ダンジョン底辺録~社会不適合者がダンジョン攻略するってよ~

秋雨春月

第1話

朝七時十五分。

 今日も同じ時間に、同じコンビニで買った缶コーヒーを片手に、佐伯拓は山手線のホームに立っていた。気温は高くないのに、額には汗が浮いている。寝不足のせいだ。いや、人生に疲れているだけかもしれない。


 「また同じ日が始まるのか……」


 誰に聞かせるでもなく、ただ呟く。

 スマホの通知欄には、派遣先の管理者からのメッセージ。「今日の案件、10時入り厳守です」とだけあった。


 俺は三十五歳。最終学歴は高卒。

 正社員になれたことは一度もなく、職を転々とし、今は倉庫作業の派遣社員として、なんとかその日暮らしをしている。


 正直、未来のことなんて考えていなかった。考えるだけ無駄だと思っていた。

 だからこそ、この日も、いつものようにぼんやりと電車を待っていた――その瞬間までは。


 「……え?」


 駅全体が、一瞬にして闇に包まれた。

 電灯が消えたわけじゃない。日が陰ったわけでもない。

 周囲の空気そのものが、ざらりとした冷気に変わり、俺は本能的に「何かが壊れた」と感じた。


 視界が一変する。

 ホームの床は古びた石畳へと変わっていた。乗降者で賑わっていたはずの空間には、誰一人として姿がない。列車の音も、人の声も、都市の喧騒も――すべてが、嘘のように消えていた。


 「夢……か?」


 俺は自分の頬を強くつねった。痛い。夢ではない。

 冷や汗が背筋を伝い、足元を見ると、そこには『ダンジョンエリア第一階層:試練の回廊』という文字が浮かんでいた。


 そして、脳内に直接響く声があった。


 《適性確認完了。ユーザー認証──攻略者ナンバー01、佐伯拓》


 「な、なに言って……?」


 混乱したまま、俺は周囲を見渡す。出口などどこにもない。ただひたすら、朽ちた石の回廊が奥へ奥へと続いている。


 《第一階層、起動。クリア条件──突破、もしくは死亡。》


 「……なんだこれ。何が起きて……」

 俺は困惑した。幾度となく夢見た物語のようだった。


 「ライトノベルじゃあるまいし、冗談きついぜ……」


 何の前触れもなく、異常な空間に放り込まれ、生死の選択を迫られている。

 だが、もう逃げ道はない。


 「とにかく、ここから出るには進むしかないってことか」


 俺はスーツの埃を払いながら、暗い回廊を進み始めた。


 


 どれくらい歩いただろうか。気づけば目が暗闇に慣れ、少しずつ周りが見えるようになっていた。

 回廊は石レンガでできており、高さも幅も四メートル四方ほどある。


 「運動不足の中年には、そろそろきつくなってきたぞ。二キロくらい歩いたんじゃないか?」


 回廊は先が見えないほど長く続いており、今さら引き返すこともできず、惰性で歩き続けてしまった。


 「いい加減もうきついぞ……買った水もそろそろ尽きる。いつになったら終わるんだ……」


 さらに五キロほど歩き、限界を感じ始めたそのときだった。


 《第一階層、突破を確認。クリアタイムは二時間十三分。第二階層へ進んでください。》


 「な、なんだ? 突破したのか? やっと終わったと思ったら、まだ続くのか……」


 俺は「少しは休ませろ」と言わんばかりに、アナウンスと共に出現した階段を下り始めた。


 


 《第二階層、起動。クリア条件──突破、もしくは死亡。》


 「さっきと同じく、突破か死亡か。少しは休憩させろってんだ……」


 俺は悪態をつきながら、また進み始めた。進んだ先には、不自然な壁があった。


 「なんだこりゃ……壁に上矢印? 上に何かあるのか?」


 見上げても、特に何かがあるわけでもない石レンガだった。

 もう一度壁をよく確認してみると、不自然な隙間が空いていた。


 「おい、まさか持ち上げろってか? 勘弁してくれ、こちとら社不の中年だぞ」


 だが、壁は見た目に反してすんなり持ち上がり、潜り抜けることができた。


 「意外と軽くて逆にビビったわ。五キロくらいか?」


 俺は次々と矢印の方向に壁を持ち上げ、ずらしながら進んでいく。


 「気のせいと言い聞かせてきたが、明らかに重くなってるよな、これ! 重すぎて腰が砕けるわ!」


 最初は五キロほどだった壁も、進み続けるうちに徐々に重さが増していき、今では四十キロほどになっていた。


 「こんなに運動したの学生以来か。ったく夢に見たファンタジー体験だってのに、こんな訳わからないことさせられるなんて、マジで何なんだこれ……」


 俺は、ただひたすらに進み続けた時再びアナウンスが流れた。


《第二階層、突破を確認。クリアタイムは1時間23分。第三階層へ進んでください。》


「やっと終わったと思ったらまだ続くのか…もう勘弁してくれ」

俺は肩で息をしながらとぼとぼと次の階層へ進み始めた


 

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