第2話
一頭になった馬の手綱を締め直している青年の手さばきを見て、父親は安堵していた。
霊的なものに襲われた直後だ。
助けてもらったとはいえ、こんな不死者が顕われるような山中をふらりと一人で旅をする痩身の青年に、一瞬不安を覚えたのも無理は無い。
しかしその手さばきは手慣れていて、人間の経験が染み付いていた。
これが霊なら、これほど人間的には目に映るまい。
「いやぁ……本当にすまんなぁ」
「いえ、いいんですよ」
馬の蹄も見つつ青年は穏やかな声で返した。そして出来た、と立ち上がる。
「丁度通りかかっただけですから」
父親は少し腕を捻っていたので、青年が代わりに手綱を持った。
馬はゆっくりと走り出す。
「これで無事にローディスまで行けるよ。良かったな」
荷台で二人の娘を抱きしめている妻も、安心したように頷いている。
「君はどこから来たんだい?」
「俺はヨンルーカの方からです」
「ヨンルーカ……すると北の方から山越えかい?」
「ええ」
「そりゃまた大変だ。あんなすごい魔術を使うっていうことは、巡礼さんか何かかな?」
「そんな大層なものではないですよ。さっきのもごく普通の魔法です。俺はただ吟遊詩人として世界を歩き回ってるだけです」
「そんなに若いのに、大変だねぇ」
母親が溜め息を零すと、青年は笑った。
「好きでやってることですから」
「いや、男なら若いうちに旅をするのはいいことさ。
俺も若い時は小規模だけどキャラバンを率いて旅をしたよ。
あの頃は丁度【オルフェーヴ大戦】終戦期でなぁ~。
エデンのいたるところで物資が不足してたから、どこへいっても歓迎されたよ。
息子でもいたらまた違うんだが、何しろうちはこの通り娘しかいなくてね。
これじゃあキャラバン生活も苦しかろうってことで、
今じゃバンクルスの方で店を構えて商いをしているよ」
青年は手綱捌きも上手かった。
かなり旅慣れているなという印象を父親は受けた。
「バンクルスですか。カドゥナの方ですね。近くの……キアフという街に立ち寄ったことがありますよ」
「ほぉ~キアフに行ったかい。あそこはバンクルスとは目と鼻の先だ。カドゥナは東部エデン交易の拠点なんだがねぇ……どうも最近リングレー周辺が治安が悪いモンで……それでなんとかこうして西側の交易ルートを開拓しようと、意気込んで出てみたらこんな所で不死者に会うとは、本当についてないよ」
「カドゥナ王国周辺は比較的治安は良好ですからね」
「うん。知ってるかい、ルブ砂漠に『白い鳥の兆し』っていう自警団の砦があるんだよ。それがあの辺りの賊やら何やらを倒してくれてるんだ」
「へぇ……」
「こう白い……そう、あんたさんが着てるみたいな魔術師の術衣を身に纏ってね。中には魔法の心得もある奴もいるようで」
「エルバト王国の自警団ですか?」
「いやいや。エルバトはもう、内紛がすごくて他の心配に兵を割く余裕なんてないのよ。カドゥナには戦闘を生業にする強い部族がいたりもするが、カドゥナの人間は姿ですぐ分かるからな……ありゃあここらの人間じゃないんじゃないかな」
カドゥナ人は皆、総じて浅黒い肌に髪の色も陽に焼けた薄い、特徴ある姿をしている人種だ。
確かに色んな混血種が共存するエデンで、部族的な伝統に則るカドゥナ人は、今だ純血の色が濃く残っている。
「それに『白き鳥』っていうのはここらじゃあんまりいい意味では使われない。エルバト王国なんかじゃ、白き鳥は国紋の輝く太陽を食らう伝説で知られてるし」
「【オザリス】――白い鳥の伝承ですね」
「博識だねぇ、お兄さん」
父親が感心したように言う。
「うん、だからね中には『白い鳥の兆し』はむしろ、ドリメニクの残党なんじゃねえかって言ってる奴もいるよ」
「ドリメニクですか?」
「ほら【有翼の蛇戦争】でドリメニク残党の最大拠点はリングレー山岳地帯だったからね。あのときエルバト王国軍に最後まで抵抗した軍の指揮官は、白い衣の魔術師として知られたバゼット将軍の一派だ。
だから『白い鳥の兆し』はそこの生き残りなんじゃねえかなって言う人もいるのさ」
「へぇ……」
「ドリメニクも併合されちまってもうないからなぁ。そんな連中が仮にいたとして帰る場所も、もうないんだろうってね。ま、噂だけど」
「そうなんですか」
「でも本当に助かったよお兄さん。賊ならまだ戦い方もあるが不死者ってのはどうも……襲われたのは初めてだよ。霊的なものには剣なんか効かないもんなぁ」
「不死者はどちらかというと北方に多いですからね。俺も南方ではあんまり見たことが無いです。特にこのカドゥナからローディスの行路は安全だって聞いてたから。普通に野宿とかしてました」
「なんだか年々エデン全体が、どこもかしこも治安が悪くなってる感じがするんだよなぁ」
主人はぼやいている。
「不死者にも色んなものがいますが、先程のような浮遊霊は動物と同じようなものですよ。捕食の為にウロウロしていますが、敢えて危険を冒そうとは彼らもしないんです。だから不死者が嫌うような護符を持っているだけで、出会う可能性は極端に低くなります。向こうが感じ取って回避しますから。熊避けの鈴のようなものですね」
言って、青年は腰に下げていた鞄から一つの宝石のついたペンダントを取り出して主人に手渡した。
「これは?」
「聖なる力を持つ護符です。
ザイウォンで加工されたもので、持っているだけで邪気を払うと言われています」
「そうなのかい。いやぁ……不死者のことはからっきし疎くて……」
「どうぞ。お持ちになって下さい」
「えっ? いやそれはいかんよ。高価そうなものじゃないか」
いかにも商人らしい返しに、青年は笑ったようだった。
「いえ。それは前に立ち寄った洞窟でキャラバン隊の人からもらったんです。
同じように不死者に襲われてる所を助けたらくれて……。
浮遊霊なら払えますが、ダンジョンや洞窟、魔的な因縁の深い所にいる不死者は、これでは払えないんですよ。
そういう霊は人間を明確に狙っているからこういう護符はかえって不死者を刺激して、呼び込んでしまうんです。だから持ってればいいってもんじゃないんだねってその人達から貰ったんです。貰いものですから」
「そうなのか~。知らなかった。そう聞くとなんだか浮遊霊が可愛く聞こえるな」
「はは……そうですね。だから動物と同じなんです。彼らはこういうものを嫌いますから、効果はありますよ。妄執の霊は凶暴ですが、彼らのいる場所は限られていますから、そこに立ち入らなければこれを持っていても害にはなりません。どうぞ」
「いや、すまないね……助かるよ。でもお兄さんはこれがなくて平気なのかい?」
青年はもう一度笑った。
「俺は大丈夫です。一応少し魔術の心得がありますから」
見た所二十前後の若い青年だ。
栗色の髪に明るい翡翠のような印象的な瞳をした、非常に見目のいい若者だった。
現われた時は汚れたフードを深く被っていたので、もっと年を取っているように見えたが。
まだ少年の域をようやく出たばかりのような。
「そうやって旅をしながら人助けをしているなんて、若いのに感心だなぁ」
「いや、人助けはたまたまです。単に旅が好きなだけですから、そんなに誉められたものじゃないんです」
街で朗らかに友人たちと遊んでいても、全くそこに溶け込む。
そんな普通の笑顔を持つ青年だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます