Act.9-3


 耳に当てていた蒼子は、潮騒に混じって聞こえてくる鼓動に気がつくと、ちょっと驚いた表情をした。


「これは晴海君の心臓の音だわ」


 何度も晴海に抱きしめられた蒼子は、彼の鼓動を覚えていたのだった。


「晴海君といつも一緒なのね。あなたは、そう願って、この巻貝を探し出し、自分の鼓動もここに入れてくれたのね。私の心臓は最期の最期まで、この潮騒の中で晴海君の鼓動と重なって、一緒に歌うのよ」


 蒼子の眼から、暖かい涙がこぼれ落ちた。


「大好きよ。晴海君……」


 蒼子は耳に当てた巻貝を両手で抱きしめながら、枕の中へと沈んでいった。


 M美術館で会えなかった日は、ビデオ電話で2人は他愛のない話をして笑い合っていた。けれど、だんだんと晴れた日でも、蒼子がM美術館へ来る日が少なくなってきはじめた。ビデオ電話の通話時間も、目に見えて短くなっていった。


「最近は具合が良くないの?」


 晴海は日曜日、芝生広場から蒼子に電話をした。蒼子の首筋に細い管が見えた。CVポートを使って、何か薬液を投与しているとすぐにわかった。


「うん。なかなか起きあがれないの。今、栄養剤を入れてるのよ。これを入れるだけで、けっこう身体も楽になるの」


 蒼子は管を見せるように摘まんだ。


「残念だわ。今日なんか、とびっきりの青空なのに……。でも、ありがとう。私に見せるために行ってくれたんでしょう?」


 蒼子の問いに、晴海は肯定も否定もできなかった。確かに見せたくて、来たのは事実だ。でも、本心は蒼子を連れてきたかった。そうしたい衝動と、それが絶対に許されない行為だと十分理解していたから、言葉が出なかった。


 蒼子は晴海が見せてくれている、美術館から見えるS灘を眺めながら、再び呟いた。


「また、行かれるようになるかなぁ~」


 晴海にはそれが、蒼子の弱音に聞こえた。もう、この風景を自分の目で見られないかもしれないと、蒼子が考えていることが手に取るようにわかった。でも、晴海は諦める気はなかった。絶対にまた二人でここへ来るんだと、強く願っていた。


「絶対に来られるよ。僕は待ってるから……」


 晴海は元気づけるように言った。


「そうね。必ずまた、そこで会いましょうね。またね。晴海君」


 蒼子は少し寂しげな表情を浮かべた。晴海は蒼子が呟いた「またね」が、本当に来るのだろうかと、電話を切る度考えてしまうのだった。


(もう、次はないのかもしれない……)


 そう思う日が、どんどんと心の中で重くなっていった。

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