第34話 その頃のミレディーさん

     34 その頃のミレディーさん


 この時――愛沢トトは恩讐を超えた。


 私は真仲絆を殺されたから、戦うのではない。

 ただ純粋に、ミレディーを止めたいと言う使命感に駆られてこの戦いに臨む。


 既に人間を超えている私は、ミレディーに向けて蹴りを放つ。

 だが、結果は先程の焼き直しに過ぎない。


 ミレディーは悠々と私の蹴りをいなし、無理やり隙を作らせ、攻撃を加えてくる。

 私はギリギリの所で彼女の攻撃を防御するが、僅かに呼吸を乱した。


 私はこの一瞬の攻防劇だけで、自分と彼女の力量差を悟る。


「ええ。

 そう。

 私には、数百年生きたというアドバンテージがある。

 力を求めたミレディーは、結構真面目に戦闘訓練を積んだの。

 貴方も武術の心得がある様だけど、私と比べればそもそもキャリアが足りなすぎる。

 そのにわか仕込みの格闘術では、達人の領域に達したこのミレディーには敵わない」


「………」


 彼女が余裕綽々なのは、その為か。

 私の戦闘技術では、決して自分を脅かす事はない。


 そう確信するが為に、ミレディー・ド・ウィンターはここでも嗤った。


「更に、もう一つ特別サービスをしてあげましょう。

 私は今、自分の能力を含めて十一もの異能を有している。

 でも、私がこの戦いで使うのは、一つだけ。

 私がたった一つの能力を使用するだけで、貴方は私に完敗するの、愛沢トト」


「………」


 本当に、扱き下ろされているな、私は。

 ダルタニャンの助力は受けず、能力も制限する。


 そこまでハンディを付けてくるのかと、私は眉根を歪めるしかない。


「悪いけど、本気にするわよ、私は。

 私は必ず――貴方を後悔させる」


 彼女に勝つ為、愛沢トトは半ばプライドを捨てる。

 ミレディー・ド・ウィンターを止める為に、私は己の全てを擲った。


「というか――」


「んん?」


「――私の能力を知る前に、そんな大口を叩くのはどうかと思う」


 一笑する、私。


 途端、愛沢トトは――ミレディー・ド・ウィンターの前から消失した。


     ◇


《これは――》


 感嘆とも言える声を漏らす、ミレディー。

 私はただ、駆けるだけだ。


《――まさか、貴方は〝全ての物理法則を無視〟している?》


《正解》


 よって、愛沢トトを縛る鎖は、存在しない。


 空気抵抗も、重力も、光速より速く動ける物体はないという法則性も、私は無視する。

 

 私を規制する制限があるとすれば、それは私の常識位だ。

 私は私の常識さえ拡大解釈する事が出来れば、無限に強くなれる。


 実際、戦闘技術では劣っている筈の私は、初めてミレディーに攻撃を加えた。


《つ!》


 いや。

 正確には、私の蹴りは右腕でガードされた。


 けど、身体能力は、私の方が上だ。


 ならば私はこのフィジカルを以て――あのミレディー・ド・ウィンターを打ち倒す。

 

 故に私は――駆けて、駆けて、駆けて、駆けて、駆けて、駆け続ける――!


 この常軌を逸した速度を使い、ミレディーを翻弄して、彼女に攻撃を加えていく。

 無駄な動きは隙を生じさせると悟ったのか、ミレディーは不動のまま私を迎え撃つ。


《ぐっ……つっ!》


 だが、私とて無傷ではいられない。


 私の常識が、私の発想を縛る。

 私が今の状態に疑問を抱いた時点で、私の体に反動を与える。

 

 こんな事はありえないという私の常識が、私を傷つけようとするのだ。


《――けど、そんな事は、知らない》


 限界など、知らない。

 今の私は、あらゆる物理法則を、無視できる。


 なら、私は、一瞬でもはやく、この悪女を倒さないと。


 ある種の強迫観念に駆られた私は、だからミレディーに対する攻撃を続けた。


《フ――!》


 けれど、既に達人の領域に達している彼女は、私の攻撃をいなし続ける。

 逆に、強引に隙を生じさせ、反撃してくる余裕さえあるではないか。


《――ハっ!》


 だがそんな彼女の泰然とした姿が〝私はまだ限界に達していない〟という思いに至らせる。

 それは私の攻撃を防ぎ続けるミレディー自身が、物語っていた。


 私はまだこの先の領域に達する事が出来る、余地がある。


 既に目も足も腕も、軋んで、今にも壊れそうだ。

 

