第9話:語り継がれる悲劇、安徳天皇

 山口県下関市.

 関門海峡を望む壇ノ浦.

 木村悠(きむら ゆう)は、

 潮風に髪をなびかせた.

「撮るなら、真実をね」

 口癖が、静かにこぼれる.

 彼女は、歴史ドキュメンタリーの、

 ディレクターだ.

 新たな企画のため、

 この地を初めて訪れた.


 今日の推しは、安徳天皇.

 源平合戦の最終局面.

 わずか8歳で入水した、悲劇の幼帝だ.

 その生涯は、あまりにも短く、

 そして残酷だった.

 悠は、彼の無念を、

 映像として残したいと願っていた.

 壇ノ浦の海岸に立つ.

 波の音が、心をざわつかせる.


 安徳天皇が最期を迎えたとされる場所.

 そこに置かれた小さな慰霊碑に触れた.

 ひんやりとした石の感触が、

 指先から伝わってくる.


 その瞬間だった.

 風景が、まるで映画のように脳裏に流れ込む.

 安徳天皇が感じた感情だけが、胸に焼きついた.

 声はない.

 音もない.


 ――そこは、荒れ狂う海.

 燃え盛る船.

 悲鳴と怒号が飛び交う.

 幼い安徳天皇は、

 乳母に抱きかかえられている.

 彼の瞳は、恐怖に震えている.

 しかし、その小さな身体は、

 すでに運命を受け入れているかのようだった.


 幻視は続く.

 乳母が、幼い天皇を抱いて.

 波立つ海へと身を投げる.

 その瞬間、

 天皇の顔に、一筋の涙が伝う.

 それは、死への恐怖か。

 あるいは、生への未練か。

 幼い命が、濁流に消えていく。

 その光景は、あまりにも悲惨だった。

 権力争いの犠牲となった、

 無垢な命の無念。

 理想と現実のギャップ。

 それが、悠の心に深く流れ込む。

 悠は軽い頭痛を覚えた。


 幻視から覚めた悠は、

 しばらく慰霊碑に手を置いたままだった.

 頭がくらくらする.

 安徳天皇の生涯は、

 教科書に記された一行の事実ではない.

 そこには、筆舌に尽くしがたい悲劇があった.

 その真実に、胸が締め付けられる.

「これはまずい…!」

「真実を、撮る…?」

 悠の口から、小さな呟きが漏れる.

 ドキュメンタリーの方向性.

 悲惨な事実を、どう伝えるべきか.

 悩みが、深くのしかかる.


 壇ノ浦の海岸で、取材を続ける.

 カメラを回し、ノートにメモを取る.

 その時だ.

 突然の突風が吹いた.

 手に持っていた大切な取材ノート.

 風にあおられ、海へと飛ばされてしまう.

「最悪!こんなところでノート失くすとか、ディレクター失格だわ…!」

 焦りが広がる.

 波にさらわれ、ノートは遠ざかっていく.

 万事休す。


 すると、近くにいた地元の漁師が、

 さっと近づいてきた.

 彼は、小さな漁船を操っている.

「お嬢ちゃん、危ないぞ!」

 そう言って、船を近づける.

 慣れた手つきで、ノートを回収してくれる.

「ありがとうございます!」

 悠は、安堵の息を吐く.

「この海は、安徳天皇様の魂が眠る」

「神聖な場所だから、粗末にしちゃいけない」

 漁師は、優しい声で語り始めた.

 彼は、地元に伝わる安徳天皇を悼む、

 「先帝祭」の様子を話してくれた.

 人々が悲劇をどう乗り越え、

 幼い天皇の魂を慰めてきたか.

 その話に、悠は深く聞き入る.

 悲劇の裏にある、

 人々の深い祈りと、希望の物語.


「なるほどね、真実はひとつじゃない…」

「推しの悲劇の向こうに、」

「こんなにも温かい祈りがあったなんて」

 悠の顔に、柔らかな光が灯る.

 トラブルがきっかけで、

 推しの悲劇の裏にある、

 人々の祈りと希望という新たなテーマを見出した.

 ドキュメンタリーの制作意欲が、

 再び、胸に湧き立つ.


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次回予告


壇ノ浦の地で、安徳天皇の悲劇と、それを語り継ぐ人々の祈りに触れた悠。歴史の深淵には、人の営みと希望があることを知ったようです。推しの悲劇の裏にある、人々の祈りと希望という新たなテーマを見出し、番組の制作意欲が湧き立ちました。


次なる旅は、広島県宮島と京都へ。経済学を学ぶ大学生が、武士でありながら経済を動かした異色の天下人、平清盛の足跡を追います。彼の推しは、彼にどんな気づきをもたらすのでしょうか?


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