第5話 ナナンテンモノイス

「はぁぁ……」


 学校に着くと、僕は席に着いて溜息を吐いた。


 奴が言うには、首を吊ったせいで頭に侵入できなかったらしい……。


 怪卵は脳にまで忍び込んで、その個体を乗っ取るらしい……でも奴はそれができずに、僕は助かった……。


 ただ体は変異させて、体だけが……怪人の体に、あのまっ黒な体になってしまった……。


  奴が言うには、頭を侵略し損ねたから体の主導権は僕にあるらしい……しかし、体だけ怪人になってしまうなんて……。


 僕の体には……奴が、巣くってる……共に生きようとか言ってくる……。


 やはり警察に……でもそうすれば……ああ、僕は、僕の生活は、人生はどうなってしまうんだ……。


「はぁぁ……」

「何、ため息ついてんの?」


 耳元で奴の声がした。


「ぎゃあああ!」


 僕は椅子から飛び上がる。


 クラスの皆が一斉に、何事かと僕を見てきた。


「へへへ……」


 僕は照れ笑いをして、視線を窓の外に逸らす。


 椅子を窓に向かって置いて、何事もなかったかのようにゆっくり座った。


「なんなんだいきなりっ、外では話しかけない約束だろうがぁっ」


 僕は小声で自分の胸に向かって怒鳴る。


「ごめんごめん、急用だったからつい」


 耳元から、小さな声で奴が話し返してくる。


「これ、どっから声がするんだ、気色悪い」

「右首の付け根に口を作ったの、襟で誰にも見えないわ。そんなことより、仲間がいるからちょっと話させて」

「? 仲間って?」


 僕は振り返って教室を見渡した。それから窓の外に視線を戻す。


「お前以外に怪人がいるって言うのか? そんなわけあるか」

「いるのよ」

「この教室内に怪人が?」

「ううん、もっと遠く」

「……学校内にってことか?」

「そうね」


 ……そんな馬鹿な、ずっと前からいたって事か? でも何の事件もなかったぞ?


「さっき居場所を知らせたから、もうすぐ来るわよ」

「なにっ?」


 僕は体を硬直させた。


「……ルールで新しくこっちに来たら、居場所を知らせないといけないのよ。ちょっと会って話したいの」

「ルール?」

「あとで説明するわ、でも気を付けてね敵対してくるかもしれないから」


 奴の声が小声になる。


「なんでだよ……仲間じゃないのかよ」

「祐輔達と同じよ。人の中で半分怪人の人がいたらどう対応する? 私達にとっては半分人のスカレミトスレカコなんだから」

「……スカレ、なんだって?」

「私達の種族名よ」


 ……。


 僕はパニックになった。


「祐輔の頭は人のままで脆いわね……変身して戦っても……そこだけは注意して戦うのよ」

「戦う事になるのか!?」

「来た、教室内に入って来たわよ、気を引き締めてっ」


――!?


 ……なんだって……。


 走る音が背後からしてくる。


「祐輔、すぐ後、背後いるわっ」


 と背後からしていた靴音が、僕のすぐ後ろで止まるのを感じた。


 ……後ろに居る……?


 僕は固まったまま動けなくなってしまった。


「落ち着いて、振り向いて冷静にコンタクトを取って」


 奴が早口で言ってくる。


 ……うるさいな、わかってるよ……一体、どこのどいつだ……?


