最終章 わたしの、名前のない性へ

スイッチは、無音で作動した。


押した瞬間、何も起きなかった。

爆発も、光も、世界の崩壊もなかった。

ただ、静かに、静かに──世界の“意味”が書き換えられた。


ミオは、目を覚ました。


教室。

制服。

窓から入る風。

なにもかも、いつも通り。


でも──なにかが違った。


「……違う。これ、“私の視点”が変わったんだ」


人々の視線はもう、性別のタグを持っていなかった。

“ふたなり”というラベルも、男/女という二分も、ただの記号にすぎない。


誰もが、自分を説明する言葉を、自分で選んでいた。


ある者は、「私の性は“うた”です」と名乗った。

ある者は、「しなやかな関節を持つ存在」と言った。

またある者は、「自分は“いない”」とすら名乗った。


ミオも、問われた。


「あなたの“性”は?」


彼女は答えた。


「……“ミオ”です」


それで、誰も疑問を抱かなかった。


──それが、あたりまえだったから。


放課後。

屋上。

風の匂いも、夕陽も、いつも通り。


Aがそこにいた。

膝を立てて、コンビニのサンドイッチをかじっていた。


「おかえり、ミオ」


「ただいま」


「世界は変わったね」


「ううん、“私”が変わっただけだよ」


Aはにやっと笑った。


「じゃあ、今の世界、どう思う?」


「不安もある。でもね……」


ミオは、Aの目を見る。


「わたしは、わたしの名前で、生きていける」


「かっこいいじゃん」


その言葉を聞いた瞬間──

ミオの中に、確かに“なにか”が芽生えた。


それは、かつて“ふたなり”と呼ばれていたものの残滓。

でももう、誰もそれをそう呼ばない。


それは、ただ、“わたし”という存在の一部だった。


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