Act.6-1
日曜日になった。快晴だ。これなら蒼子の体調もいいはずだ。
晴海は期待しすぎてあまり眠れなかったが、蒼子をエスコートして、水族館で楽しい思い出を作るんだと、真っ青な空を見上げて張り切っていた。
が、ちょっとした憂いがあった。
あまり洋服に頓着しないのが晴海なのだが、今日は違っていた。
できれば蒼子に、「自慢の彼氏……」。なんて思って欲しかったし、周りの人たちからも、「素敵なカップル」と、見られたかった。
蒼子はきっと何を着ても可愛いけど、自分ははっきり言ってトレーナーとジーンズくらいしか持ってなかったし、色味もおとなし気なグレーや黒しか持っていなくて、ぱっとしない人間だ。
クローゼットを覗いた彼は、諦めのため息をつき、ゆっくりと部屋を出て、年子の弟の部屋に向かった。
奴の方がずっとおしゃれな洋服をたくさん持っていたし、センスも抜群だった。そして、晴海の洋服に対する無頓着すぎる性格は、弟もよく知っている。
「なぁ、
晴海は弟に洋服のコーディネイトを頼む気だった。
「僕さ……。今日、女の子と……その……水族館へ……」
晴海の歯切れの悪さとは真逆に、海斗がでかい声を張り上げた。
「兄ちゃん、デートなんか? 珍しいことがあんのな。おかしい、雨降ってないぞ?」
海斗は窓から空を見上げた。
「だから、蒼子も、体調が悪くなくて……、行かれるんだけど……」
晴海の反応がくそまじめだ。
「そうこ? 彼女の名前か。なになに? 俺に洋服選んでくれって、言いたいんだろ?」
察しがいい海斗が、入り口に突っ立っている晴海の横を通り過ぎて、晴海の部屋に入ると、空いたままのクローゼットを見つめた。その後をついてきた晴海はもじもじしている。
「う―――――ん。初デートに着てくような服、全くねぇじゃんか。わかった。おいらの服を貸すよ。兄ちゃんと俺って、よく双子に間違えられるだろ? 俺の方がちょこっと背が低いだけだから、ズボンのすそのロールアップを少し調整するだけで、結構いけると思うよ。戻るぞ」
海斗は自分の部屋に戻ると、ポイポイっと、上着とズボンを何点か選んで、ベッドの上に放り出した。
「うーん、ちょっと季節先行で、初夏らしい色にすっか。んで、そこそこ大人っぽいのがいいな」
海斗は、放り出した洋服から薄いベージュのズボンと薄水色の襟が開いたデザインで、リラックスした雰囲気があるオープンカラーシャツ、丈が短めで、ダボっとした真っ青なメッシュのベストを持ち上げた。
「脱げ!」
海斗に言われて、のそのそとパジャマを脱ぐと、シャツを着せられた。
ボタンを外して胸をはだけるように着せられ、ちょっとルーズに襟を立てたところで、晴海は気がついてなかったが、海斗は心の中で(はだけた胸が色っぺぇ!)と呟いた。
そして次はズボンだ。
シャツを中に入れ込んで、太くもなく細くもない絶妙な幅のベルトでキュッと閉められる。この兄弟、でかい割に腰が細いところが色っぽい。
「この、ロールアップの丈で、かっこいいか悪いか決まるからな。ちょっとおとなしくしてろ」
海斗は屈み込むと、丈を調整した。少し離れたところから、くるぶしの出具合を見ている。
「もう2㎝ってところか」
再度調節して確認すると、最後に真っ青なメッシュのベストを渡された。
「兄ちゃんは、なぜか青を着せると、めっちゃカッコ良い雰囲気になるんだよな。なのに、自分じゃ、絶対に着ようとしないのが不思議なんだけどさ」
晴海は、腰に絞めたベルトが見える、空色のベストを重ね着させられた。
「うん。俺は中身が大事ってことはちゃんと知ってるけど、ビジュアル的にも、これが兄ちゃんにはベストだな。まさに兄ちゃんらしくてよく似合ってる。そうこちんも喜ぶぜ。しかぁ~し! これで満足する俺さまじゃあない」
