Act.3-2

「13歳の時、抗がん剤治療したって言ったでしょう? それ以前の私って、ストレートのロングヘアだったの。でも、抗がん剤投与が決まったときに、母に『髪の毛って、1番元気に働く細胞でできてるから、たくさん抜けちゃうの。だから短く切りましょうね』って言われて、ベリーショートにしたの。私、短く切ったらそれで抜けないって、勘違いしちゃったのよ」


 当時を振り返って、蒼子はくすくす笑った。


「でも、違った。一回目の投与が終わって、わずか十日とうかだったわ。何気なく頭に手をやって、頭皮を掻いた瞬間、数㎝まで短くしていた髪の毛が、ベッドの上にばらばらと落ちてきたの。私、思わず悲鳴を上げちゃった」


 当然だ。痛くもないのに髪の毛が抜けるさまを見て、驚かない奴なんかいないと晴海は思った。


「母が、慌てて私の頭に使い捨ての不織布でできたヘアキャップを被せたわ。抜けた髪を周囲にばらまくことなく処理できるし、抜けていくさまを見る心的ダメージを軽減するために、そういったキャップも、がん患者のために開発されてるの」


 医療技術もだが、ただ治療するだけではなく、心に対するケアも日々進化しているのだと晴海は知った。


「怖い思いをしたんだね」


「うん。怖くて鏡を見られなかったけれど、けっきょく1カ月後くらいには、ふよふよ~って、丸坊主の頭に数本残るくらいまで抜け落ちたわ。その後は、ずっと帽子やバンダナを被ってた。大人みたいに仕事に行く訳でもないし、半年後くらいから新しい髪の毛が伸びてくるのはわかってたから、ウィッグは使わなかった。人毛の医療用ウィッグの値段ってすごいのよ」


 ウィッグの値段と言われても、そもそもウィッグ自体見たことも触ったこともない。はっきりいって、自分には一切関係ない物体だった。


「20万円」


(うそっ!)


 瞬間的に晴海は思った。たかがカツラだ。いくら人毛だからって、その金額はありなのか? としか思えなかった。


「誰でもが、易々と買える金額じゃないのよ」


 確かにそうだ。がん治療費だって、けっして安くないはずだ。入院費だって、きっと馬鹿にならないと思った。


「2歳年上の従姉いとこがね、私の頭に被せられたバンダナを見て、『蒼子には間に合わなかったけど、蒼子みたいな子どもたちがたくさんいるから、私はこれから数年間、絶対に髪の毛は切らない。染めないし、パーマもかけない。腰まで伸ばして【ヘアドネーション】する!』って言ってくれたわ」


「ヘアドネーション?」


 またまた聞いたことがない単語だ。蒼子と話していると、がん闘病する人たちの、いろいろな困難を知ることができた。


 それは、けっして対岸の火事ではない。いつ、自分の身に降りかかってもおかしくない現実だと思った。


 晴海はスマホを取り出して、「ヘアドネーション」と打ち込んだ。


        *


 ヘアドネーションで一つの医療用ウィッグを作るには、約30人分の髪の毛が必要とされています。

 これは、ウィッグを作る際に髪の毛を二つ折りにして植毛するため、寄付された髪の長さの半分程度しか実際のウィッグの長さに使えないことが理由です。たとえば、31cmの髪を寄付しても、ウィッグに使えるのは約15cm分になります。


        *


 とあった。1人の子どものウィッグをつくるために、30人もの人が3年から5年以上かけて伸ばした髪の毛が使われているということだ。


 途方もない時間と人の善意が、髪の毛を失った子どもたちには必要だと言える。こんなにも苦しい状況下に置かれている子どもたちがいることを、晴海は全く知らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る