第4話 モハステチケスイマコ

 チュンチュン……。


 カーテン越しの窓から小鳥の囀りが聞こえてきた。そして暖かな朝日が隙間から差し込んできている。


 ……あー……朝か……。


 ……ぜんぜん……まったく、何にも、一睡も、眠れなかった……。


「おはよう、良い朝ね。あー……よく眠れたわ、祐輔もよく眠れた?」


 下の方向から女性の声が聞こえる。


 くっ、どこからだっ?


 ガバッと布団をめくって確かめた。


 ……なにもない……。


「服の中よ、ふふふ」


 声のままにパジャマを捲って体を見た。お腹の皮膚が裂いてパクパク動く口と、耳が1つある。


 ……なんて気持ち悪い……。


 裂いて痛そうなのに、痛みがなぜかない……。


「祐輔、私を見てそんな顔をしないでよ」

「なるだろ」


 と左甲にはギョロリとこっちを見る目玉が1つ現れた。


「あああっ」


 僕は左手をできるだけ遠くにしたくて、グッと腕を伸ばした。


「なんだよ、元の体に戻したんじゃないのか」

「だからそれは擬態よ。ちゃんと人間の体そっくりなってるから良いでしょ」

「普通、左手には目なんて付いてないし、お腹に口なんてのも……」

「ここだけコミュニケーションするために変異させたの。それ以外は元通りでしょ? 私、頑張ったんだから、そこんとこ褒めても良いんじゃない?」

「……ちっ」


 僕は布団を蹴飛ばし、体を確認する。


 パジャマを着ている僕の体は、たしかに、元の体のままだ……元通り肌色の、人の体になってる……昨日みたいな化物の体じゃない……が……。


 と左手の甲に口が現れた。


「良い加減諦めなさい。病院や警察に行けば祐輔は怪人扱いで殺処分。解決方法は……まぁ自殺がありますが、でも死ぬことはありませんっ。なぜなら祐輔は体が怪人なだけで、祐輔のままなんだから」

