幕間
第44話 ヴィリム
ヴィリムの父は厳しかった。
母がいないこともあり、家の中では寂しさを募らせる毎日が続いた。
近所の人が食事などの面倒をみてくれたが、その家で夜を過ごすことはなかった。
必ず自分の家に帰り、父の帰りを待つ。
彼の幼少期とは、そんな時分であった。
ヴィリムは父の関心を得る方法を見つけた。
それは戦い。戦士としての才に恵まれなかったという強いコンプレックスを抱える父は、自分の息子にリベンジを託したのだ。
だからヴィリムが母の才を引き継いでいることが分かると、父は教育の鞭をさらに強く振るい始めた。
そしてヴィリムもその期待に応えるべく、努力を惜しまなかった。
そんなヴィリムが、一風変わった年下の少年と出会ったのは六歳の頃だった。
村では見たこともない珍しい黒髪をした少年が、この村最強とも称される男と共に訓練に励んでいるところを偶然覗いてしまったのだ。
ヴィリムはその壮絶な訓練に息を呑んだ。
何度も何度も吹き飛ばされ、事あるごとに殴られている。
気絶してもその男は手心を加えることなく、雪解け水をぶっかけて強引に起こすと、再び折檻のような稽古が始まる。
ヴィリムから見ても、あまりに厳しすぎる訓練であった。
そんな訓練を毎日のように盗み見ていたヴィリムは、その黒髪の少年が見る間に剣の腕を上げていることに気付いた。
あれだけの猛攻を毎日のように受けているからか、守りの練度に関しては、彼では及びもつかない域にまで達しており、ヴィリムが危機感を覚えたほどだ。
だから良い訓練相手になると感じた。
それにグラント族最強の男の息子に勝てば、父は絶対に褒めてくれる。
そう幼心に抱いたヴィリムは、早速その黒髪の少年に勝負を挑んだ。
「おい! 黒髪! 俺と遊んでけよ!」
この村の子どもは基本短気だ。
簡単に挑発に乗る。
そう踏んでヴィリムは相手を嘲った。
本気で喧嘩ができると思ったからだ。
しかし相手は間抜け面でヴィリムを見るばかりで、戦いの意志すら感じない。
なんなら武器すら持っていなかった。
ヴィリムは仕方なく、当時「カッコいいから」と二刀の練習に使っていた片方の木剣を少年に投げ渡し、殴りかかった。
結果はボロ勝ち。
途中、びっくりするほど相手の力が強くなり、ヴィリムは一本取られるところまで追い詰められたが、なぜかその一撃は寸前で止まった。
手加減されたと憤りを覚えて一気に火がついたヴィリムの一方的な攻撃で、あっけなく勝負はついた。
戦う気概がない。
そう感じた瞬間、ヴィリムは自分の中からその少年への興味がスッと消えていくのを感じ取り、退屈そうにその場を後にした。
才能は間違いなくあるというのに。
恐らくそれは自分よりもずっと……。
そう考えると妙に腹が立つ。
「ジールの倅に勝ったみたいだな」
「う、うん」
「よくやった」
満足げな表情を浮かべる父に褒められて嬉しくないはずがなかった。
あの少年の名前を知ったのもこの時だった。
しかしその顔にどこか粘着質なものを感じ、ヴィリムは素直に喜ぶことができなかった。
その答えはすぐに分かった。
父が同年代の子たちに対して、その少年──リオンの悪いイメージをばらまいているところをヴィリムは目撃してしまったのだ。
なぜ父がそんなことをするのか、ヴィリムは疑問に思った。
しかしそんなことよりも、この陰湿なやり方に嫌気が差した。
自分の父ながら、理解に苦しんだ。
父はリオンのことを悪し様に語るが、ヴィリムはそうは思っていなかった。
戦士に見合わないその性格は気に食わないが、訓練を見る限り根性はあった。
それにヴィリムが羨む才能もある。だから余計に気に食わない。
それでも父の物言いは不当だと感じ、ヴィリムは初めて父に抗議した。
「ジールのガキの肩を持つのか」
父が見せた暗く濁った目を、ヴィリムは今でも忘れられずにいた。
その日からさらに父の教育は厳しさを増した。
寝る以外の時間は鍛錬に当てられ、食事の時も厠の時も一日中剣を握らされ、剣の感覚を体に覚え込ませるよう言われた。
父を恐れたヴィリムはそれに従うしかなかった。
真面目に訓練を続けるうちに、父の機嫌も徐々に元に戻り、ヴィリムも一安心していた矢先、それは起きた。
ヴィリムが密かに想いを寄せていた少女──ユエとリオンが急接近しているのを、もやもやした気持ちで見ていた時のことだ。
