第4話 絵
朝花がはるかの家に訪れた。
はるかは私服に着替えると、バッグを持って飛び出すように玄関先へ出た。
「ごめん! 待たせちゃったよね」
「いや……大丈夫だ」
申し訳なさそうにするはるかの頭に、ぽんと手をおいて、朝花は微笑む。
「今はボクの家に向かおう。何も責任を感じることはない」
「…………! うん!」
階段を降りる。
マンションから出て交差点をくぐり抜け、髪を靡かせる熱風が差し込んだ。
坂を下って、また向かいの坂を登る。
緩やかなカーブする坂道に並ぶ数々の家。
その奥の一軒の家の前に足を止め、朝花はガレージの横にある家の入口の扉を開ける。
「どうぞ、入って」
「お邪魔します」
家の玄関から続く、広く長い廊下。
リビングはモダンな椅子や本棚などの家具が並び、白い壁と床が艷やかに輝いていた。
清掃の行き届いている証拠。
ホコリ一つも見えずに、天井から華やかにあしらわれた照明が柔らかな色を浮かべて灯る。
大きな窓とふんわりとした生地のカーテン。
高い位置にあるもう一つの窓から温かな風が吹いてくる。
上に伸びる螺旋階段があって、はるかは連れられるまま朝花とその階段を登っていった。
部屋がいくつもある二階の渡り廊下。
そのうちの一つの部屋に入ると、ドアが閉められ、人感センサーだと思われる照明が光を放つ。
窓際に置かれた観葉植物と、壁の所々に絵が額縁で飾られている。
朝花がパレットと筆、絵の具を持ってくる。
「じゃあ、描いてみようか」
朝花が筆を握るはるかのサポートに、後ろへ回った。
重ね合った時、朝花の胸が柔らかに触れる。
「ふぇ!?」
はるかは思いもよらぬ声を出し、それに慌てるようにおどおどしながらゆっくりと筆を進める。
「そう……丁寧にね、力を入れすぎずに……」
浅く、深く、落ち着いた。
そんな声と雰囲気に緊張は徐々に和らぎ、まるで眠るように朝花の教える通りに絵を描く。
彼女のその惑わしは、美しい。
はるかの心の芯をミルクのように溶かすほど、絵の世界へと引き込まれた。
こんな感覚があるのか……。
はるかは見たことない景色に唖然としつつ、それでも描き続けた。
心は愉しみに浸り、爪先は乱れ生まれぬ曇り一つない。
音は聴こえるはずが、頭に入ってこない。
ただ、朝花と、そして絵の中へと。
ひたすらに潜り込む。
やがて絵が完成した時、はるかは使い切った体力にくたびれる。
「あぁ〜〜〜〜〜疲れたぁ……」
朝花は道具を片付けながら、はるかの絵を見た。
「うん……上手だ」
朝花はそう、どこか嬉しそうにしていた。
意外な表情にはるかは少し驚きつつも、褒められた嬉しさに笑って返す。
「ありがとう」
「どういたしまして」
焦がれた色を浮かべるオレンジの空は暮れ始め、いつもよりもあたりはぼんやりとしていた。
その時に。
優しい花の香りと共に、そっと。
朝花の唇が触れた。
口の中で、甘く、そして掻き立てるような。
絡みつくそれは……。
幸せの味がした。
やがてゆっくりと離されると、朝花はクスッと小悪魔みたいな笑う。
「油断してたでしょ? ふふふ」
はるかは数秒の思考停止、そしてその数秒にやっと脳を追いつかせる。
「朝花…………」
はるかの恥ずかしがるように口元を抑える仕草にまた朝花は笑った。
小さな悪戯を最後に、陽は堕ちる。
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