第2話 恋愛、失敗

――五重県、桜坂市、心火高校。2年1組教室。


 ……はぁ……かわいいなぁ、千代島さんは……。


 僕は満ち足りて、息を吐く。


 あれなんだよな、記憶喪失で、孤児院暮らしなんだよな……僕が何とかしてあげたいなぁ。


 心配しなくて良いぜ、これからは僕がついてるからな……なんて、ぐふふふふ。


 僕は窓辺の席から、廊下にいる思い人の姿をじっと見つめる。


 「聞いてるか、家の近くで見たんだ」


 そんな中、目の前では田中がしゃべり続けていた。


 僕はそれを華麗に無視して、千代島さんへと視線を移す。


 ……ああ、つややかな長い髪、透き通るような白い肌、大きな丸い瞳……大人びたシルエットに花の笑顔……ああ、千代島さん……。


 でもあなたの本当に素敵なところは優しさです。それを現した微笑む顔です、僕はその笑顔に一目ぼれをしま……ってあれ?


 ……横にデカいのがいると思ったら不良の大岩じゃないか。近づいちゃ危ないなぁ、あいつはイケメンで金持ちだけど、女でも平気で殴るクズなのに。


「聞いてるか? あの3階建ての家の前の十字路だ、そこで俺はしっかりこの目で見たんだぞ」


 目の前では田中がしゃべり続けている……。


「その腰の曲がったおばあちゃんは、1メートルぐらい飛び上がったんだぜ。びっくりする話だろ、そんなに飛び上がるおばあちゃんがいるわけないっ、未確認の怪人なんだよ」


 めちゃくちゃ元気なだけだよ。


 ……まったく何を言ってるんだ。ぎりぎりいるだろ。


 僕は廊下へと視線を移す。


「ぎりぎりいるだろ、っておもったろ。良いか1回じゃないんだ、連続で何度も飛ぶ……っておい、西山、どこ見てるんだ?」


 うるさいなぁ。


「なんだ、また千代島さんかい……」


 田中が坊主頭を撫でる。


「無理だ、身分が違いすぎるだろ。お前は162センチのチビで、細い目をして、セットどころか切りもしてないから前髪が目にかかっているぼさぼさ頭で、いつもぽーっとしているから脱力感でこっちまで――」