ユエと一緒に近くの安全な山に出かけた際、突如として現れた精獣。
その巣穴に落ちてしまったユエを、リオンは助け出してしまったのだ。
自分が咆哮を聞いただけで恐れた精獣を、リオンはユエと協力して倒してしまったというのだから、リオンが小さな虎の赤子を抱いて山を下りてきた時は信じられず、ヴィリムは驚愕した。
戦士としての気概がないリオンよりも、自分の方が優れていると信じ切っていたヴィリムにとって、それは自信が打ち砕かれる出来事だった。
しかし、ヴィリム以上に快く思っていなかったのが、ヴィリムの父──ヴィクターだった。
ひとつ下の世代には、リオンはまるで英雄のように映っている。
それに抗うようにヴィクターは、ヴィリム世代の子たちにリオンの悪評を吹き込み続けた。
子どもたちも彼の言葉に違和感を抱きながらも、面倒なのか恐ろしいのか、無視できないまま時は流れた。
リオンには才能がある。
しかし、それが自分より下であると確かめたくて、ヴィリムはリオンに勝負を仕掛けた。
エクルットとの模擬戦で見せた才能の片鱗を越えようとしたのだ。
しかし結果は惨敗。
エクルットが見せたようなフェイントを放つリオンを前に、ヴィリムは膝を突く羽目になった。
そしてその無様な姿を父に見られてしまった。
見たこともない怒りに染まった父の顔に、ヴィリムは自分の過ちを自覚した。
そしてその日から、寝る間すら削る訓練の日々が始まった。
真面目に取り組めば、強くなればまた許してくれる。
そう考えたヴィリムは、その無茶な訓練にがむしゃらにしがみついた。
それは、見捨てて先に帰ろうとする父の足に縋りつく子どものようだった。
一日中気を張り詰めていないと倒れそうなほど追い詰められていたヴィリムに、助けの手が差し伸べられた。
他の誰でもない、リオンからだった。
自分とエクルットを渓谷まで呼び、そして強引に眠らされた。
意識が朧げな中、アイマスクの下で微かなやり取りをヴィリムは耳にした。
それはリオンとエクルットの吐いた弱音。そしてリオンのこれからについてだった。
──この村を出るかもしれない。
眠りと覚醒の狭間で聞いたのは、そんな会話だった。
ヴィリムは知ってしまった。
リオンの抱える苦悩を。
そして同時に思う。
負けたままでは終われないと。
だからヴィリムはこの日から、リオンに対して積極的に訓練に付き合うようになった。
戦いに対する恐れ、魔物に対する恐れを消そうと、ゴブリン狩りにも連れ出した。
ヴィリムはリオンをこの村から逃がすつもりはなかったのだ。
そしてそれは、ゴブリンの大群との戦いを通じてリオンがリーダーとなったことにより、決定的なものとなった。
リーダーを狙っていたヴィリムからすれば少し癪だったが、それでもリオンがここに残る理由になるならと考え、素直にポランの推薦を後押しした。
はっきりしていなかったリーダーの誕生によって、ヴィリムたちの結束はこれまで以上のものとなった。
ひとつ気がかりなのは父ヴィクターの反応だった。
リオンがリーダーになったと聞いた時、父は明らかに機嫌を悪くした。
しかし渓谷での一件以降、エクルットからの諫言が効いたのか、ヴィクターのヴィリムに対する態度は随分とマシになった。
むしろ冷たいと言えるくらいに。
関心を寄せなくなった父にヴィリムは不安を抱いたが、もっと努力して強くなれば、いつか父の関心も戻ると信じていた。
村に帰ってきているというのに中々家におらず、どこかに出かけている父を見返すために、ヴィリムは大群との戦闘で疲れた体を引きずって自主訓練に出た。
休息しなければと分かっていながら、気持ちが逸って抑えられなかったヴィリムは、訓練への道中に変な音を聞いて立ち止まる。
近くの木に隠れて気配を殺す。
そこには、林の中で腹の中の物を吐き出すリオンの姿があった。
──……っ…………
何かを繰り返し呟いていたが、ここからでは聞き取れなかった。
そしてそこにユエが現れた。
二人は肌が触れ合うほどに近づき、何かを話す。
緊迫した空気がヴィリムの隠れる場所からでも伝わってくる。
何より、お互いを本気で大切に想い合っている雰囲気がそこにはあった。
「帰るか」
家を出る前の逸った気持ちが嘘のように冷め、体の疲れを自覚したヴィリムは、重い足取りで家に帰ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます