第13話「海開き前の砂浜でシグナルを探せ」
初夏の白波浜は、空が海に向かって溶け出すような眩しさに包まれていた。
午後二時四十五分。潮風が涼しく吹き抜け、遠くで打ち寄せる波音がリズムのように響く。
サーフボードを片手に抱えた杏が、鮮やかなライフジャケット姿で沖を指差した。
「光平、あのあたりでしょ? ドローンの映像見て、ブイの根元に何かあるって言ってたやつ」
「ああ。緯度経度はほぼ特定できたけど、潮流の関係で常に位置が微妙にズレるんだ。今日みたいな引き潮のタイミングが一番近づきやすい」
光平は持参した小型タブレットの地図をタップし、赤い点滅マーカーを示す。
その横で、真奈が厚手のバッグから、手製の音叉型センサーを取り出した。
「電磁波のピークは周波数78MHz付近で出てる。普通の海底ケーブルにしては強すぎるし、波長も合わない。たぶん――人工的に増幅された信号」
「増幅器を、海底に置いてるってこと?」
「その可能性が高い。それが“ゼータ炉”の信号送信用装置だとしたら、場所ごと破棄するわけにはいかない。逆に言えば、装置を確認できれば決定的な“意図的な環境干渉”の証拠になる」
「なるほどね」
杏は頷き、顔を上げた。砂浜の端に立っている佳奈子が、白い帽子を目深にかぶりながら、双眼鏡を使って海の様子を確認していた。
「ログと時間配分、そっち大丈夫?」
「現在14時48分。引き潮のピークが15時15分。潜水は行わず、観測のみなら可能時間は25分。戻りルート含め35分で撤収。風速は南南東2.5m、波高25cm、問題なし。通信回線も安定」
「ありがとう。じゃあ、行ってくる!」
杏はサーフボードを両手で持ち上げると、ざぶんと海に飛び込んだ。
背後で真奈がセンサーの先端を慎重に海中へ沈める。
「杏、声は届いてる?」
《オッケー!波、ちょっと高いけど、行ける!今、あの赤い浮きの方向に向かってる!》
佳奈子のスマートウォッチに、杏の声が入る。
光平はすかさずドローンを上昇させ、沖合の状況を空から中継。映像がタブレットに転送され、佳奈子の脇に立てた簡易モニターに映し出された。
サーフボードの上で杏が風を切って滑っていく様子が、陽光の中で煌めいていた。
「……あの子、本当に“迷い”がないね」と真奈がぽつりと呟く。
「ないわけじゃないと思う。ただ、迷ったときに“動く”のが杏なんだ」
光平が小さく笑った。
ブイが揺れている。下には何かのケーブルが、波に合わせて微かに動いていた。
そのケーブルが、まるで海底に脈を打つように伸びていた。
海面を滑るように進む杏のサーフボード。波を切る音が耳に心地よく、沖のブイが次第に大きくなっていく。
《杏、あと50メートル。ブイの右側にケーブルの浮き上がり確認。GPSログも取得中》
「了解!」
返事を返しながら、杏はすばやく視線を周囲に走らせた。海には休日を楽しむ高校生らしきグループが数人、パラソルの下でアイスを食べている。幸い、こちらの動きには気づいていない。
ブイに手が届く距離まで近づいたところで、杏はサーフボードの上にしゃがみ、体勢を低くする。
波に煽られぬよう慎重に手を伸ばすと、海中へと垂れるケーブルの一部が目に入った。黒い絶縁素材で覆われ、結束部には金属プレートらしき反射があった。
《光平、ケーブル確認。先端がブイの下からまっすぐ海底に向かってる》
《映像入った。プレートの角度をもう少し右に》
「こう?」
《よし、そのまま。金属製タグあり。読み取り文字……“CH-Δ-46”……増幅器本体かもしれない》
杏はひとつ息をついた。
「でも、これ以上近づくと潮の流れに持ってかれそう。ここが限界」
《それで十分。今ので位置情報確定。佳奈子、ログ保存できた?》
《完了。画像・映像・座標すべて保存。念のため三重バックアップ中》
「よしっ」
杏は満足げに、ぐっと片腕を上げてみせる。その背後で、波がリズミカルに寄せては返す。
しかし、ふと、その音の中に混じって、小さな「カツン」という異音が耳に届いた。
杏が首を傾げた瞬間、ブイの側面から微細な振動が――
《杏、離れて!そのブイ……》
光平の声が届く前に、杏は直感で海へ身を投げ出した。
――パンッ!