「――うるさいよ、これを見ろ」


 僕はポケットから手紙を取り出し、田中に見せつけた。


「ラブレターだ」


 言った瞬間、田中の野球部で日焼けした活力のある顔が、ひきつった表情に変わる。


 バカが何言ってんだ、という意味を前面に現した表情で固まっていた。


 やがて真面目な顔になって、僕を見つめてくる。


「やめとけ。良いかよく聞け。告白がうまく行くか行かないかは、告白する前にわかるんだよ。でね、お前は絶対うまく行かない」

「……なんでさ」

「うまく行くか行かないか自分でわかってないからだ。普通、わかるんだよ。今までの接し方とかで、自分の事を好いているかどうかなんてな」

「……」


 僕は何も言い返せなかった。


 千代島さんとの、全ての会話と挙動に距離があるのを感じていたからだ。


「で、でも、これを渡してから始まるってことも――」

「――おーい、そこの仲の良いおふたりさーん」


 突然の声に振り向くと、不良の大岩がこっちにやって来る。


 そして、来た途端、


「ちょいと金貸してくれや」


 と大岩は田中の肩へ乱暴に手を置いた。


 ……なんなんだ……こいつ……。


「いやー親父にたばこの事で怒られてね、お小遣い減らされたんだ。だから金欠なんだよ、だから貸してくれるよな」

「ああ、はい、良いですよ……」


 と田中がポケットから財布を出す。


 ……なんだ田中、すぐに言うこと聞きやがって、どういうつもりだ、悔しくないのかっ。


 田中がいそいそと1000円札を取り出そうとしていると、大岩が田中の手から財布をぶんどった。


 そして中のお札を全部抜き取って、田中に返す。


 田中は弱弱しく笑いながら、財布をポケットにしまった。


 おいっ、だから悔しくないのかお前はっ。僕はそんなお前の姿が悔しいぞっ。


 田中は必死に目を反らして、静かに事を済ませようとしている。


「おい、お前も早くしろや」


 大岩が僕に言ってきていた。


 くそっこいつ、友達にこんなことしやがって。


「何ボケっとしてんだ、財布出せ」

「嫌です」


 僕ははっきり言う。


 途端、大岩が固まってしまった。


 ふと見ると、また田中の顔も、ひきつった表情をしたまま固まっている。また、バカが何言ってんだ、という意味を前面に現した表情だ。


「……おい、てめぇ、何て言った?」


 しばらく固まっていた大岩が、急に顔をグンと近づけてくる。


「おい、よく聞こえなかったなー、もう一度行ってみろぉ!」


 すぐ耳の近くで怒号を上げてくる。


 その怒号に、僕はおもわず仰け反った。大岩は顔をぐちゃぐちゃにして激怒している。


 ……ああ……しまったな……。


 やっぱやめときゃ良かったなぁ…………ついやってしまったぁ。


「おい、てめぇ!」


 僕は急に胸ぐらを掴まれて、そのまま持ち上げられた。190センチの大岩に持ち上げられて、僕はなんとか足が爪先立ちで立つ。


 くそぉ、どうしよ……ここから謝って払うとかはしたくないしなぁ……ん?


 大岩の顔越しに、千代島さんの顔が見えた。


 え、千代島さんが教室の戸の所から僕を見ている!?


 ……。


 ……しっかりしろ僕……ここは、カッコ良いところを見せないと……。


 僕は大岩の目を真っ直ぐ見つめる。キッと鋭い視線に大岩が少し驚いていた。


 ……戦うぞ、漢を見せろ……。


 よしっ! 漢、西山祐輔! ここが気合の入れ――


 ――大岩の拳が、僕の左頬にめり込んだ。


「うごぁああああ!」


 床に叩きつけられる。


「もう一発食らいたいか、こらぁ!」

「ごめんなさい、許してくださいっ」


 僕は反射的に謝った。


 仕方ないよね。怖いのに立ち向かっただけでもすごいって褒めてっ。情けないって言わないでっ。


「いまさら謝っても遅いわ!」


 大岩が拳を振り上げる。


「猛君やめてぇ!」


 千代島さんの綺麗な声が響いた。


 教室の戸の所から千代島が駆けてくる。そして大岩の腕を掴んだ。


「そんなことしちゃダメ」


 千代島さんが潤んだ瞳で大岩を見つめる。


「……おいおい……ったく。愛しのお前にそんな目で見られたら、俺は何もできねぇよ」


 大岩はゆっくり振り上げた拳を下げた。


「ありがとう、猛君」

「キスもしてくれねぇ硬い女だが、美奈子、俺はそんな清らかなお前を愛してるぜ。記憶喪失で孤児院暮らしなんて、泣かせるじゃねぇか。心配しなくて良いぜ、これからは俺がついてるからな」


 そう言って大岩は、千代島さんを見つめだす。


「さっ、取ったお金も返してあげて」


 千代島さんが目を逸らして、優しい声で言った。


「ちっ」


 大岩が田中に盗ったお金を投げ渡す。


「ごめんなさいね、西山君、田中君」


 そう言って、千代島さんが倒れている僕に手を伸ばしてくれた。


「ああ、ありがとう」


 僕はその白くてきれいな手を掴み、起き上がる。


「顔のケガ、大丈夫?」

「ああ、すごく痛いけど、大丈夫ですよ。んな事より、なんなの? おふたりは付き合ってたの?」


 僕は殴られた頬の痛さとか、流れ出る血より何より、一番気になることを尋ねた。


「うん、ちょっと前から……ねぇ西山君、ホントに大丈夫? 頬と口と耳から血が出てるよっ、ドバドバだよっ?」

「そんな事より、大岩のどこに惹かれたの?」


 僕は床に血溜まりを作っている流血とか何よりも、また一番気になることを聞いた。


「それはね……うーんと……」


 千代島さんが困った顔になる。


 ……弱い奴からいつもカツアゲして、人を殴って怪我さして、それを父親にもみ消してもらってのうのうと暮らしているんだぞ。そんな奴に、なんだって好きになったの?


「奈津子、行こうぜ」


 大岩が、千代島さんの手を引っ張った。


「じゃあ西山君、怪我、お大事にね」


 千代島さんが去っていく。そして大岩と手をつなぎながら教室の外へと消えていった。


 ……あ……理由、聞いてない……。


「……おい、これ、落としたぞ」


 田中が、いつの間にか落としていたラブレターを拾ってくれていた。


 僕はラブレターをポケットに入れる。


「血、だ、大丈夫か?」

「……大丈夫に見えるか」

「ぜん、ぜん」


 と田中が2度深く頷いた。


「西山、保健室へ行こう」

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