第21話「初審問と衝撃の証言」
秋の陽が少し傾きはじめた午後一時。晴海地方裁判所・第2法廷の前には、報道記者と市民が詰めかけていた。
フラッシュが光り、ざわめきが天井にこだまする。
「市長の後援会が情報操作してたってホント?」
「この仮処分申請、企業の威圧じゃないのか?」
ケイオス・インダストリーが〈ブライトシーカーズ〉に対して起こした“名誉棄損の仮処分申請”。これまでの市民活動が「虚偽の情報による業務妨害だ」として、SNS発信と告発サイトの停止を要求する内容だった。
けれど、〈ブライトシーカーズ〉は引き下がらなかった。貴大を中心に、彼らは“公益性による表現の自由”を主張し、反証の場としてこの審問に立ち向かうことを選んだ。
法廷の傍聴席は満席。整理券を求めた市民の列は建物の外まで延びていた。
弁護士もつかずに中学生だけで?――そんな懐疑の声もあったが、彼らの背中は堂々としていた。
「証拠は、ある。あとは、伝えるだけだ」
貴大は静かに呟いた。制服の第一ボタンをきちんと留め、開廷の合図を待つ。
「――第2法廷、開廷します」
木槌が鳴った。
* * *
証言台に最初に立ったのは、環境学者・保科雄三だった。
やや丸顔でメガネをかけた穏やかな印象の中年男性だが、発言の内容は鮮烈だった。
「港湾で採取された二枚貝のサンプルから、DNAの損傷率が通常の三倍を超えていると判明しました」
法廷がざわめく。
「これは偶発的な変異ではなく、継続的な被曝の可能性を示唆しています。とくにβ線由来の損傷と一致しており、周囲に特定の実験設備が存在する場合と整合します」
裁判官が眉をひそめた。対するケイオス社側の弁護士は即座に反論に立つ。
「証拠の採取日時と場所が曖昧すぎます。実験と関係があると決めつけるには早計です」
そこへ、真奈が掲げたのは、港で和馬と採取した実際の標本の写真と記録だった。
「これは、私たちが測定器を使い、光平のドローンと連携して記録したものです」
彼女の声は震えていたが、言葉には決意がこもっていた。
「不完全な部分もあります。でも、危険の証拠を見たら、動かずにはいられませんでした」
再び法廷内に低いざわめきが広がる。
その瞬間だった。
六條麗花が、静かに口角を上げて立ち上がった。
その姿は、今日も鮮やかな青のパンツスーツ。沈着冷静、まるで舞台女優のように照明を意識したかのような佇まいだった。
「証拠はすべて未検証。自然界には揺らぎがあり、局所的な変動など珍しくありません。中学生の“感情”で作られた仮説を法廷で語るのは滑稽ですね」
挑発するような口調に、杏の眉がぴくりと動いた。
だが、貴大がすっと一歩前へ出て、麗花の目を真正面から見据える。
「僕たちは“感情”で動いている。それを否定するなら、あなたの実験の“正しさ”も問われるべきだ」
麗花は初めてわずかに目を細めた。
「貴方、名前は?」
「春野貴大。市立第二中学・生徒会所属」
その答えに、傍聴席の一部が拍手を起こしそうになり、係員が制止に走る。
裁判官が手を上げて静粛を求めたあと、慎重な声で口を開いた。
「この件については、追加鑑定の必要があります。よって本仮処分申請は、いったん却下とします」
決定の言葉に、ケイオス社側が顔色を変えた。
勝った、とはまだ言えない。けれど、明らかに風向きは変わってきていた。
閉廷の声が響いたとたん、傍聴席から息を呑む音が漏れた。
判決ではない。仮処分は“却下”。しかしそれは、〈ブライトシーカーズ〉にとっては重大な勝利だった。
杏は、拳を軽く握りしめたまま、ゆっくりと深呼吸をした。
「……やった」
ほんの一言。それ以上の声は出なかった。
代わりに、和馬がそっと彼女の背を支える。
「うまくやったな。さすがだよ、杏」
「ううん。和馬が海に入ってくれたから。光平や真奈も……」
言いかけたところで、控室へ戻る通路の脇に立っていた報道陣が、待ってましたとばかりに詰め寄った。
「春野さん、いまのお気持ちは?」
「裁判所が味方だと思いますか?」
「次はどう動くつもりですか?」
眩しいフラッシュ。向けられるマイク。
けれど、貴大は一歩前へ出て、静かに制した。
「今はまだ話せません。ただ、僕たちは、この街の未来を信じて行動しています」
それだけ言って、きっぱりと頭を下げた。制服の袖が揺れる。
その背中を見ていた麗花が、法廷の出口でふっと笑った。
「……あの年で、よく訓練されてること」
誰に言うでもない呟きだったが、彼女の目は、確かにほんの少しだけ揺れていた。
* * *
図書館裏庭のベンチに戻ったのは、夕焼けが山際に沈みかけた頃だった。
まだ制服のままの杏と貴大、そして和馬と真奈が、紙コップのココアを手に、並んで座っていた。
誰からともなく、口を開いたのは和馬だった。
