さらわれた彼女

かたなかひろしげ

されわれなかった彼女

「ヤバイ。さらわれたかも」 


 結愛ゆあからこんなメッセージが携帯に届いたのは、小一時間ほど前の話だ。

 そこから俺はすぐさま自転車に飛び乗り、隣駅の彼女の家まで猛ダッシュでペダルを漕いだ。息を切らせながら現地まで着くと、和服姿の彼女の母が、にこやかに出迎えてくれた。


 そういえばそうだ、結愛の家って実家暮らしなのだから、当然両親も同居していいるし、それなのに攫われた、ってのも変な話だよな。


 ───加えて・・攫われた、と確かにメッセージを送ってきたはずの彼女本人もそこにはいた。


「(はぁっ、はぁっ)ゆあっ。さらわれたってメッセージ飛んで来たから、俺、慌てて来たんだよ。なのになんで家にふつーにいるんだよ」

「う、うん。ごめん、ちょっと動揺しちゃって、ついメッセージ送っちゃったんだけど、ほんと、なんでもないから」


 少し気まずそうに、彼女は苦笑い。お母さんはそんな結愛をみながら、にこにこしている。着物の裾に黄緑色の刺し色がある、素敵な着物を着ている。普段着だろうか。


「メッセージの返信もないし、電話も出ないし、マジで心配したんだからな」

「ち、ちゃ。久しぶりに来たんだし、折角だからお茶、お茶でも飲んでく?」

「ぉ、おう」


 結愛が母をせかす。


「お母さん、お茶だって。例のお茶淹れてよー」

「はいはいはい」


 結愛の母さんは突然来た俺のために、わざわざお茶を淹れてくれている。なんだか空回りしてしまったみたいで、本当に恥ずかしいやら申し訳ないやら。


「それでどうして、さらわれたー、なんてメッセージ送ってきたんだよ」

「いやぁ、それが色々あってさ。朝食食べながら、おはようのメッセージを送ろうとしてたら、手が滑ってお皿割っちゃって。その状況をつい、そのまま送ったわけ」

 

 結愛の母さんが丁度お茶を淹れてくれていた急須が、不意に湯呑に突然強く当たり、カチャっと大きな音を立てた。


「あらあら。うるさくしてごめんなさいね」

「いえいえ。大丈夫です」


 白い湯気を立てているお茶を啜りながら、結愛の方を改めてみると、何故か帽子をかぶっていることに今更気がついた。部屋にいるというのに、まるで似合わないNYというロゴが目立つベースボールキャップを被っている。野球、好きだったっけ?


「あれ?そういえば今日はその帽子、どうしたの?」

「う、うん。今朝は寝癖が酷くてまだ直してないのに、タカシが突然来たから、とりあえず帽子被ってるんだよ」

「ああ、それでか。そもそも結愛は野球のルール自体、知らなかったのに、なんでそんな野球帽被ってるのかと思った」

「これ案外、寝癖を治すのには丁度いいんだよ。クソ親父の帽子なんだけどね」

「へえー」


 結愛の髪型はシンプルな、いわゆるボブカット。少し古い言い方をすれば、おかっぱ頭という奴だ。確かに、寝癖が飛び出ると大変そうな髪型かもしれない。


「そういえば、食器割ったのは大丈夫だったの? 怪我とかしてない?」

「うん。ありがとう。でもホント、それは全然大丈夫だから。」


 手元のお茶をもう少し啜っていると、そういえば朝食の最中だったのか、食卓にはキュウリと肉団子のようなものが並んでいた。なかなか、朝から食べるにしてはエキセントリックな組み合わせだ。


「あ、ごめん。まだ朝食の最中だったみたいだね。結愛が無事なのもわかったし、俺、そろそろ帰るわ」

「そう? 折角だからキュウリ食べてかない? 美味しいよ」

「そ、そうか。それじゃあ、頂いていこうかな」


 俺はテーブルの上の大皿に高く積まれたキュウリを一本取った。しかしそこで戸惑ってしまった。


「結愛さあ」

「なにー?」

「これって、そのまま丸かじり?」

「うん。そうだよー」

「まじ? マヨとか付けない系の人?」

「邪道だね。キュウリは丸かじりが一番だよ。塩分の取りすぎは身体に悪いよー」

「そ、そうか」


 味付けして食べることを全力で否定されてしまったので、仕方なく手元のキュウリをワイルドに丸かじりする。表面のいぼいぼが唇に当たるのはまあ我慢できるとしても、味がほぼ無いので、やはりこのまま食べるのはちょっときつい。


 とはいえ、結愛のお母さんもいる前で、「味がない」と言い出す程、俺も空気が読めないわけではない。ここはぐっと我慢して、味の無いキュウリをかじることに集中することにした。


 ぼりっ。ぼりっ。


 三人しかいない居間に、きゅうりをかじる音だけが響いている。

 気まずい雰囲気が流れるのが嫌だったので、俺は適当な話題を挙げることにした。とはいえ、話題になりそうなものは目の前の大皿に積まれたキュウリの山ぐらいしかない。


「り、立派な皿だね。」

「あ、ありがとう。うん、私、結構皿は自慢なんだよね。って、あっ! さ、皿!そうだよね、この皿だよね。大きいよね、キュウリ沢山乗るし……」

「え?なにか違う皿の話?」

「いやいやいやいや!ち、違うよ。この皿の話だよ。うん、このおっきい皿の話」


 何かに突然同様し始めた結愛は、手振りを大きくして、目の前の皿を推している。そ、そんなに喰いつかれる話題だったかな?これ。


 ぼりっ。ぼりっ。


 がんばった。俺、がんばったよ。

 キュウリ、立派なサイズだった。全部食べきった。誰でもいいから今は誉めて欲しい。


 口の中に残る青臭さを、もうぬるめになってしまったお茶で洗い流す。


「あれ? 一本で足りるの?」

「えぇっ!?」

「私、毎朝3本は食べるよー」

「青虫かよ!」


 たまらずツッコミを入れてしまった。一本がでかいんだよ、このキュウリ。もう殆どズッキーニみたいな太さだよ、これ。どこにこんなキュウリ売ってるんだか。


 結局、結愛に煽られるようにして、そのまま巨大キュウリを腹に収めた俺は、どやら眠気を覚えてそのまま寝てしまったらしい。


「……きいたみたいね」

「たまはぬかないで」


 白濁する意識の中で、なにか結愛とお母さんが会話しているのが聞こえたような気がしたが、内容はよく思い出せない。


「よくねてたねー」

「ごめんごめん。朝からこんなに眠くなるなんて滅多にないんだけど。何か腹いっぱい食べすぎたかな」

「そもそも今日はなんの用事で来てくれたんだっけ?」


 うーん。思い出せない。あんまり結愛の家に遊びに来ること自体がないし、なにか用事があった気がするのだけれど、必死に思い出そうとすると、記憶に霞がかかったように少し意識が薄らぐのを感じる。これはだめだ。


「目覚ましにお茶でも飲む?今度は目が覚めるよ」

「あぁ、ありがとう。ん?今度?」


 結愛が入れてくれたお茶に、茶柱が立っているのを見つけた。

 こんなところで幸運をいたずらに使うのは勿体無いかと思いつつ、今日は良いことがありそうで、なんだか口元が緩んでしまいそうだ。

 あれ? 俺なんだか口の中が青臭いな。つい最近、こんなことがあったような気がするけど、やっぱり思い出せない。


「───さら、なおったらまた遊びに行こうね」


 帽子姿の結愛が口角をあげて微笑んだ。

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さらわれた彼女 かたなかひろしげ @yabuisya

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