第4話 松本 華絵


松本華絵はメモリアケアセンターでカウンセラーとして働いている。


その相談内容とは、記憶の削除に関すること。削除と言っても正確には記憶を消すわけではない。想起できないほど深く記憶を沈めるのだ。正式には、この技術は「ディープロック」と言うのだが、一般ユーザーは「削除」と言うことが多い。


親子関係、犯罪、暴力、いじめなどの深刻なことから、ささいな失敗や、テストの点数など、さまざまなことで記憶を削除したい人はたくさんいる。それに対応しているのがメモリアケアセンターだ。


「松本さん、今日の相談カルテ、セット終わってます」


「わかりました。ありがとう」


礼を言って、華絵はパソコンから相談カルテにアクセスした。今日の相談は二件。一件は、親に虐待された記憶を削除したいという依頼だ。本人の同意を元に照会をかけた行政の虐待認定は「あり」にチェックされている。それから、もう一件は性暴力の記憶の削除依頼だ。


記憶の削除……ディープロックのサービスは有料で手続きも要するため、制限はないがそれなりにハードルがある。そのため、申し込みは深刻な事例が少なくない。ただ、認められれば犯罪や虐待の被害者は費用が減免される。この性犯罪の依頼も減免対象にチェックがついていた。


相談に臨む前に、オンライン相談でスクリーニングされたデータを読み取り、相談に必要な情報を整理する。情報を丁寧に読み取りカウンセリングを行うことで、適切な削除ワードを決定するのだ。深刻でない案件であれば、そこまで細心の注意を払う必要はないが、虐待とあってはかなりの慎重さが求められる。今日はどうだろうか。


「一番の方、どうぞ」


マイクでクライエントを呼ぶ。やがてアシスタントと共に現れたのは、二十歳前後の青年だった。ひょろりと背が高く、やや猫背だろうか。涼しげな顔は、第一印象ではあまり深刻な幼少期を抱えているようには見えない。


カウンセリングルームは六畳ほどの、書棚とソファセットがあるゆったりとした部屋だ。もちろんクローズな環境で、外に声が漏れることもない。華絵は青年を向かいのソファにかけるよう勧めた。


「よろしくお願いします。ではまず、オンラインカウンセリングでお願いしていた、誓約書の確認をしていただきます」


華絵はタブレットをタップし、誓約書の画面を出した。これは、記憶のリカバリーには対応できないこと、ディープロックした記憶についていかなる責任を負えないこと、必要時医療機関受診を勧めることが書かれている。トラブルを避けるため、AIによるオンラインカウンセリングの時にすでに提示済で、実際のチェックは対面で行うことになっている。


クライエントは、華絵の説明をひとつずつ聞きながらチェックしていった。穏やかな様子で、文言も丁寧に読んでいるようだ。その様子に華絵はほっとする。


急いて、早く削除しろと迫るクライエントもあるのだ。そういう時は、トラブル防止のためにディープロックには慎重になっている。


「ディープロックのご希望は幼少期の記憶ですね。お変わりありませんか」


「はい。父の記憶を消したいんです」


「お父様は、今?」


「今は母とも離婚し、四年くらい音信不通です」


ディープロックした記憶のリカバリーはできない。だから聞き取りは慎重に、細心の注意を払う。AIカウンセリングを基礎にさらに詳細を聞いていくのだ。そうしてディープロックのための検索ワードを選択していく。


記憶とは複雑な感情が絡み合うので、たとえば「虐待」というワードですべて検索されるわけではない。なるべく記憶の残滓を残さぬようにするには、虐待行為そのものだけではなく、周辺の記憶を消す必要があることもしばしばだ。


ましてや、今回のケースはメモリア利用前の幼少期の記憶がディープロックの対象なので、漏れなく想起できなくするには、検索範囲を広範囲にする方がいい。


メモリアで作成される記憶フォルダは、クラウドにアクセスした日付ごとに作られる。その性質上、最初に作られたフォルダは生下時からアクセスした日までになるので、膨大なデータ量になるのだ。このためどうしたって検索精度が落ちる。


クライエントの語られる虐待の内容は淡々としたものだったが、それでも眉を顰めるようなものだった。父親は、彼自身と妻にも手をあげていたようで、彼が高校生の時に、母や兄弟と共に父の元から逃げたとのことだった。


「お父様の記憶をディープロックするには、お母様やご兄弟との記憶も一緒にディープロックする必要があります。お父様の記憶だけだと、たとえばお母様と一緒にお父様に暴力を振るわれたエピソードが残ってしまうか、矛盾した記憶になるんです」


華絵は、クライエントの理解をひとつひとつ確認しながら話を進めていった。


ディープロックは決して深刻なものとは限らない。昨日の嫌な出来事を忘れたいということであればたいしたことではない。だが、過去の長期間にわたることとなると話が違う。ここがディープロックの扱いの難しいところだった。


「そこで、ディープロックの対象ワードはお父様、お母様、ご兄弟に関すること、それと家族で住んでいた家や旅行のことも念のためワードに入れるといいでしょう。かなり古いことになりますから、学校の記憶は残しておいて大丈夫と判断しました。お母さまやご兄弟には、ディープロックをすることを話しておいた方がいいでしょう。そしてなるべく幼少期の話題はしないでいただくことです」


華絵は検索ワードがずらりと並んだリストをプリントして見せた。おそらくこれだけディープロックすれば、子どもの頃の記憶はほとんどなくなるだろう。


「検索ワードに漏れた記憶はどうしても残ります。そうした記憶が残滓として浮かぶこともありますが、すべて四年以上前の記憶なので、ほとんどないかうっすら思い出される程度の可能性が高いです。ただ、絶対ではありません。何度もお父様とのことを強く語られたりすると、思い出す可能性もあります。よろしいですか」


ここまでについて、クライエントは了承し、次回までに親族にディープロックすることについて話してもらうことになった。


午前の相談が終わった。午後のクライエントは、性被害の削除依頼だ。今日は重い相談が続く。


それでもやりがいのある仕事だと、華絵は思っている。


華絵は昼休憩をとろうと、立ち上がった。

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