「……裁判所って、思ったより、ちゃんと聞いてくれるんだな」
「うん。俺も同じこと思ってた」
貴大が頷く。
「大人たちって、いつも自分たちのルールしか見てないって、どこかで決めつけてたかもしれない。でも、今日の裁判官は、証拠に耳を傾けてくれた。だからこそ、僕たちもその期待に応えないと」
杏は、膝に置いた両手をそっと見つめていた。
「……あたし、怖かったんだ。もし“子どもの言うことなんか信じられるか”って笑われたらって。でも、貴大の言葉で勇気が出た」
その一言に、貴大が少し照れくさそうにうなずく。
「……僕も、君の“感情”に引っ張られてるのかもな」
真奈が、優しく頷いた。
「一人じゃできなかった。でも、みんながいたから。だから……次も、負けない」
夕空が、朱に染まる。
それはまるで、また新しい一歩を照らしているようだった。
* * *
その夜、ケイオス・インダストリー本社の高層フロアでは、まったく違う空気が流れていた。
「……このまま放置すれば、社会的ダメージは不可避です」
スーツ姿の社内弁護士が険しい顔で言った。
「仮処分却下の判断には影響力が大きい。市民の同情が子ども側に集まれば、プロジェクトの延期を求める動きが加速します」
「延期はない」
冷たく言い放ったのは、六條麗花その人だった。
彼女は、部屋の窓越しに遠くの港の明かりを見つめていた。
「私は、未来の火種を灯しているの。誰にも、それを奪わせはしない」
視線の先には、海沿いにかすかに見える、研究棟のシルエット。
そして、そこに設置されたゼータ炉の冷却装置――すでに、再起動の準備は進んでいた。
翌朝の〈晴海タイムズ〉は、地方紙とは思えない勢いで売れていた。
表紙を飾ったのは、証言台の横でサンプル写真を掲げる杏の姿。そして、見出しにはこうあった。
「中学生チーム、環境裁判で企業と対峙」
――“この街はモルモットじゃない”の声、法廷を揺らす
新聞を手に走り込んできたのは、佳奈子だった。佳奈子宅のガレージに集まったメンバーは、新聞を囲んで笑顔を浮かべた。
「やったね、杏! 新聞一面デビュー!」
「いや、そこは真奈の給食係制服姿もポイントだろ」
敬太が笑い、真奈は顔を赤くする。
光平は新聞を眺めながら、冷静な声で言った。
「こうなると、世論がこちらに傾いたのは確かだね。残るは、ゼータ炉の起動日をどう阻止するか」
その言葉に、全員が顔を引き締めた。
「12月25日……あと二ヶ月もない」
貴大がカレンダーをめくりながらつぶやいた。
「装置の物理的な阻止は――やっぱり危険すぎる。だけど、あらゆる法的、技術的手段でストップをかけられるよう準備するべきだ」
和馬が、小さくうなずいた。
「現場で使える作業員名簿とか、タイムカードの記録とか……夜間の搬入も、もう一度確認した方がいい」
紗季がいつもの比喩で言う。
「これはもう、戦国の世よ。ただの合戦じゃない、情報戦の火蓋が落ちた!」
敬太が大げさに手を振って応じる。
「じゃあオレは、くのいち役やるわ。影にまぎれて、口八丁手八丁!」
佳奈子が、苦笑しながらも全体のスケジュール表を広げる。
「じゃあ、文化祭あとのフリー期間を使って、調査チームと広報チーム、二手に分けて動こう」
光平がうなずいた。
「俺は設備系の再調査に回る。データ解析は、ガレージで続けるよ」
「私は小学校の校長先生に会いに行く。防災教育の一環で、線量計を貸してもらえないか聞いてみる」
真奈が決意をこめて告げた。
杏は、一人一人の顔を見渡しながら、まっすぐに言った。
「私たちは、あの研究を止める。未来の街を、今ここに守るために」
誰もが、その言葉にうなずいた。
* * *
その日の夕刻。研究棟では、配線のチェック作業が行われていた。
白衣の研究員の一人が、小声で呟いた。
「……にしても、あんな子どもたちに、ここまで追い込まれるとはね」
隣の作業員が、苦笑混じりに答える。
「世間様の目があるからな。さすがに、このまま強行するのは……」
「やるよ。あの方は、必ずやる」
――そこへ、麗花が現れた。
冷ややかな視線で、研究員たちを見回す。
「私たちは、退けない。進歩とは、常に理解されぬもの。だが理解されぬままでは進めない。だからこそ――実績を、残す」
彼女は、コンソール端末を操作しながら言った。
「シークエンスは予定通り。残るは……最後の『燃料搬入』」
その声は、静かながらも、確かに冷たく響いた。
暗くなりかけた海沿いに、今も研究棟の明かりが瞬いていた。
決戦の時は、刻一刻と近づいていた。
そして、次なる〈ブライトシーカーズ〉の一手が、冬の訪れとともに動き出す――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます