Act.17-1

 その日も、いつものように、晴海は、蒼子をそっと抱いて芝生広場へ向かった。潮風が静かに吹き上がり、二人はそれに心を寄せるように身を預けた。青い海が広がり、その向こうには限りない空があった。そのすべてを見上げながら、二人はいつもと変わらず、空へと同化したいと願い合った。蒼子の髪が、柔らかく風に揺れる。


「横になってもいい?」


 蒼子の声は、風に溶けるようにはかなかった。晴海は、そっと彼女の顔を覗き込んだ。


「苦しいの?」


 蒼子は微かに唇を動かし、言葉を紡ぐ。


「ちょっとね……」


 その答えに、晴海は何も言わず、ただ優しく彼女の肩を抱きしめた。芝生の上へゆっくりと身体を横たえさせ、自分もその隣へ身を落とす。


「腕をお貸ししましょう。お姫様」


 彼は冗談めかした言葉をかけながら、芝生の上に左手を回した。蒼子は、わずかに微笑んだ。


「ありがとう」


 晴海の腕枕に身を預けると、蒼子の指先が晴海の胸の上へと添えられた。その手は、静かに彼の鼓動を確かめるように動いた。それはまるで、彼女が、彼の命に触れているようだった。


「温かい……。晴海君の心臓の音が心地いい」


 蒼子は、ゆっくりと目を閉じた。そのまま、彼の鼓動に耳を澄ませる。心臓の音は一定のリズムを刻み、穏やかな波のように彼女の胸へと伝わっていた。


「蒼子……」


 晴海は、そっと蒼子の髪を撫でた。柔らかな指先で、風に揺れる髪を整える。しばらくそうしていると、蒼子は満足そうに、真上を向いた。晴海は、彼女の動きを見届けながら、ゆっくりと身体を起こした。両肘をつき、彼女に体重をかけないように気遣いながら、そっと抱きしめた。その瞬間、蒼子の腕が彼の背中へと回された。その指先は、まるで彼を確かめるように優しく添えられる。蒼子の目から、一筋の涙が流れた。晴海は、それを静かに見守っていた。


「蒼子……」


 晴海は小さく呟くと、蒼子の右耳の下あたりに、優しくキスをした。その吐息に、彼女は微かに微笑んだ。小さなえくぼを作って……。


「肉体は大地に還る。でも……」


 蒼子は、静かに息を吸い込んだ。そのまま、薄く開いた唇から言葉がこぼれ落ちる。


「魂は、あの青い空へ還りたい……」


 彼女は左腕を持ち上げ、指先をゆっくりと空へと伸ばした。晴海は、そっと体を起こし、体勢を斜めに固定した。彼女の指先が示す空を見上げる。その空は、限りなく広がり、どこまでも青かった。


「僕の魂も蒼子の魂も、きっと空へと還ってく」


 晴海は、自分の体重を蒼子に腕枕している左腕だけに預けると、静かに、蒼子の左手を、右手でしっかりと握りしめた。その指先は、確かに生きていた。


「この指先から、僕らは……」


 晴海は、微かに声を震わせながら続けた。


「……あの空へと染まってくんだ」


 蒼子は、静かに微笑んだ。


「そうね……」


 彼女の目は、遠くを見つめていた。


「私は先に、あの空になるわね」


 晴海は、息を止めるように、彼女の言葉を聞いた。


「晴海君……」


 蒼子の指が、晴海の手を少しだけ強く握りしめる。


「私の人生は、最高だった……」


 彼女は、ゆっくりと目を閉じた。つ――――っと、一筋の涙がこぼれた。晴海は、その涙を指でそっと拭いながら、ただ彼女を見つめ続けた。


 どこまでも広がる青空の下で……。彼らの魂は、確かに寄り添っていた。


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