スカレミトスレカコ
ミーナ
1章
第1話 トシキチイスコチト
――桜坂市民病院。
「お兄ちゃん、どうして、してあげないの」
妹が兄に尋ねた。
「……」
「お母さん、死んじゃうんだよっ」
妹は強く訴える。しかし兄は俯いたまま、チラッと母親を見るだけだった。
……うるさいなぁ……もうそんな年じゃないよ……。
「ねぇってばぁ」
妹は、兄の服を引っ張る。
沢山の管がつながれた母親がその光景を、切ない目で兄を見つめた。
「お母さん、お兄ちゃん抱っこしたいんだって」
「いやだよ」
兄は妹に背を向けた。その目に溜まった涙が、その反動で頬にこぼれる。
「どうして? してあげてよ。お母さん久々に抱っこしたいんだってっ」
「良いんだよ、そんなこと」
「ねぇ、どうして、どうしてしてあげないのっ?」
妹の服を引っ張る力が強まる。
……しつこいなぁ、こいつも。
その時だった。
「ゴホッ、がはぁっゴボゴボッ」
母親が血を吐いて、胸を押さえだした。妹が悲鳴を上げて泣き出す。顔を抑えてしゃがみこんだ。
突然、装置が音を響かせる。廊下にいた父親と医者が駆け込んできた。
「西山さん、どうしました!?」
医者が叫んだ。
医者と看護師が病室を忙しく動き回る。
兄は、涙目で母親を見つめ続けていた。吐血で服を赤く染まった母親も、兄を見つめ返していた。
その母親の口がパクパクと動く。
……?
何かを言っていたが、忙しく動き回る病室では兄は聞き取れなかった。
……なんて言ったの、お母さ――
「――祐輔、蘭、廊下に出ているぞ」
と父親は兄妹の手を引っ張り、病室のドアへと歩いていく。
……抱っこしてあげてない……今度、ふたりきりの時にやってあげるからね……。
そう思って兄は母の顔を、ずっと振り返って見続けた。
兄妹が廊下に出ると、ドアが閉められる。
この20分後、母親は息を引き取った。
◇
――7年後。五重県桜坂市、豆木山の山中。
「はぁ……」
男は満ち足りて、息を吐く。
星空の下、男は趣味のソロキャンプをしていた。 晩御飯を食べ終わったところで、赤々と燃える焚火を見つめる。
日焼けした肌にジーパンにTシャツ、タオルを頭に巻いている、少し厳つい顔の中年の男は、焙煎したコーヒーを啜った
「ふぅ……」
優雅にコーヒータイムに男は満ち足りて、また息を吐いた。
その時だった。
目の前に、直径5センチの勾玉が現れる。
色は赤で、男の頭の高さでプカプカ浮遊している。
「……怪卵!?」
男は驚愕のあまり、コーヒーカップを落としてしまった。
「ああぁああああ!」
男は悲鳴を上げ、一目散に逃げ出した。
な、なんでだ!? なんで怪卵が、こんなところにいるんだ!?
男は登山道に入る。真っ暗な山道にスマホのライトを点けた。
男は後ろに、素早く振り返る。
「く、来るなっ、来るなあぁあっ」
男は叫んで、全速力で駆け出した。怪卵は浮遊して、すぐ後を追いかける。
……たしか、あっちの方でキャンプしてた人がいたはずっ、助けを求め――
「――うあ!?」
男は山道を横切っていた木の根っこに躓いて、激しく転倒してしまった。
「ああ、くそっ」
男はコケた拍子に離れた所に落としてしまった、スマホの明かりを見つめた。
急いで立ち上がろうとした時、背中に激痛が走る。
怪卵の表面に着いたギザギザでTシャツを破り、そのまま皮膚も破って、男の体内に潜り込んだ。
皮がぷっくりと膨らむ。その膨らみがズズズと、男の頭の方へ移動をし始めた。
「ぎゃああああ!」
男はのた打ち回る。
――ズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズ。
「ぎいやあぁぁぁああああああああ!!」
男の絶叫が山中に木霊した。その中で皮膚の下の怪卵は、男の首筋を通って脳へ辿り着く。
「ああ……あああ……、……」
男は声を出せなくなった。視界が無くなり、すぐに意識がなくなった。
「……」
男は目をパッと見開く。そして仰向けに大の字になって倒れた。
「……」
男は微動だにしなくなる。
しばらくして、2、3度ゲップみたいな音を鳴らした。もうしばらくすると、体の四肢がビクンビクンと振動しだす。
「……ああ、早速体を手に入れた、楽勝だな、がはは」
トシキチイスコチトは寝起きのように、気持ちよさそうに寄生した男の体を伸ばし始めた。
……よーし、この調子でンイナーニラーを起動させてっと、ここら一帯を焦土にしてっと……がはは、軽くやってのけてやるぜ。
……というか……モハステチケスイマコとかいう奴はどこ行きやがった。あいつのせいで計画が狂っちまったじゃねぇか。
あいつのせいでンイナーニラーとも離れちまった……まぁいっか、俺なら何の問題もない。カルカナ族の奴らめ、もう逃げ場所なんて全部潰してやるからな、待ってやが――んっ?
