Act.2
その日をきっかけに、天気の良い日には、晴海は誰よりも先に学校を飛び出した。
「M美術館 なう」
下校時間が近付くと、LINEに表示されていた。I駅まで学校から一気に駆け下り、電車に飛び乗ってA駅まで2駅。速攻で自宅へ戻ると制服を脱ぎながら自室に入り、私服に着替える。
「M美術館へ行ってきますぅ―――! 暗くなるまでには帰る!」
弟と母がリビングでおやつを食べている姿に声を投げつけて、坂を走って登った。 M美術館の芝生広場には、いつも蒼子が待っていた。
「息を切らして……」
蒼子はくすくすと笑った。
「そんなに急がなくても、私はあなたを待ってるわよ」
「わかってるけど……」
晴海はぜいぜいと息をしながら、蒼子を見て笑うと、横に腰を下ろした。
「ほら、見て」
蒼子はスケッチブックを取り出した。
「今日はね。海と空を描いてたのよ」
そこには薄い青からだんだんと深い青色に変わり、その後水平線ではその名のとおり「ホライゾン・ブルー」になり、やがて真っ青な空の色へと変わっていく、S灘の風景が描かれていた。その絵を見た晴海は、蒼子がどれほどに空へと還りたがっているかが、わかるような気がした。蒼子の想いが、そこに描き込まれているように思えたのだった。
「僕、芸術面はポンコツなんだけど、この絵はわかる。蒼子がどんな色の空へ逝きたがってるか、すっごくよくわかる。僕もきっとこの色なんだ。絶対だ。この青に、同化したいって僕も思う」
晴海は、パステル画と空を交互に見た。
「私、いつも思うの。絵画って心のありようで、どんな形や色にもなるって……」
(はい?)
「ポンコツ」と宣言した晴海は、蒼子が言ったそばから、見事にそれが露呈した。
「え? だって『風景画』って、見たまんまを描くんだろう?」
「確かに……」
蒼子は否定しなかったが、肯定している表情でもなかった。
「でも、全く同じ風景を見て描いても、コピーしたように、一人として同じ絵にはならないでしょう? 書き手の気持ちが、そこには描き出される。まぁ、抽象画は、今はとりあえず横に置いといて……。だけど」
「確かにそうだ。選ぶ絵の具の色も個人の自由だから、この空を、青で描かなくちゃいけないって規則はない。黄色だっていいんだよね。それが
晴海は見たものをどう表現するかは、見た人の心が決めることだと納得した。
「そう。心のありようで、どんな色にでも見える。人の心って不思議ね」
蒼子はふっと笑うと、おしぼりを取り出した。
「見て。人差し指が真っ青。青に染まってるのよ」
蒼子は指先を晴海に見せながら微笑んだ。
「指で描いたの?」
「パステルはね、指でぼかした方が、立体感が出るの」
蒼子の周りには、十数種類の青いパステルが転がっていた。彼女はそう言いながらも、おしぼりで青く染まった指先をきれいに拭き取っていた。
「へぇ~、一言に『青』と言っても、たくさんの種類があるんだね」
晴海は、何本も転がっているパステルの一本を拾い上げた。
「僕が今見てる、空の青だ」
パステルを空にかざして笑った。
「コバルトブルーね。私も大好きな色よ。この青に染まっていきたい」
蒼子も重なっている両方を見ながら呟いた。
「魂は自由だよ」
晴海は笑いながら、蒼子の望みに答えた。
「こうして風に吹かれて、魂は肉体を離れるのさ。やがて飛ぶんだよ。あの青い空へ」
晴海は両手を広げて、全身に風を受けた。
「人間ってさ、産まれる前はきっと、空の上で神様と一緒にいたんだ。だから、人は空を見上げると、郷愁を感じるんだ」
晴海は照れたように笑った。
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