Act.19-2
納骨の日は、抜けるような快晴だった。星野家の大きな墓碑の横に、「空」と書道家が書いたような躍動感ある字が刻印された小さめの大理石の墓があり、蒼子はそこへ入った。
(蒼子らしい墓碑だ)
晴海だけでなく、参列したすべての親族もそう思っていた。納骨が終わると、晴海は空を見上げた。
「蒼子。絶好の
晴海はM美術館へ向かった。いつも二人で眺めていた場所に着くと、S灘を見下ろした。
「蒼子が一番好きな場所だね」
しゃがみ込むと、蒼子から戻ってきた巻貝に耳を当てた。潮騒の音に混じって、小さな鼓動が聞こえてきた。それは、晴海が巻貝に頼んで住まわせてもらった、自分の心臓の音ではなかった。
「これ……。蒼子の心臓の音? 蒼子、この空になって、潮騒の中に溶け込んだ自分の鼓動を、この巻貝を通して僕に、『私はここにいる』って、伝えてくれてるんだ」
晴海はちょっとびっくりしたが、静かにその巻貝に、しばらく耳を押し付けていた。
「蒼子の中に僕がいる。だから、この鼓動が聞こえるんだ。ああ、蒼子。僕を取り巻く総てのものから、君の存在を感じ取ることができるよ。『とくん』『とくん』って、すっごく温かい音がする。いつも僕が君を抱きしめてたけど、今は君が僕を抱きしめてくれてるんだね」
晴海は、潮騒と鼓動の音の中で、しばらくS灘を見下ろしていた。
「さて……っと」
晴海は、美術館内に入ると、常設展示場へと向かった。あの日を再現するかのように、まず、二百号の大きなS灘と空を描いた絵画の前に立った。ぽつりと浮かぶ小舟。蒼子の魂はこれに乗って水平線を目指しているのだろう。
彼女の背中で白い羽が育っていく。やがて身体の二倍はある真っ白な羽になり、風を孕んで浮き上がる。そのイメージを抱きながら、常設展示場の最後に飾られた、空へ向けて開いた扉の絵の前に立った。
「蒼子は自分の足で歩いて、この扉の前に立ってたね。僕は最初、本当にびっくりした。君が死を覚悟してると知った時、『またね』という言葉が、なんと愛おしかったか……。君が言ってくれるたびに、僕の心はいつも床から1㎝浮き上がってたんだよ。嬉しくてうれしくて……」
晴海は、一目ぼれした蒼子の最初の笑顔を思い出していた。自分と同じように笑う女の子。自分と同じ場所にえくぼができる女の子。同じ魂を共有していた女の子。
「僕らが離れなくちゃいけなくなったときは、本当に辛かったね。でも、呼び合う魂を引き裂くことはできなかった。僕らは、切れそうなくらい細い糸だったけど結ばれてた。最期の最期まで、君は笑ってくれてたね。チュチュと約束した通り、一生懸命に生きて、そして納得して、自らこの扉を開け、あちら側へと自分の足で歩いて逝った。蒼子の人生は、最高だった。君は生き切ったんだ。こんなにも見事な生きざまに立ち会えたことに、僕は感謝しかない」
晴海が絵画から一歩下がった。
「僕はまだ、この扉の前には立たない。でも、ここに収められた古いスケッチが、100年経っても同じように、ここで見る風景は、蒼子が見ていた時と全く変わらないんだ。いつだって、蒼子が見ていたこの青い海と空を、僕は見つめていられるんだ」
晴海は美術館を出ると、芝生広場へと降りる階段の途中で立ち止まった。夏の風から新緑の匂いがしている。晴海の回りで
晴海はにこっと2つの小さなえくぼを作ると、すっと両手を前方へ向かって差し出した。その指先から、風に手を引かれた魂がすぅ―――っと身体から離れて、海に向かって木の上を滑り、やがて海上を低空飛行しながら水平線へと向かっていく。水平線の彼方に辿り着いた魂は、空に向かって一気に上昇していく鳥のように、1つ大きく羽ばたくと飛翔を始め、やがて空の中へと消えていった。
そのイメージの中で、彼は両手を青い空へと掲げた。
「蒼子……」
呟いたのち、手にしていた小さな白い巻貝を右耳に近づけた。潮騒の中に蒼子の鼓動が聴こえる。
「これからも、ずっと一緒だね。だって僕らはもう、1つの魂に融合したんだもん」
そう言いながらも、大粒の涙がとめどもなく流れた。晴海は目元が真っ赤になるほど強く袖口で拭くと、両頬に可愛らしいえくぼを作って微笑み、空を見上げた。
「僕らは約束した。いつまでも泣かないって。だから、僕はもう泣かない」
晴海の心の中に、蒼子が開けて去って行った扉が見えていた。晴海はそれに背を向けた。そしてそのまま、蒼子が両手を広げて抱きしめている、S灘を見つめた。
「ねぇ、蒼子。僕はこれからも生きてくよ。必ず、僕らの次の『魂の片割れ』を見つけるからね。きっとその人には、この巻貝の中に住んでる、君の鼓動が聞こえるだろう。その人と出会う日まで……そこで待ってて」
春海は空にいる蒼子に語り掛けたのち、巻貝を優しく抱きしめて呟いた。
「またね……」
(了)
「またね……」 ――晴れた蒼い海の子は「魂の片割れ(ツインレイ)」―― 柊 あると @soraoda
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