 よし、いっせーの、で一気に振り向こう。


 ……いっせー――


「――西山君、ちょっと良いかな?」


 タイミング悪く、背後から話しかけられた。


 しかし……あれ? この声……この声は、聞いたことがあるぞ……。


 そうだ、この綺麗な声は……まちがいないっ。


 僕は素早く振り返る。


 ……。


 ……やはり、そこには千代島さんが立っていた。


「私が良いって言うまで動かないで」


 千代島さんがそう言って、グンと顔を鼻と鼻が当たりそうになるまで近づけてくる。


「うーーーーむーーーーー……」


 僕を目を細めてじっと見つめてきた。僕は微動だにできなくなる。


 ……ああ、千代島さんの顔が目の前にっ。


 嬉しさと共に、戸惑いが頭の中を占領した。


 まさか千代島さんが怪人なんて、そんな馬鹿な。


「……違う……いえ、しかし……うーーーーむむむむむむーー……」


 千代島さんの眉が寄って、厳つい顔になった。


「……やはり、そうなのね。一体どういう状況なの?」

「どうって、何がです……か?」

「……、……仲間でしょ? 西山君もスカレミトスレカコよね、でも頭は人間のままってどういう事?」

「え……」


 僕は千代島さんをまじまじ見つめる。


「祐輔、知り合い?」


 耳元で奴の声がした。その瞬間、千代島さんがビクンと眉を上げる。襟をつかんで広げ、奴を確認した。


「西山君、何なのそれっ? 1つの体に2つ、どっちも意識があるなんて……」

「千代島さんが……そんな……嘘でしょ……」


 僕は千代島さんを見つめたまま、呆然としてしまう。


 そんな僕を見て千代島さんは首を捻った。それから僕から顔を離して、顎に手を当て考え出す。


「……とりあえず、場所を変えましょ」


 僕は口をぽかんと開けたまま、固まってしまっていた。


   ◇


 僕はこの学校で一番人気のない、校舎裏に千代島さんと一緒に来た。


 校舎の白い壁と、野球部の部室の壁に囲まれて、日も差さない場所だ。


「祐輔、左手を向けて」


 耳元で奴の声が指示してくる。


 僕は言われた通り左手を、対面する千代島さんに向けた。


「私はモハステチキケスイマコ、こうして祐輔と共生しているわ。あなたは?」


 奴が自己紹介する。


「私、ナナンテンモノイス。人間名は千代島美奈子。ここでは人間名で呼ぶようにしてね」


 千代島さんも自己紹介をした。


 ……なんだそれ、マジなのか……。


 僕は話したかったが、言葉が何も出すことができずに、ただ千代島さんを見つめ続ける。


「その目玉とかは、どこでも出現できるの?」


 千代島さんが奴に尋ねた。


「首から下ならどこでも出現できるわ。人間は服で体を覆うけど、手だけは別だからね。そこから利き手の反対の左手が的確な部位と、なんとなしに落ち着いたってわけなのよ」


 ……勝手に落ち着くな……。


「で、ようは寄生に失敗したって事で良いんだよね?」


 千代島さんが奴を、眉をひそめて僕を見てきた。


「そうなの、失敗しちゃった、てへっ」


 てへぺろってしている……こいつ、のんきな……。


「……それじゃあ、あなた達は人間なのか、スカレミトスレカコか、どっちという事になるんだろ?」


 千代島さんが僕と奴を、交互に見てくる。


 ……声を出さなくちゃっ。


「……僕は人間――」

「――私はスカレミトスレカコよ」


 奴が僕の口を遮って言ってきた。


「……ふーん、なるほどね……」


 千代島さんが目を瞑る。顎に手を当てて何やら考え始めた。


「……学校で仲間が近くに居るのを感じて、驚いちゃったけど、もっと驚いちゃったなっ」

「……それでナナンテンモノイス……私が失敗したからって……襲わない……わよね……」


 奴が恐る恐る尋ねた。


「ないと思うよ、ルール通り、私はあなた達を基地に連れて行ってあげる。マイナンバー貰わないとね」

「とりあえず良かったぁ。祐輔、敵対したら私達はどうしようもないからね」


 左手が明るい声を出して、僕に微笑む。


「ただ問題は」


 突然、千代島さんの目が僕に向けられた。


「重要な事なんだけど、西山君は、人間だけどこっちの仲間でもあるのよね? そこだけ確かめさせて」


 答えを迫るように、語気を強めて言ってくる。


「これからはスカレミトスレカコの仲間になる気があるの? 人間に私達の事を売ったりしない?」

「……」


 僕は黙り込んでしまった。


 ……怪人がこんな近くにいたなんて……それも、人と一緒に違和感なく暮らしてる、なんて……。


 千代島さんの感じだと、仲間がいっぱいいる感じだ……こんな、事になっていたなんて……。


 ……僕もそうか……これからは僕も、人間社会に紛れて生きていくんだ。


「祐輔、朝に話したじゃないの、何を迷ってるのよ」


 奴が僕を叱ってくる。


「……ああ、僕は、この事態を受け入れている……もう僕は普通の人間じゃない……人間からも迫害される立場だろう」


 僕は右手を握って広げるを繰り返す。


「僕の望みは……今までと同じように、平凡に、妹と暮らしたい、それだけ……それだけです……だから……」


 そうだ、そうなんだ、蘭のためにも死ぬわけにはいかないんだから。


 僕は千代島さんを真っ直ぐ見つめた。


「僕は、こいつと一緒に生きていくつもりだ。もう僕は普通の人間じゃないから、人間社会に溶け込んで、怪人と同じように生きていこうと思ってる」


 落ち着いた声で、ゆっくり言い切った。


「そういう事なら安心したっ。皆きっと西山さんの事を受け入れてくれるよっ。すぐに連絡するからね」


 千代島さんがスマホを取り出し微笑む。


「ここに来て初めての後輩なのっ、仲良くやっていきましょっ」


 僕は微笑む千代島さんに、ドキッとして動けなくなった。


 普通の千代島さんだ。


 恋に落ちた時と同じ、素敵な笑顔。何も変わらない、怪人でも変わらない、僕の好きな千代島さんだ……。

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