サンウォーカー
アガタ
灼熱の大地にて
アスファルトは熱で波打ち、遠くの景色を歪ませていた。
まるで巨大なフライパンの上にいるような、焦げ付くような熱気が全身を包む。ゴーグル越しに見える気温表示は、52度。
この地域では、もはや日常の光景だ。
タケルは、防護服を着てゴーグルをつけ、陽炎の立つ廃棄された外地に立っていた。タケルは、この灼熱の地でレスキュー隊員として生きている。
と言っても、火災現場に突入するわけでも、倒壊したビルから生存者を救い出すわけでもない。レスキュー隊の仕事は、『サンウォーカー』を回収することだ。
サンウォーカー。
それは、ドーム都市の快適な暮らしに絶望し、自らこの灼熱の地へと足を踏み入れた者たちのことだ。
彼らは、まるで砂漠に吸い込まれるように、意識を失って倒れるまで歩き続ける。そして、そのまま息絶える。それが彼らの選んだ、『熱中症自殺』だった。
ドーム都市「高天原」。外地の地獄とは裏腹に、内地と呼ばれるそこは完璧な世界だった。
室温25度に保たれた快適な空間。栄養バランスの取れた合成食品がいつでも手に入る。そして、街の隅々まで行き届いた、AIによる完璧な監視システム。犯罪はゼロ。貧困も、病気も、争いも、そこには存在しない。
かつて、人類は地球の温暖化を食い止めるために奔走した。
しかし、手遅れだった。数世紀にわたる産業活動が地球を蝕み、平均気温は上昇の一途を辿った。やがて、地表は生命が生存できないほどの灼熱の不毛の地と化した。生き残った人類は、最後の望みを託して各地に巨大なドーム都市を建設した。その一つが、この「高天原」だ。
高天原は、まさに楽園だった。
だが、その完璧な楽園は、同時に完璧な監獄でもあった。全ての情報がAIによって管理され、個人の自由は極限まで制限されていた。何を食べ、何を学び、誰と交流するのか。全てはAIの導きによって決められる。人間はただ、与えられた役割を全うするだけの存在に成り下がっていた。
「タケル、応答しろ。目標地点に到達したか?それとも熱中症か?」
インカムから、相棒のリュウジの声がした。彼の声は、いつもどこか皮肉めいて聴こえる。
「ああ、もうすぐだ。いつものことながら、よくこんな場所まで歩いたもんだ」
俺は、前方に見える小さな人影に目を凝らす。それは、うつ伏せに倒れたサンウォーカーの姿だった。彼の傍らには、使い古された水筒が転がっている。
今日で一体目の回収だ。
これから先、どれだけのサンウォーカーを回収することになるのだろうか。
ドームの安全な生活にうんざりした人々は、監視の目を掻い潜り、あえて危険な外地へと足を踏み出す。
タケルはレスキュー隊員として、何度もその光景を目にしてきた。
彼らは炎天下の中、自らの体力が尽きるまで歩き続ける。意識が朦朧とし、皮膚が焼けただれ、喉がカラカラに乾いても、彼らは足を止めない。
そして、最後は静かに、あるいは苦悶の表情を浮かべながら、灼熱の地面に倒れ込む。
彼らは、完璧な管理下の生ではなく、自らの選択による「死」を選んだのだ。
その行為は、匿名性の高いダークウェブ上のSNSでリアルタイムに配信され、多くのフォロワーが彼らの「最後の旅」を見届けた。
一部の若者たちの間では、サンウォーカーとなって、外地へ出ることは究極の反抗であり、唯一の「自由な死」であるとさえ崇められていた。
タケルは、防護服の中でため息をついた。
「こちらシェパード。こちらシェパード。ZONE-50A地点にてサンウォーカーを発見」
タケルは繰り返しながら、灼熱の砂塵の向こうに横たわる黒い影に目を凝らした。うつ伏せに倒れたサンウォーカーはぴくりともしない。
防護服を被ったまま、タケルは深く息を吐く。
(肺が焼けるようだ)
防護服の中でも、暑さはかすかに感じらた。灼熱の空気感が、喉を通して伝わるのだ。
(さて……)
こんな場所で倒れている人間なんて、死んでるか、死にかけてるかのどちらかだ。そして、ほとんどの場合、後者は前者と同じ意味を持つ。
タケルは全地形対応型のバギーを彼のそばに停め、慎重に降りた。
足元の砂利が熱でチリチリと音を立てる。防護服を着ていても、じりじりと肌が焼ける感覚がして、ヒリヒリした。
倒れている男は、まだ若いようだった。腕と足は泥と砂にまみれ、衣服は破れて焦げ付いている。背中には、おそらく彼の「最後の旅」のために持ち出したであろう、小さなバックパックがへこんで寄り添っていた。
タケルは彼の首筋に指を当てた。
「まいったな。生きてるぞ」
タケルは忌々しげにリュウジに報告した。熱中症の最終段階だ。
「意識はないな。脈も弱い」
このまま数分でも放置すれば、命の保証はない。それでも、彼らは自らこの場所を選んだのだ。
救助用ストレッチャーを展開し、男の体を慎重に乗せる。皮膚は熱を持ち、わずかにぴくりと動いたが、それは彼の意思によるものではないだろう。ストレッチャーをバギーの荷台に固定しながら、俺は彼の顔を見た。
苦悶とも安堵ともつかない、乾ききった表情。その顔。
「回収完了。ドームへ帰投する」
リュウジに告げ、俺はバギーのエンジンをかけた。タイヤが砂塵を巻き上げ、灼熱の荒野を後にする。後部座席に横たわるサンウォーカーは、もう二度と、この地を踏むことはないだろう。
回収したサンウォーカーをドーム内の医療ブロックに運び込む。
サンウォーカーを医療ブロックに運ぶ度、タケルはいつも同じことを考えていた。
奴らは本当に「自由な死」を手に入れたのか?それとも、ただ、より悲惨な「生」を手に入れただけなのか。
今回運んできた男は、幸運にも一命を取りとめた。しかし、それは「幸運」と呼べるものなのだろうか。
彼の目の焦点は二度と定まらないであろうことが推測された。
サンウォーカー、いや、熱中症自殺未遂者は、意識が戻った時、もはや自分の名前すらおぼろげだろう。脳が灼熱に焼かれ、彼は高次脳機能障害を負うのだ。医師が差し出したコップを、震える手で何度も取り落とす。言葉を発しようとするたびに、意味不明なうめき声が喉から漏れるだけだ。
記憶、思考、感情。
人間の根幹をなすそれらが、砂のように指の間からこぼれ落ちて行く。
足は常にふらつき、一本の線の上をまっすぐ歩くこともできない。小脳失調だ。彼は時折、虚ろな目で自分の足を見つめ、静かに涙を流す。
そして、最も残酷な予想は、
彼は、外地の世界に「自由」を求めた。だが、その代償として得たのは、肉体と精神の深い傷だった。ドームの監視と管理から逃れても、待っていたのは、もっと残酷な「生」の現実。意識を失うほどの高熱が、彼の脳を、神経を、焼き尽くしていたのだ。
タケルは、灼熱の地表で回収したサンウォーカーを見るたびに、自問自答を繰り返す。これは本当に、彼らが望んだ「自由」なのだろうか。
その問いの答えは、未だに見つからない。
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サンウォーカー アガタ @agtagt
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