「この左手で、何が、僕は僕のままだよ」


 この体で、何を言ってるんだ、こいつはっ。


「私と祐輔はふたつでひとつの命。協力して生きていきましょ?」

「ああ、そんな……」


 僕は頭を抱える。


「ふふふ、目も口も耳も好きなところに出せるわ。どこが良い?」

「……ああ、嘘だ、こんな――」

「――お兄ちゃーん……起こしに来たんだけ……ど……」


 突然、蘭の声がした。


 ドアがゆっくり開き、恐る恐る蘭がドアの隙間から顔を出す。


 蘭は僕の左手を見た瞬間、目をグッと閉じた。


「おはよう、蘭ちゃん」


 そんな蘭に、奴が明るく挨拶する。


「お、おはよう、ございます」


 蘭が戸惑いながら、僕の左手に向かってお辞儀した。


「……起きてるから、もう行け」

「……うん……」


 蘭が沈んだ顔をしながら、ドアを閉める。


「可愛い妹ね、毎日起こしに来るの?」

「ああ……」

「母親はどうし――」

「――黙れ」


 僕はベッドから飛び降りた。


「……念を押すが、お前が姿を現すのは僕がひとりの時だけだからな、絶対に人前ではやめろよ」

「もう、わかってますよっ、しつこいぞっ」


 左掌の目がウィンクする。


 ……、……着替えよう……。


 パジャマの上着を脱いで放り投げた。


 ……なんか、すごく腹が減ったなぁ……。


 ズボンも投げ捨てパンツ一丁になる。


 ……ん? 視線を感じる……。


 ふと左手を見ると、左手の目がこっちを見ていた。


「……あら、ごめんなさいっ」


 慌てた様子で奴が目を瞑る。


 ……なんなんだ……。


「はぁぁ……」


 僕はため息を吐いた。


 これから、どうしたら良いんだ……。


 制服に着替え1階に降りると、いつものようにダイニングテーブルに蘭が座っている。


 4人掛けのテーブルの上には、昨日、蘭が補充した菓子が詰まった箱と、コーラのペットボトルが2本置かれていた。


 でも欄は何も食べてない。いつもなら先にバクバク食ってるっていうのに。


 僕はお腹をさする。


 ……なんか、ひどく腹が減っている、奴のせいかな。


 いつものように蘭の前の席へ座った。


 無性に腹が減っているのを満たすために、菓子が詰まった箱からポテチを取って、がむしゃらに口に運んだ。


「……お兄ちゃん、こんな時によく食べれるね……」


 蘭がチラチラ僕の左手に目をやりながら言う。


「なんか、お腹減ってね」


 口にポテチが詰まったまま答えた。


 僕は飲み込まないうちに次のポテチの袋を破く。そして僕はいつものようにリモコンを手に取った。リビングのテレビをつける。


 テレビでは福井県で起こった怪人事件を伝えていた。


「福井県で怪人が駆除されました。県大会に参加した際、新記録を出したのがきっかけで判明し、特災課によって昨夜、県内にいるところを発見され……」


 とアナウンサーは淡々と伝えている。


「蘭、食べないのか」

「うん、いらない」


 蘭は、何もせずに僕の左手をチラチラ見るばかりだった。


「蘭ちゃん、気分でも悪いの?」


 突然、奴が蘭に話しかける。


「いや、なんでも……」


 蘭が目を逸らした。


 僕はわざと左手で。コンソメ味のポテチを口に運ぶ。


「ねぇ、あんまり左手を使わないで食べてよ。ポテチが目を掠って危なかったわ」


 奴が言って、


「よっこいしょっと」


 奴の目と口が左手からなくなり、すぐに左上腕から出てきた。


「……」


 ……僕の手が、その気持ち悪い光景に止まる。


「……それにしても朝からお菓子なんて食べて、ちゃんとご飯食べなさいよ、なにこれ、こんなんじゃ健康に悪いわ」


 奴が、なんか言ってきた。


「……」


 僕は無視してポテチを食いまくる。


「蘭ちゃんも、毎朝、こんななの?」


 奴の目玉が蘭に向いた。


「……ご飯なんて、誰も作れないし……」


 蘭は顔を伏せながら、奴をチラチラ見て答える。


 僕はコーラをがぶ飲みする。なぜだか喉の渇きもすごい、2リットルじゃ足りないぞ。


「これ朝ごはんのつもりなの? お菓子だけ食べてるの?」

「……うん……」

「ご両親はどうしたの?」

「お母さんは死んじゃったよ……お父さんは単身赴任、お兄ちゃんと2人暮らしなの……」

「……そうなの……でも、ごはんぐらい炊けるでしょ」


 蘭が首を振る。


「じゃあ、お料理くらい私が教えてあげるわ」

「え……」

「ちゃんと食べないと駄目よ。こんな食生活じゃ。お父さんも、亡くなったお母さんも心配よ」

「……まぁ、そう……かも……」


 僕はコーラをドンッと、音を立てて机に置いた。


「蘭、こんなのと話すな!」


 蘭を一喝する。


「あん……ごめん……」


 蘭が僕の声に驚いて俯く。


「ちょっと祐輔、怒鳴らないでよ、なんなの急にっ」


 左手の目玉が僕を睨みつけてきた。


「……」


 僕は無視してポテチをラッパ食いする。


「お兄ちゃんのクセに、妹に乱暴ねっ」

「……」


 ポテチを食い終わった僕は箱の中に手を伸ばして、違う味のポテチを取る。


「だいたいお兄ちゃんとして祐輔がしっかりしなさいよ、こんなもので朝ごはんって言って良いと思ってるの!?」


 ……うるせーな。


「……」


 僕は無視してポテチをかっ込み続けた。


「まぁ返事もしないっ」

「……」

「ちょっと無視しないでってば。私が何か間違ったこと言ってる? ねぇ何とか言いなさいよ」

「うるさい!」


 リモコンでテレビの音量を上げまくった。怪人問題から変わって、経済問題を伝えるアナウンサーの声が、部屋中に響き渡る。


「……なんか……怪人の、イメージと違うな……」


 蘭が奴を興味深そうに見て、呟く。


「なんか、ぜんぜん……怖くないね……」


 僕は蘭のセリフに言葉を詰まらせた。


「何言ってんだ……怖いだろっ、皮膚が裂けて目玉と口が現れてんだぞっ、あほかっ」

「でも、優しい声だし……」

「そうよ蘭ちゃんっ、わかってくれるのね、ありがとうっ」


 奴の声が嬉しそうに、トーンが上がる。


「私は危害を加える気はないわ、昨夜も言ったけど共存したいのっ」

「もう危害は加えてんだろっ」

「加えてないわよ、なによ……蘭ちゃん、わかってくれるわよね。私の事を怖がらないで?」


 奴が優しい声で蘭に言う。


「え……うん……、……」


 蘭が困って俯いた。


「誰がお前なんかと仲良くするか。黙ってろ、妹としゃべるんじゃない」


 僕は奴に強く言う。


「……うん……」


 奴が悲しそうに俯いた。


 ……なんなんだっ。


「……」

「……」


 沈黙が食卓を覆う。


 経済を憂う評論家の声だけが室内に響いていた。


「……ふぅううう」


 僕は肺が空っぽになるまで息を吐く。


 やはり、ここは心を決めよう。


「……蘭、考えたんだが……僕がもう一度自殺する手もある」


 僕は蘭に向かい合って切り出した。


「僕は、人じゃなくなった。だから、もしお前に危害が――」

「――絶対ダメだからね! お兄ちゃん、それだけはやめて!」


 蘭が声を荒げる。


「死ぬ以外で考えて、お願いお兄ちゃん! もう……家族が、いなくなるなんて……嫌……」


 蘭が真っすぐ僕を、涙目で見つめて言ってくる。


「……ああ、そうだな……わかったよ、いなくならないよ……」

「……ごめんなさい……皆が私を嫌がるのは、分かるわ、初め殺そうとしたんだし……」


 奴が、沈んだ声で話し出した。


 僕と蘭は、左手の奴へと視線を移す。


「……でも、私も、生きたいの……生きたいのよっ……こんな形でしか、生きられないけど……私……」


 奴が苦々しい顔つきになっていた。


「……私を受け入れて……」


 奴が、潤んだ瞳でこっちを見てくる。


 僕は溜息をついて、奴の目から顔を逸らした。


「……何でこんなことになるかな……もう、しょうがないと諦めるしか……命があっただけでもマシと考えるしか……ないのか……お前の事は隠して、今までと同じように暮らせるようには、してくれよ……」


 僕は奴を見て、ゆっくり言った。


「ええっもちろんよ……よろしくね祐輔、蘭ちゃん……」


 奴が微笑む。


 蘭が戸惑って俯いた。


 ……こいつと共生なんて……蘭のためとはいえ……。

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