TOKYO GHOST 〜次元境界都市〜

@kamin0

白い少女

 5年前、東京湾に現れた真っ白な鳩は、眩い光を放ち周辺にいた船舶を消失させた。これが初めて観測されたGHOST現象と、その結果だった。後に、その鳩は分子レベルで精密に作られた生体ロボットだと判明した。その後、時を待たずして絶滅したはずのマンモスが渋谷に出現する。さらにその後、第二次大戦時の戦闘機が八王子上空に出現。


 これらの無造作で規則性の無い異常現象は、日本の東京都のみで確認された。後にこの現象を専門家は


『Gateway by Harmonic Overlap of Spectral Transfer"次元境界共鳴によるスペクトル転送"』


 と仮定し、通称『GHOST現象』と呼ばれることとなった。さらに、この現象で出現する存在、物体は『フラクタル』と名付けられた。




「おかげで飯が食べられてるんだ。文句は言えないよな……」


 深夜の首都高を走る車内で、スーツ姿の20代後半ほどの男はそう呟いた。その助手席には一丁の拳銃が置かれている。


 と、そこに電話がかかってくる。と言っても、その着信音は耳に埋め込まれた骨伝導通信機からである。


「はい、網代」


『現場まであとどのくらいだ、藤次』


「もうすぐです。今大黒ふ頭の辺りなんで」


 藤次は久々に見る横浜の夜景を見ながら答える。そして藤次は言った。


「……それにしても、珍しいですね。東京以外でフラクタルが出現するなんて。たしか2年振りでしょう?」


 それに電話の相手は答える。


『まあな。だが、危険性は無い。識別コードは推定でNB、"友好的な生物"だ』


「分かってます。だからって気は抜きませんよ」


『頼んだぞ、うちのニューエース』


「エースって……」


 藤次がそう言いかけた所で電話は切れる。


(あの局長、いつにもまして圧をかけてくる)


 藤次はやれやれとため息を吐くと、車を走らせる。


 横浜ベイブリッジの高速道路上では、橋のど真ん中に、夜中でも燦々と輝く警告灯の赤い明かりが点滅していた。近づいてみると、パトカーと規制線で円形に囲まれた空間の真ん中に、ブルーシートの仕切りで何かが覆ってある。


(ブルーシート?フラクタルは逃げ出さないのか?)


 藤次は違和感を覚えつつも、その近くに車を停める。そして降りると、すぐに警察官が声をかけてくる。


「すみませーん、今フラクタルの回収作業中で通行止めなんですよ」


「ああ、いや。僕は境界検閲局の者で……」


 藤次は懐から黒い手帳を取り出して警察官に見せる。


「当該フラクタルの回収に参りました」


「……!検閲官の方でしたか!どうぞ、こちらです」


 警察官は藤次の手帳を見るや態度を一変させる。


「いつもご協力感謝します」


 藤次も慣れた様子で警察の貼った規制線を越える。そして担当の刑事が藤次に声をかけた。


「網代、久しぶり」


 まだ若そうな女性刑事はそう言って横から藤次の肩をたたく。


「お久しぶりです。北上刑事が今回の担当ですか?」


「そうだ。不満か?」


 その問いに藤次は笑って答える。


「まさか。ところで、なぜブルーシートを?」


 藤次は尋ねる。それに北上は


「見ればわかる」


 それだけ言ってブルーシートの仕切りを開いた。


「これは……」


 そこには、腰まで伸びた美しい白い髪と白磁のような肌を持ち、まるで人形のような顔をした、15歳ほどの少女が膝を丸めてアスファルトに横になっていた。


「死んではいない。寝ているんだ」


「寝てるって、高速道路のど真ん中でですか?」


「フラクタルにこちらの常識は通用しない。君も分かっているだろう?」


「そうですが……」


 藤次は腰を屈めてこの可憐な少女の顔を覗き込む。見れば見るほど息を呑むような美しさである。


(こんなフラクタルは初めてだ……)


 藤次がそう思ったその時だった。少女が目を開いたのだ。


「……!」


「起きるか」


 驚く藤次をよそに、北上は連絡を取る為ブルーシートを出る。


「かわいそう……」


 一方で、少女はそう呟くと、藤次に手を伸ばす。


「お、おいおい!待てよ!」


 藤次は思わずその場に立ち上がって後ずさる。そして深呼吸すると、きょとんとした顔でこちらを見上げる少女に優しく尋ねた。


「えーと、君の名前は?」


「……イオリ」


(日本語が通じるのか)


「良い名前だ。じゃあイオリちゃん、お家はどこかな」


「しらない」


「じゃあお父さんお母さんは分かる?」


「しらない」


 イオリは一貫してそう答える。


(またアンドロイドの類か?)


