸻
Scene.04 ブルーの目覚め
ガレージの奥、隼人が無言のまま立ち止まり、奥まったコーナーに置かれた一台のバイクへと歩み寄った。
結の前で、彼はゆっくりとバイクカバーをめくる。
……そこに現れたのは、
目が覚めるような、深く鮮やかなメタリックブルー。
まるで陽光を浴びた海面のように、塗装が静かにきらめいていた。
「これは……」
結の声がかすれた。バイクの名前も、メーカーも、今はどうでもよかった。ただその“色”に、心が強く揺さぶられた。
――一瞬、景色が、揺らいだ。
鼓動が、跳ねた。
視界の片隅に、記憶のフィルムが焼き付いたかのように、青いバイクが滑るように坂道へ現れる。
フルフェイスのライダー。声も、顔も、今となっては思い出せない。
けれど、あの時の――必死に声をかけてくれた、やさしい言葉。大きな手。
助けてくれた後、去り際に言ったあの言葉。
『それじゃまた、どこかの道で』
そして、この青。
(……まさか……)
結の中にあった、時間の止まった一瞬が、今、静かに動き出す。
「あの……このバイク、なんていうんですか?」
掠れた声で尋ねると、隼人が工具を拭いながら応えた。
「GSX-S125。スズキの原付二種。見た目はスポーツだけど、扱いやすくて軽快なバイクだ」
「……すごく綺麗。なんだか……この子に呼ばれた気がして」
バイクに手を伸ばす。指先がタンクに触れると、静電気のようにじんと熱が伝わる。その瞬間、結は確信した。
――この子に乗りたい。
それは、ただの衝動ではなかった。
「……このバイク、今は誰のものなんですか?」
言葉を選ぶように問いかけると、隼人は少し目を伏せ、静かに語りはじめた。
「……俺の親友が乗ってた。
「えっ……」
「バイクを始めたばかりだったけど、すげえ努力家で。どこまでも走って、風になりたいって言ってた」
言葉には力がこもっていた。隼人にとって、その“優斗”がどれほど大切な存在だったのか、痛いほど伝わってくる。
「こいつは……その形見みたいなもんだな」
形見。
その言葉が、静かに胸に落ちた。
(……あの時、私を助けてくれたのも、このバイクだったのかな)
(今となっては分からない。けど……だけど!)
確証はなかった。でも、心の奥で何かが繋がる音がした。
「……私、この子に……乗りたいです!」
思わず、叫ぶように言っていた。
凛がバタバタと駆け寄ってきて、叫ぶ。
「ちょっと兄貴! 本気で出す気!? その子は優斗君の形見でしょ!」
「……ああ。でもな」
隼人は、ゆっくりと結の方を見る。その視線は、どこか試すようで、それでいてあたたかかった。
「この子は……優斗と同じ目をしてる。あいつが見せてくれた、“走りたい”っていう目だ」
「……勘かもしれない。でも、なぜか託してもいいって、思ったんだ」
「……兄貴……」
凛が言葉を失い、目を伏せた。
結は、そっとバイクのタンクに手を置いた。自分の鼓動が、青い鉄に伝わっていく気がした。
(……ありがとう。きっと、あなたが見つけてくれたんだよね)
今は名前も知らない、あの青いライダーに向けて――心の中でそっと呟いた。
⸻
Scene.05 走り出す風
納車日。
夕方の今治オートセンター、舗装された駐車場の上で白と青のボディが夕陽にきらめく。SUZUKIのロゴが誇らしげなジスペケ――GSX-S125。その隣には、すでにエンジンを始動してアイドリング音を響かせるホンダ・CB125Rが控えていた。
そのCBの前に立つ凛が、ヘルメット越しに微笑む。
「やっとお披露目だね、結のジスペケ」
「……うん。ありがとう、凛さん。今日が来るの、ずっと楽しみにしてた」
「……普通に凛で良いわよ。あんたの方が年上だから」
「そうなの?じゃあ凛ちゃんで」
凛は思わず苦笑しながら応える。
「"ちゃん"か。まぁ良いけどね」
結はCB400SBに乗っていたときに使っていたヘルメットを手に取り、しっかりと被った。内蔵されたインカムの存在を思い出して、ふと凛を見る。
「ね、これ……前のときのインカム、まだ使えると思うんだけど。登録、できる?」
「もちろん。ペアリングしよっか」
二人はバイクを並べ、ナビ音声のような短い案内に従ってインカムを同期させた。接続音が重なった瞬間、ヘルメット越しに凛の声がクリアに響く。
『よし、つながった。じゃ、給油してから走ろっか。海沿い、いい道あるよ』