 体中が悲鳴を上げる中、私はミレディーと言う限界を目指して疾走を続けた。


《おあああああああああああああ――!》


 その試みは、成功に至る。

 いよいよ私は、ミレディーと言う限界を突破した。


 現に私の蹴りは、遂に彼女の頭部に決まったではないか。


《なっ……はっ?》


 しかし、そう確信していた私に、ある種の超常現象が炸裂した。

 私の蹴りがミレディーに届く前に、私の体は遥か彼方に吹き飛ばされる。


 宇宙空間まで吹き飛ばされた私は、我が耳を疑った。


《ええ。

 そう。

 これが、私のカード。

 このミレディー・ド・ウィンターは――〝あらゆる死を遠ざける〟――。

『完全逃避』と言う名のそれは――私を無敵足らしめるの。

 そんな私を、貴方は本当に倒せて――?》


《……何、ですって?》


 あらゆる死を、遠ざける能力。


 それがミレディーの異能だと、彼女は語った。


 その意味を知った時、私は奥歯を噛みしめる。

 これでは本当に無敵ではないかと、私は歯ぎしりさえした。


《でも――私は貴方を倒すしかない!》


 悲鳴にも似た声を上げながら、私は宇宙空間を駆け、ミレディーのもとに戻る。

 助走をつけたその蹴りは、容易にミレディーの頭部に決まる筈だった。


 だが、その死の形さえ、ミレディー・ド・ウィンターは遠ざける。

 彼女は悠々と、私と言う己の死を逃避したのだ。


 だったら私は、その能力限界を超えるまで。

 あらゆる物理法則を無視できる私なら、彼女が生じさせている異能さえ無効化出来る。


 私のその強すぎる想いは、しかし思わぬ反撃を招いた。


 私の、五グーゴルプレックス回目の攻撃を凌いだミレディーは、奇怪な事を謳う。


《一見する限り、これは防御の為の能力に見えるわ。

 でも、仮に私が自分の脳内処理速度を減速させたなら、どうなると思う――?》


《――な、にっ?》


 それは、どこかで誰かが言っていた様な話だ。

 ただその意味が分からない私は、会心の一撃をミレディーに加えようとした。


 その時、私の意識は黒く染まる。


〝死〟が私に絡みつき、私の意識を闇の中に引きずり込もうとした。


 絶対的なその事実を前にして――愛沢トトはただ絶叫したのだ。


     ◇


《ぐっがああああああああああああああああああああ―――!》


 愛沢トトは能力を限界まで上げ〝己の死と言う物理法則〟さえ無視する。


 後方に跳んだ私は、ただ息を呑んだ。


《今のは、まさ、か――》


《ええ。

 そう。

 私は私の死が決定的な物になった時、加害者の生さえ遠ざける事が出来る。

 私は私を殺そうとする者全てを、抹殺する事さえ可能なの。

『完全逃避』とは、そういう能力。

 攻防一体の――処刑装置でもある。

 もう一度問うわ。

 そんな私に――どう勝つと?》


《………》


 ……恐らく、次の激突が、最後の攻防になる。


 私はその前に、ミレディー・ド・ウィンターにこう告げた。


《私は決して、私の幸福を願ってくれる人を否定しない。

 でも、その感情は、オリジナルである私の死が原点なの。

 私が私として死ぬから、多くの人がミレディー・ド・ウィンターに魅了される。

 私に生き残って欲しいと、祈ってくれるの。

 なら、私はオリジナルの死を求めるしかない。

 私が愛沢トトとして再起する為にも、私はオリジナルの生存をいま否定する》


《成る程。

 悲劇という前提があるから、喜劇と言う二次作が生まれると言うのね。

 貴方は前世の自分を否定してでも、今の自分を肯定するという事、か。

 でもそれでは本当に――ミレディー・ド・ウィンターは何者でもなくなってしまう。

 私だった者にさえ拒絶されては、ミレディーは本当に浮かばれない。

 貴方だけは、オリジナルの死を受けいれてはいけないのよ》


 笑みを絶やさない彼女と、大きく息を吐く、私。


 それでも、私は吼えるだけだ。


《いえ。

 ミレディーには、私と言う救いが残されている。

 私の物語の続きは、確かにあったの。

 ミレディー・ド・ウィンターは愛沢トトという私を得た事で――既に救われているのよ》


 途端、私は彼女に向け跳躍する。

 今、私に出来る事は、二つだけ。


 一つは彼女が受けていないであろう〝試練〟を受ける。


〝試練〟とは只でさえ超常的な存在である私達を、更に強力にする為の儀式だ。


 私は一瞬でこの世界に存在する全ての処刑された私の黒い感情を、百四十兆回繰り返す。


 脳を加速状態におき、その状態を維持したまま、私は駆ける。


 既に私の心身は、ボロボロだ。

 だが、限界を突破した私は、更に限界を超える。


《ええ、そう! 

 私は〝三銃士〟の関係者にしか――己の能力を使わない! 

 そう〝ルール〟に誓うから――》


 ――私の力を更に底上げ欲しい!


 その願いは確かに叶い、私の一撃は今こそミレディー・ド・ウィンターに届こうとした。


《けど――それでも足りない》


《ぐっ……が――っ!》


 容赦なく無慈悲に、その現実を私につき付ける、ミレディー。

 確かに今の条件でも――私は彼女を超えられない。


 己の世界で生き残ったミレディーは――この世界で処刑されたミレディーを凌駕する。


 それは、私が一人だから。

 この世界のミレディーは、ダルタニャンに救われていない。


 この絶対的な差が、私の前に立ちふさがる。


 彼女は、愛沢トトではミレディー・ド・ウィンターに勝てないと――私に痛感させた。

 

 でも、それは、本当に? 

 私は先程、ダルタニャンに救われたばかりだと言うのに?


 事実、それは、起きた。


《って、余裕をかましていていいのか、ミレディー? 

 アンタとトトの戦闘を嗅ぎ付け――鳥海愛奈達がこちらに向かっているぜ》


《――な、にっ?》


 あからさまな、ブラフ。

 だが、ミレディーにとって、それは看過できない状況だ。


 例え嘘だと分かっていても、彼女の心は、僅かに乱れる。


 だが、鳥海愛奈とやらが何者か知らない私は、ただ無心だ。


 無心を維持したまま、私はただミレディーに肉薄する。


《あああああああああああああああああああああああああああああああああああ………っ!》


《愛沢――トトっ!》


 あらゆる物理法則を無視するのが、愛沢トト。


 その能力は正しく機能し――今私はミレディー・ド・ウィンターの腹部に蹴りを入れた。

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