乾いた爆ぜるような音と共に、ブイの底部で何かが破裂した。飛び散る泡、黒い煙のような渦。
杏は水面に顔を出すとすぐに浮き上がり、サーフボードを必死に探す。波の向こう、浮き上がったそれを見つけるやいなや、全力で泳いだ。
《杏!応答して!》
「大丈夫、生きてる!ボード回収する!」
息を荒げながら、杏は波をかき分け、ボードにしがみつくようにして乗った。
その間も、黒い渦はゆっくりと海中へ沈んでいく。爆発というより“自壊”のような動きだった。
装置は証拠を残さぬよう、設計されていた。
「……やっぱり、隠してる」
杏は額から伝うしずくを拭いながら、呟いた。
「絶対、証拠がバレないように仕込まれてる。こんな手の込んだ壊れ方、普通じゃないよ」
《戻ってきて。もう十分だよ》
佳奈子の声は静かだったが、わずかに震えていた。
杏はうなずくと、ボードの上で体勢を整え、波に乗って浜へ戻っていく。
背後には、渦を残して消えていった黒い“装置”の影。
それは確かに存在していた。証拠は限られていても、「確信」は、今や彼らの中に根付いていた。
杏が砂浜に戻ったのは、探索開始からちょうど三十二分後だった。
真奈がすぐにバスタオルを広げて待っており、光平が無言で水筒を差し出す。
杏は肩で息をしながら受け取り、ひと口、ふた口と喉を潤した。
「……はー……戻ってこれた……けど……」
上体を起こした杏の髪から、まだしずくが滴り落ちていた。潮の匂い、焼けた砂の匂い、その中に、微かに金属とオゾンが混ざったような感覚が鼻先に残る。
「完全に“壊れるように設計されたブイ”だったね」と真奈。
「それだけじゃないよ。爆発の規模が小さすぎる。信号装置だけ壊すように限定されてた。多分、もう何基もあるんじゃない?あの海の中に」
光平がタブレットを手に地図を展開する。
「この辺り、海底ケーブルが何本も通ってるし、ブイに偽装した装置なら市の港湾局も気づかない。海開き前だから今は監視も薄いけど、7月になったらダイバーとかも増えるはず。気づかれたら困るから、今のうちに証拠隠滅してる可能性が高い」
杏はタオルで顔を拭きながら、静かにうなずいた。
「……だから、私たちで集めるしかないんだ。隠される前に、つかむ」
「でも、次はどうする?今回のは回収もできなかったし、機材が壊される可能性も高い」
佳奈子が腕を組んで言う。
「調査より先に“接近前に壊れない方法”を探した方がいいんじゃないかな。例えば、遠隔からの観測装置を開発するとか」
「それなら、信号の反射を拾うような超音波ドローン?」
「高すぎるし、天候に左右される」と光平が即答。
「だったら、夜間潜水?装置がどんな仕組みで壊れるのか、間近で見ないと対処方法も考えられない。和馬なら潜れる」
「和馬くん、レスキューダイバーの資格持ってるもんね」
「でも、ガスの噴出とか、電磁波の被曝のリスクがあるなら……」と真奈が不安げに声を落とす。
その時、杏がぽつりと呟いた。
「じゃあ、私が行く。今度は」
皆が一斉に杏を見る。
「え……でも、資格は?」
「ないけど、訓練なら受けた。お父さん、漁師だもん。海に潜るのは昔から慣れてる」
「それとこれとは違うよ」と光平が眉をしかめる。
だが、杏は落ち着いた目で答えた。
「危ないのは、わかってる。でも、誰かがやらなきゃいけないなら、私が行くのが一番いい。逃げたくない。私たちで止めるって、もう決めたから」
静寂が訪れた。海の音がまた、遠くから響いてくる。
真奈が口を開いた。
「……じゃあ、私、絶対に安全策を準備する。ガス探知と熱源センサー、設計し直す。杏が潜っても平気なように」
佳奈子もうなずいた。
「私は時間管理と撤収計画、綿密に立てる。秒単位で動けるように」
光平は最後まで渋い顔をしていたが、やがて口元を引き結んだ。
「……了解。僕は“反応しない観測機”を作る。小型で、装置の破壊センサーを騙せる奴」
杏は、砂浜の仲間たちをひとりずつ見て、しっかりとうなずいた。
「ありがとう。みんながいれば、私は大丈夫」
そう言って、空を見上げた。
白くまぶしい空の下、もうすぐ始まる夏が、彼女たちの決意を試すかのように、静かに幕を開けようとしていた。
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