CB125Rにまたがる凛がクラッチを握るのを見て、結もジスペケのシートに腰を落とす。足つきこそ結の身長だとつま先がようやく付く位だが、何より軽い。CB400とはまるで別の乗り物のようだった。
結がミラーを確認して、慎重に発進する。その動きにはまだぎこちなさが残っていたが、初めて自分のバイクとして手にしたジスペケは、まるで寄り添うように素直に応えてくれる。
給油を終え、二台のバイクは並んで国道196号線を南へ向かう。
潮の香り、風の音、そして新しいエンジンの響き。
そのすべてが、結の胸を震わせた。
『ねぇ、結。ちょっとだけジスペケの乗り方、話していい?』
『うん、お願い! まだ慣れてないから……助かるよ』
走りながら凛の声が続く。
『このジスペケの最大出力は15馬力。10000回転でそのパワーが出るようになってるんだ』
『一万……? そんなに回すの?』
『うん、でも最初はそこまで意識しなくて大丈夫。まずは自分のペースでいいよ。でも、ちょっとずつ慣れてきたら――そうだな、7000くらいまで引っ張ってからシフトチェンジしてみると、バイクがすごく気持ちよく加速するよ』
『……うん、やってみる!』
結はギアをひとつ落とし、アクセルを開けた。ジスペケが軽快に吹け上がり、凛のCBに追いつくように加速していく。
『――わっ! 速い! でも、楽しい!!』
『その調子! 上手いよ、結』
その一言が、胸の奥に柔らかく響いた。400とは違う、小さなエンジン。でも、この軽さ、この素直さ――この子には、この子だけの世界がある。
CB125Rのリアタイヤを追いながら、結は風を切って走っていた。
ジスペケは軽やかにエンジンを回し、加速のたびにスロットルの応えが素直に返ってくる。400ccの頃のような重厚なトルクではない。けれど、どこまでも自分に寄り添ってくれるような、この軽快な走りが心地よかった。
アクセルをほんの少し開けると、風景が一気に後ろへ流れた。
(この子と一緒なら――もっと遠くへ、もっと自由に走っていける)
広がる海。その彼方で、太陽がゆっくりと傾き始めていた。
空の青はじわじわと赤みを帯び、雲の端が金色に縁取られる。
瀬戸内海の穏やかな水面が、まるで絵の具をにじませたキャンバスのように、赤と橙のグラデーションで染まっていく。
潮の香りがふっと鼻をかすめ、結は無意識に視線を上げた。
ジスペケのタンクに映り込んだ夕陽は、波打つ金属の上で淡く揺れていた。
「……わぁ……」
ヘルメットの中で、呟くように声がこぼれる。
前を走る凛が、バックミラー越しに小さく手を振った。太陽を背負ったその姿は、どこか映画のワンシーンのようだった。
ふと、結はスロットルを少しだけ緩めてみた。
走る速度がほんの少しだけ落ちる。
それでも、風は変わらず頬を撫でてくれるし、夕陽は胸いっぱいに広がっていた。
インカム越しに凛の声がふわりと届く。
『きれいでしょ、この時間の海。……結との最初のツーリング、こんな景色で始めたかったんだ』
『……うん。すごく、きれい。夢みたい』
走っているのに、まるで時が止まったような錯覚。
胸がいっぱいになって、言葉が出てこない。
燃えるような橙色の陽光が、波に反射してきらきらと踊る。
ジスペケのメーターランプが、夕陽の色を柔らかく受け止めて淡く光る。
まるで――バイクまでもが、この景色に感動しているかのようだった。
(私、バイクで走ってる。風を感じてる。凛ちゃんと一緒に……)
心の奥で、何かがほどけるような感覚があった。
この一瞬を、ずっと覚えていたいと思った。
エンジンの音、風の音、凛の声、そしてこの光。
すべてが混ざり合って、胸の奥を優しく満たしていく。
(ありがとう、ジスペケ。――連れてきてくれて)
⸻
――止まっていた風が、少女の中を再び駆け抜ける。
ここから、“私”の物語が始まった。
⸻
✅️次回予告
第2話『出発前夜と、不器用な優しさ』
ジスペケに乗れるようになった結に、凛から「一緒に走らない?」という誘いが。
走り出したふたりの関係が、少しずつ深まっていく、出発前夜の物語――。
※2025年6月24日:完全改訂版に差し替えました。
※2025年7月12日:結のジスペケに関する描写を大幅加筆した完全改訂版Ver.2に差し替えました。
※2025年8月8日:サブタイトル変更と改訂版Ver.2.5に差し替えました。
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