トシキチイスコチトは、山道をライトが近づいてくるのを見つけて立ち上がる。
「どうなさいました? 悲鳴が聞こえてきて、何かあったんですか?」
若い男だった。山道をこっちに歩いてくる。
「……」
トシキチイスコチトは辺りを見回した。
「こいつひとりか。ちょうど良い、飯だ飯だ、はははは」
と両手を握り、腰を落としてグッと体に力を入れた。瞬間、男の体は真っ白に変色する。
両肩の上の服が破れて、腕が生えていった。
「がああぁぁあ!」
叫び声と同時に、体がパンプアップして、着ている服がパンパンになった。
両目を囲むように6つの目玉がパチッと見開いて、真っ赤に光る。
「か、怪人っ?」
若い男は、ライトに照らされる目の前の光景に声も上げられない。
トシキチイスコチトは、そんな固まって動けない若い男に襲い掛かった。
「うぁぁぁぁ……」
若い男は弱い悲鳴を上げる。トシキチイスコチトは、かまわず4本の腕で抱きしめた。
「はははははは」
笑みを浮かべながら、ギリギリと締め付ける。
「がぁぁぁぁぁあああああっ」
トシキチイスコチトは、顔を丸ごと吞み込めるくらい大きく口を開けた。
頭を丸呑みにされた若い男は、ボキッボキッボキッと骨の折れる音がして、ピクピクと体を震わせ、まったく動かなくなる。
トシキチイスコチトは頭を食い千切ると、満足げに微笑んだ。
「へへへ……体も生で、ゆっくり戴こう」
トシキチイスコチトは、焚火のある自分のキャンプ場所へと、首のなくなった若い男を担いで戻っていく。
◇
――翌日、午後15時50分。
豆木山の山中、人骨が散乱している現場はブルーシートに囲まれて、大勢の警察が出入りしていた。
「遺体は間違いなく怪人による獣害です。検査の結果、被害者は発見者の友人のものでした」
青いゴム手袋をつけた鑑識官が、色白の背の高い、髪をオールバックにしている警官に伝える。
「了解しました」
警官は敬礼をする。
「怪人なんて、この街では6年ぶりです」
鑑識官の声が沈んだ。
「特災課との連携も、慣れないところはあるでしょうが、よろしくお願いします、飯島さん」
「ああ、共に怪人を駆除しよう、次の被害者が出る前に」
飯島はいつもの澄ました顔をして、鑑識官に言う。
「では失礼します」
鑑識官は敬礼して去って行った。
……通報したのは、この少し下ったところでキャンプしていた人物……寝て起きたら友人がいなくなっており、探したらこの惨状を見つけた……。
飯島は周りを見回す。
……きれいに舐めとって、生のまま食べられている……。
飯島は肉が綺麗に取られた散らばっている骨を見つめた。
この食べ方……ゴンゴ族なのは、明らかだ。
ここでキャンプをしていた人物に、ゴンゴ族が寄生して街に向かった……。
マスターに連絡しないと……我々にも被害が出てしまうぞ……。
飯島はブルーシート内から出た。
……ゲートから、これと共に来ている個体が2体いるはずだ。そっちは仲間じゃなければ良いんだが……。
とスマホを取り出す。
飯島は、マスターと書かれた通話先に電話を掛けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます