第5話 森田 恭平

森田恭平は、メモリアが当たり前のように使われる社会に違和感があった。


確かに画期的だと思う。うっかり忘れたことも、これがあれば容易に思い出せる。手続きさえすれば、消すことだってできる。だが、記憶というのは、褪せていく思い出を探ることに、そして忘れてゆくことに価値があるのではないか。センチメンタルに過ぎるかもしれないが、恭平はそう思っていた。

しかしそんな恭平の考えは、古くさいと揶揄されることもある。表立って言わなくとも同じように思っている人はいるだろう。新たな技術を追わぬ生き方であれば、ある種仕方のないことだろう。

今や、メモリアを使うことが前提の社会と言ってもいい。ビジネスシーンではまさにそうだった。人間の力だけでは到底覚えられない量の記憶が求められる。人の力でいくら工夫しようとも、とても手に負えない。

恭平の勤務する会社では、メモリアを義務化する動きが出始めている。まだチップとインプラントハブの埋め込みをしていない社員には、施術料の補助も検討されているという。


三日前に届いた人事部からの通知メールを眺め、恭平は幾度目かのため息をつく。

意地を張って、辞職するか?


だが、そんなことをしてもこの流れは止まらないだろう。いずれこの波に飲まれざるを得ないのは、きっと間違いない。メモリアの利用には疑問を感じていたが、何かを犠牲にしてまでとの覚悟まではもっていない。テレビ、スマホ、AI。これまでさまざまな科学技術が人間をダメにするだとか文化を壊すだとか言われながらも受け入れられてきたことを知っているし、文明を拒否しているわけでもない。ならば、適切な時期に受け入れるのもよいのではないか。

そう決意した恭平は、チップを埋め込むためにクリニックに予約を入れることにした。会社で補助が出るのはいつになることかわからない。今はたいていの皮膚科で取り扱っている施術だ。生活費を圧迫するほど高いものではないし、また迷いだす前にやってしまいたかった。






実のところ、恭平はなぜかこの迷いに既視感があった。

それはつまり、チップとインプラントハブを入れることに。前にもそんなことを考えたことがあっただろうか。覚えがなかった。今まで一度だって、メモリアを使いたいと思ったことはないはずだった。確固たる信念として拒否していたわけでもないが、積極的に使いたいと思ったことはないはずだった。


思い違いなんてよくあることだ。そう思いながらも何か引っかかるものがあって、手帳を開いた。恭平は毎日の出来事を簡単に書き留める習慣があった。しかし、メモリアが一般に広がってからもう三、四年はするはずだ。あてもなく手帳から探すのは骨の折れる仕事だ。メモリアがあれば、可能かもしれないが。


皮肉なものだな、と恭平は思った。メモリアを使わないで頑張ってきて、メモリアを使おうと思ったときに不便さを感じるなんて。


ごろりと寝転がった恭平は、ふと二つ並べたカラーボックスの間に何か紙が落ちているのに気が付いた。引っ張り出すと、それはレシートだった。恭平がよく行くカフェのものだ。裏にどこかの電話番号の走り書きがある。調べると、それはメモリアケアセンターの電話番号だった。メモリアを使っていない恭平にもそれがどんな施設なのかはわかる。記憶を削除――正確にはディープブロックという――をする施設だ。


なぜ、メモリアを使っていない恭平の部屋にこんなメモがあるのだろうか。それにわからないことに、それは恭平の文字ではなかった。たとえ数字であっても個性は出るものだ。自分の文字ではないことはわかる。


誰かがこの部屋でこの番号を書いた。しかしそんな覚えはない。ならば、誰かが書いたメモを、恭平が偶然持ち帰ってしまったか。

いくら考えても答えは出そうになかった。


天井の電灯を見上げる。施術への既視感。見覚えのない、メモリアケアセンターの電話番号を記した誰かの文字。そんなことを考えていると、つい最近まで、誰かとこの電灯の下で語うことがあったような気さえしてくる。

「そんなに何もかも忘れるような歳じゃないと思うけどな」

記憶を探るように、恭平はテーブルを爪で弾いた。





翌週。クリニックに赴いた恭平は驚くべき事実を知ることになった。

恭平の耳の裏には、すでにチップとインプラントハブが埋め込まれていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る