第29話「ゼータ炉臨界T−00:05」
2035年12月25日(火)00時55分。
空気は刺すように冷たい。だが、目の奥を焦がすような熱が、チーム〈ブライトシーカーズ〉の心にはあった。
彼らは今、晴海港の最南端にある、旧水産試験場の裏手に集結していた。
その地下深く――〈ゼータ炉〉が、起動準備を進めている。
周囲は沈黙していた。
だが、ただの静寂ではない。
これは――戦いの前の静けさ。
光平が、防爆スーツのファスナーを締めながら、口を開く。
「熱源反応、階下から出てる。起動シークエンスが走ってるのは間違いない」
「予想どおりだな」和馬が短くうなずく。背中には、通気ダクト用の切断装置が背負われていた。
「ガス遮断が最優先だ」
「了解。俺が先行する」
その横で、敬太がひょいと手を挙げた。
「じゃあ俺はいつもどおり、盛り上げ担当な。ピンチのBGMは任せてよ」
「静かに頼む」貴大が小声で言う。だが、その目は笑っていた。
「制御盤へのアクセスは君にかかってる」
「わかってるよ。行政停止コード、暗記済み」
その言葉に杏は目を細めた。
「……絶対、止める。私たちが始めたことだから。最後まで、私たちで終わらせる」
「街のために、ですね」真奈が言い、頷いた。
暗がりの中、全員の目が合う。
そこにもう言葉は要らなかった。
佳奈子が腕時計を確認し、手のひらを挙げて静かに合図を送る。
作戦開始。
まずは和馬が、壁際の配管に張りつき、取り付けていたカッターのスイッチを入れる。
切断ノイズは低く抑えられ、わずかな時間で銀色のダクトが外れた。
そこから漏れ出したのは、わずかに臭気を含むガス。
それを確認し、杏が携帯ガス計の画面を覗く。
「濃度、しきい値超え寸前……。間に合った」
和馬がもう一段下へと降りていく。制御室手前の通気ダクトを封鎖し、炉心部への拡散を阻止する段取りだ。
次に動いたのは敬太。
防爆扉前のセンサー付きカメラに、何食わぬ顔でぬいぐるみをぶら下げて見せる。
「夜勤の癒しにどうぞ~、ってな」
瞬間、カメラの視点が揺れた。警備AIがぬいぐるみの認識判定に迷っている隙を突き、貴大と光平が側面へ回り込む。
ドアロックの小パネルを外し、光平が内部コードを露出させる。
「貴大、準備いい?」
「ああ。行政コード“Zero-Three-Charlie”挿入、行くぞ」
コード入力と同時に、制御端末の小さなランプが緑に変わった。
「ロック解除……!」光平が小さくガッツポーズを作る。
だが、その時――
「全員、遮蔽態勢!」
佳奈子の声と同時に、上階の監視ドローンが一体、屋根の通気口から急降下してきた。
杏が咄嗟に金属ケースを掲げ、ドローンのスキャンビームを跳ね返す。和馬が即座に投げた反射板が、レーザーを逸らせた。
「警戒レベル、上がってきてる。急ごう!」
杏は深呼吸を一つ。
ドアの先――ゼータ炉制御室。
その中で、あの女――六條麗花が待っている。
火花が散りそうなその空間へ、今、彼女たちは足を踏み入れようとしていた――。
鉄扉が、軋むような音を立てて開いた。
その瞬間、冷たい蒸気が漏れ出し、チームの顔を白く包む。
そこは、まるで未来の牢獄のようだった。
銀色のパネル、密閉された操作台、監視カメラが天井から複眼のように睨みつけてくる。
そして、中央には――禍々しい存在感を放つ、楕円形のカプセル。
それが〈ゼータ炉〉。
その表面には、すでに微かな発光が始まっていた。
「起動シーケンス、カウントダウンTマイナス五分に突入」
光平が端末を確認し、額に汗をにじませた。
「もう後戻りはできない」
杏が制御盤の前に立ち、深く息を吸う。
「コード挿入準備。貴大、どうぞ」
「了解。制御プロトコル“レッドアーク”認証開始」
貴大が冷静に端末を操作する。彼の指先は震えていなかった。
これまで幾度も鍛えられてきた彼の規律。それが今、最大限に発揮されていた。
「接続端末を差し替えて」光平が指示を飛ばす。「停止信号を通すには、まず現在のオーバーライドを遮断しないと!」
和馬が素早くケーブルを挿し換える。防爆手袋をしたままの作業は困難だったが、彼は一度も手元を見なかった。
「こっちは制御系統Aルート遮断完了!」
「Bルートも遮断。再起動信号に備えて……」
そのときだった。
「――そこまで、よく来たわね」
鋭く、冷たい声が制御室に響いた。
全員が振り向いた。
ガラス越しのサーバールームに――六條麗花がいた。
彼女は白衣ではなく、黒の防火スーツに身を包み、手には制御端末を握っていた。
その顔は、薄く笑っている。
「止められると、本気で思ってるの? 子どもたちが?」
杏が一歩、前に出る。
「うん、思ってる。だからここに来た」
麗花は嗤う。
「このゼータ炉は、明日のエネルギー源。君たちが守ろうとしている“今日”を超える技術よ。進歩には、必ず犠牲がいるの」
「だったら、私がその“犠牲”になって止める!」
杏の声が、制御室に響き渡る。
「勝手に誰かを“捧げる”なんて、間違ってる。進歩っていうのは――誰かを踏み台にして得るものじゃない!」
貴大が続ける。
「我々は、行政停止コードに基づき、起動を無効化する権利を得ている。これは法に則った行動だ」
麗花は目を細める。
「子どもが法を語るの? 可愛らしいわ。でも……」
麗花の手が、端末の奥に滑り込む。
警報音が鳴り響いた。
「再起動信号……!? もう一系統残ってるのか!?」
光平が青ざめ、制御盤に飛びつく。
だが――画面は赤く染まっていく。
「残り、二分三十秒……!」
「最終操作、私がやる!」
杏が叫ぶ。
「この街を、守るって決めたの! あなたの科学は……正しさじゃない!」
彼女は火花を散らす制御盤に手をかけ、躊躇なく奥のレバーに手を伸ばした。
「貴大! コード入力!!」
「今だ! 止めろ、杏!!」
杏の手が――最後のスイッチへと、向かう。
杏の手が、火花の散るスイッチに触れる。
熱い。ビリビリと振動する。だが、彼女は目を逸らさない。
この手で、止める。
この手で、守る。
――誰かの「いいようにされる」街じゃなくて、
――私たちが「選べる」街にするために。
「今だ、杏ッ!」
貴大の声に重なるように、彼女の手がスイッチを押し込んだ。
制御室全体が、瞬間的に暗転する。
ついで、鋭い電子音――「臨界停止信号、受信確認」。
炉心ユニットの表面を走っていた青白い光が、すうっと消えていく。
冷却システムがブォンと低い音を立て、非常用排気口が作動を始める。
「……止まった……?」
和馬が言う。
光平が画面を見つめたまま、静かにうなずいた。
「完全停止。ゼータ炉、臨界前で冷却に移行。もう、起動できないよ」
沈黙が落ちる。
その中に、一人――ゆっくりと歩み寄る音。
ガラス越しのサーバールームから、麗花が現れた。
非常口から迂回してきたのだろう。
火花に濡れた金属床を、彼女の足音が一歩ずつ踏みしめる。
「……大したものね」
杏に近づき、麗花は吐き出すように言った。
「たかが中学生に、ここまでやられるなんて。恥でしょうね、私としては」
杏は答えない。ただ、肩で息をしていた。
代わりに、貴大が前に出た。
「あなたが信じたのは“力”。僕らが信じたのは“選択”。……だから勝てたんです」
「選択、ね……」
麗花は視線を外し、肩を落とした。
「――でも、その選択には責任が伴うのよ。子どもたち」
その声には、もはや怒気も嘲笑もなかった。
ただ、敗者の静かな痛みがあった。
そのときだった。
階下から、走る足音。警察のヘルメット。防火服の消防。
そして、カメラを構えた報道陣たちのフラッシュが、制御室を照らした。
「晴海第二中学の生徒たちですね!?」「ゼータ炉は本当に止まったんですか!?」
杏たちは、立ち尽くしていた。
その真ん中で、杏は小さく、けれどはっきりとうなずいた。
「はい。……私たちで止めました」
その言葉を、マイクが拾っていく。
記者たちが一斉に書き始めた。カメラが彼らを捉える。
六條麗花が、手錠をかけられ、無言で連れて行かれる。
しかし、杏はその背中を追わない。
彼女の目は――炉の冷却光がほのかにゆらめく、その先を見つめていた。
それは、次の“夜明け”だった。
(第29話・完)
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