海斗はそう言うと、いくつも壁に下がっている帽子の中から、水兵さんのような白い帽子で、おでこのちょっと上あたりにマリンブルーのストライプが二本入った、ほんの少しだけつばがある水兵帽を、ポンっと斜めに被せた。ぽよ-――ん気味の晴海らしい、かわいらしさが際立つ。
「これで、抜け感が出る。完璧って、意外と野暮なんだぜ」
ちょっとウインクすると、晴海の肩を叩いた。
「これを着て、外へ出るんか? こんな色の服、着たことないから恥ずかしい……。そりゃ、海斗が着たら、めちゃかっこいいと思うし、お前って、そもそも学校でも、かなり女の子に騒がれてるの、僕だって知ってるよ」
晴海は、着たこともない洋服を着させられ、被ったこともない帽子まで被せられて、まるで自分じゃない気がした。
同じ高校の2年生の海斗が、学校ではかなり人気者であることは、晴海も知っていた。
「兄ちゃんは、自分の魅力を分かってねぇ部分あっからな。まぁ、そこが兄ちゃんらしいところではあるけどよ。いいか? 俺たちは双子っこ並みに、見た目はそっくりなんだぜ? 問題は性格だ。兄ちゃんは、自分からずいずい前に出ていくようなタイプじゃないから、陰キャラ風だけど、俺はそんな兄ちゃんのほんわかした性格は好きだぜ? 外見は俺とほぼ同じなんだから、似合ってる。堂々とそうこちんとデートして来い!」
海斗は、化粧台に並んでいる数種類の香水の中から1本取り出し、晴海の両耳の後ろに軽く吹きかけた。
「そして最後はこれ! 俺の1番気に入ってるオーデコロンだ」
「うわぁ! コロンもつけるの? あ……、でもこの香り好きだな」
「だろ? だってこれの名前は、ドルチェ&ガッバーナの『ライトブルー』って言うんだ。兄ちゃんにぴったりの名前だろ? フレッシュな柑橘系の香りで、カジュアルな水族館デートにもぴったりだぜ!」
海斗には、晴海が女の子には消極的な性格だということはよくわかっている。その兄貴が、自分から「カッコよくしてほしい」と頼みに来たのだ。それだけで、このデートには、何か深い意味があると察したのだった。
「んじゃ、楽しんでらして? おに―さま!」
晴海の両肩に腕を置いて、おちょくったように言う海斗だったが、選んだ洋服は、晴海の魅力を存分に出していた。
「さんきゅ! 海斗。服に負けないように、う―――んと楽しんでくる」
真っ赤になりながらも、晴海は玄関へと向かった。
一方、蒼子も似たようなものだった。
ガリガリに痩せた身体を隠すかのように、葡萄酒色のロウネックのインナーを被ると、アイボリーのぶかぶかしたシフォンの、軽くて薄いジャケットを着て、腰についたベルトをキュッと閉めると、上着がたくし上げられて、身体の線を隠した。たっぷりの襞がある、やはり葡萄酒色のロングスカートを穿いた。
そして、鏡台の前に座った。
一六歳の誕生日に、母が敏感肌にも使えるエテュセ BBミネラルクリームとチェリーピンク色のルージュをプレゼントしてくれた。顔色が悪い蒼子が、気分転換に化粧をして出かける機会があることを祈ってのことだった。
蒼子自身、そんな機会が来るとは思っていなかったが、今日は晴海と水族館へ行く。できれば血色がよい肌にしたかったし、チェリーピンクのルージュを唇にひくと、やや紫がかっていた唇に、血の気が戻ったようだった。
化粧が終わると、アイボリーのベレー帽をかぶってみたが、やっぱりつばひろの帽子の方がいいかな? やせこけた頬が隠れるし……。でも、つばひろだと、晴海君から表情が見えなくなる。
「ねぇ、お母さん。このベレー帽でおかしくない? 痩せすぎなのが、わかっちゃうかな?」
「いいんじゃないの~?」
台所で何か作っている母親は振り返らない。
「ちゃんと見て言ってよぉ~」
蒼子が口をとがらせた。蒼子はベレー帽を被り、父に自動車で待合場所まで連れて行ってもらった。
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