転生悪役令嬢だけど、私を断罪する女を『BL沼』に沈ませる。

のっち

第1話『悪役令嬢、まずは一冊目を読ませる』

私の名前は、リリス=ヴァンディール。


名門ヴァンディール侯爵家の一人娘にして、王太子の婚約者。そしてこの乙女ゲームの――悪役令嬢である。


「……はぁ。なんでこう、私の人生ってテンプレ通りなのかしらね」


絹のカーテンを払い、朝の光に目を細めながら、私はため息をついた。

鏡に映るのは、見事な金髪縦ロール。青い瞳。完璧な貴族令嬢スタイル。

ゲームをプレイしていた私が、まさかこのキャラに転生するとは思わなかった。


よりによって、王太子ルートで毎回断崖絶壁エンドを迎えるキャラに。


「クラリッサ・ミルフォード……あの子さえいなければ、私は王太子と結婚して悠々自適に貴族ライフを楽しめたのに」


そう。クラリッサ。

庶民出身、異例の聖女認定、美しき心の持ち主。

この世界のヒロインにして、私を地獄に突き落とす女。


だが――今回は違う。


私は知っている。クラリッサには“恋”以外に関心はない。

だが、“恋”の形が限定的であるうちは、恋そのものを歪ませる余地がある。


「“異性”が尊いと思っているなら、“同性”に目覚めさせればいい」


私には武器がある。前世で培った想像力。妄想力。

そして、いまだ脳裏に焼きつく数々の――尊いBLカプの記憶。


「まずは、王太子と騎士団長の距離感から、崩していきましょう」


彼らの何気ない視線の交差、指先の触れ合い、背中を預ける信頼――


それを、“作品”に昇華する。


「誰にも気づかれない形で、じわじわと“沼の入口”を広げてあげるわ。

 ……見てなさい、クラリッサ。あなたはいつか、自分で自分の婚約を壊すことになるのよ」



 ◇ ◇ ◇



「……はじめまして。リリス様、ですよね?」


その声は、思ったよりも澄んでいて――そして、思った通りに腹立たしかった。


読書会の会場に張り詰めていた静寂を、まるで雫が落ちるように柔らかく破るその声音。

銀糸のような髪をゆるやかに揺らしながら、クラリッサ・ミルフォードは深く優美にお辞儀をした。


白百合の花を思わせる淡いドレスに、伏し目がちな笑顔。

口調は丁寧で、仕草は控えめ。

だがその全身からにじみ出る“善性オーラ”が、遠慮なく私の胃を直撃した。


(……はいはい。美しき清らか系ヒロイン、ね)


「わたくし、クラリッサと申します。以前より、リリス様のお噂は――」


「ええ、私もあなたのことは存じているわ。……とても、特別な方なのだと」


こちらもにこやかに返す。完璧な社交辞令の笑顔を崩さずに。

この世界では、どれほど歯がきしんでも、笑顔こそが最強の鎧。


だがその裏で、私は冷静に彼女の顔を観察していた。


(この目……完全に油断してる。“守られるべき者”であることを、疑っていない)


ふわりと浮かぶような立ち方、どこにも緊張のない微笑。

自分が祝福され、正義であり、選ばれる側だと――疑いすら抱いていない顔。


いいわ。

そのまま、何も知らずに、わたくしの“沼”へ足を踏み入れて。


「それにしても、読書会なんて素敵ですわね」


「はい。皆さまと感想を語り合えるのが、楽しみで……!」


クラリッサは本当に嬉しそうに言った。

心から無垢な瞳で、並べられた本の山を見つめている。


読書会といっても、貴族令嬢たちの間で流行しているのは、決まって“恋愛小説”や“騎士道譚”。

ピュアで健全、時折涙腺をくすぐるハートフルな一冊。


――でも、その棚のすみっこに、私は一本だけ“異物”を紛れ込ませておいた。


タイトルは《薔薇の剣に誓って》。

著者名は匿名。装丁は貴族令嬢の趣味に合わせ、上品な挿絵と薄めの装飾。


中身は、王太子と騎士団長が“友情”の名のもとに夜な夜な剣を交える――という名の恋愛短編。

構成はあくまで丁寧に。だが、“刺す”部分は、確実に刺さるように。


「まぁ……こちらの本は、初めて見ますわね」


クラリッサが、本棚の端にそっと伸ばした指で、その一冊をつまみあげた。

細く整えられた指先。ふわりと揺れる金のブックマーク。


心臓が跳ねた。

だが、表情には微塵も出さない。


(落ち着いて、リリス。ここで焦るのはいけない。)


「よろしければ、ご一緒に読みませんか? リリス様も、お好きな本などあれば」


ふふ――来たわね。

この言葉を、私は待っていた。


「ええ、ではこれをご一緒に」


私は、あえて“無関心な令嬢”のふりをして、クラリッサの隣に腰を下ろした。



 ◇ ◇ ◇



その日の読書会。


クラリッサは、表紙を一瞥し、少しだけ眉をひそめた。

だが、すぐに何も言わずページをめくる。

綴られた文字に視線を滑らせながら、時折、指が止まる。

けれど最後までは、到達しなかった。


「……これは……少し、わたくしには……」


静かに本を閉じる。


「続き、気になりますのに。けれど……何か、こう……胸がざわついてしまって……」


声は静かだったが、その奥にある戸惑いは本物だった。


――いい反応だ。

まったくの拒絶ではない。だが受け入れたわけでもない。


この、名のない違和感。

恋と友情のあいだに立ち止まる、その“揺らぎ”こそが、すべての始まり。


(さぁ、クラリッサ……

 お前のその感情を、いつまで“友情”と呼べるかしら)

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