 藤次はそう思いながらも、また腰を屈める。


「イオリちゃん、ここは危険な場所なんだ。だから安全な場所に行くために、お兄さんについて来てくれるかな」


「………」


 イオリは答えない。


「イオリちゃん?」


「その子、無理やり連れてきたの?」


 イオリは藤次の腰のあたりを指差す。


(まさか……)


 藤次は若干警戒を強めながら、腰のホルスターから拳銃を取り出す。それは助手席に置いていたものだった。


「これのことかな」


「うん。本当はそんな形じゃなかった」


(やっぱり勘づいているのか)


 藤次は拳銃を見る。すると拳銃は微かに震えた。それはフラクタルだったのである。識別コードGE-244S 『ソードフィッシュ』。去年出現した英空軍の戦闘機、ソードフィッシュと酷似したフラクタルである。そしてその特徴は、第二次世界大戦で使用されたあらゆる兵器に変形する事であった。


「君はこれが何か分かるの?」


「うん。世界が教えてくれるから」


「世界?」


「うねって、弾いて、震えて、聞こえるの」


 イオリはただそれだけ言った。藤次は戸惑いと警戒をさらに強くする。


(コイツ、何かある)


 その時だった。


「網代、まだか?」


 北上が外から声をかけてくる。網代は一旦疑念を払うと、イオリに声をかける。


「イオリちゃん、お兄さんとは一緒に行きたくない?」


「………」


「この銃みたいなモノも見れるよ?」


 藤次がそう言った途端、イオリの表情が変わる。


「行く」


「よし!決まりだ」


 藤次はイオリを連れてブルーシートの空間を出る。ベイブリッジのライトに照らされるイオリは、まるでこの世のものではないような雰囲気を醸し出していた。


「まじまじと見過ぎだ、網代」


「え?」


 北上に言われて初めて、藤次は自分がイオリに見入っていた事に気付く。


「まあ、その気持ちも分からんではないけどな」


 北上は続けてそう言った。


 そして藤次はイオリを車に乗せると、北上に礼を言ってベイブリッジを後にした。出発した直後、ふと藤次がバックミラーで後部座席を見ると、イオリはシートベルトをしたまま扉にもたれて眠っていた。


(また眠っている……。一年この仕事をしてきて、こんなフラクタルは見たことも聞いたこともない)


 藤次はそう思いながらも車を走らせるのだった。


 行き先は霞ヶ関にある境界検閲局本部である。そもそも境界検閲局とは、GHOST現象を受けて政府が設置した専門機関で、フラクタルの回収と管理を行っている。そして藤次はフラクタルの回収を担当する"検閲官"であった。


(局長はなんて言うんだろうな)


 藤次はそんなことを思いながら、検閲局本部建物の裏側にある専用搬入口を通って、車ごとエレベーターに乗った。そして音もなく滑り出したエレベーターは地下55階で停まった。開いたゲートの先には全面真っ白な広大な空間が広がっており、そこに正方形の箱のようなものが整然と積み上げられている。ここは危険性の無いフラクタルが収容される倉庫で、藤次は局長直々にここに呼ばれたのである。


「まずはご苦労だった。藤次」


 倉庫に併設する局長室では、40代ほどの初老の男がそう言って藤次を見た。相変わらずの鋭い目である。


「ありがとうございます、海門局長。それで、なぜ僕をここに?」


 フラクタルの収容は検閲官の管轄外である。その問いに、海門は真剣な顔で答える。


「実は、君に伝えなければいけないことがあってな」


「伝えなければいけないこと?」


「ああ。今回回収したフラクタルについてなんだが」


「イオリですか」


 海門は頷く。そして言った。


「『伝書鳩事件』から5年、我々は次の準備を進めなければいけないと考えている」


「次の準備……」


「それはつまり、"フラクタルの平和的な利用方法"だ」


 海門は続けて言う。


「現状、フラクタルの使い道は軍事的なものしか無い。だが、それはあまりにも危険すぎる。他国からの圧力も大きい。そこで、フラクタルの平和的な使い道を模索することになったのだ。そして、その第一号が君と"イオリ"だ」


「はあ、それは具体的にどういう……」


 藤次は話が掴めずにいた。現状、攻撃的なフラクタルに対処するために、検閲官は回収されたフラクタルの使用を限定的に許可されているのだった。


(俺にはもうソードフィッシュがある。それに、平和的な使い道の模索って、いまさら何をするんだよ)


 藤次の疑問を見透かすように、海門が答えた。


「検査の結果、彼女には特異性が発見出来なかったのだ。だが彼女は、現場の記録によると君のソードフィッシュと共鳴していた。特異性が無いにも関わらずな。つまり彼女は、未知の方法でフラクタルに干渉出来るのかもしれない。その謎を解明する必要がある」


 海門は言う。


「そしてソードフィッシュの所持者は君。さらに、彼女と初めて会話したのも君だ。そこで君には、NB-47『イオリ』の育成と観察を任せたいのだ」


「……え?」


「そして、イオリの成長を促進するために我々と同様の日常を送らせてくれ。君には世話役兼見張りとして、こちらで用意した家でイオリと共に住んでもらう」


 海門は更に、そう藤次に告げた。こうして、人間とフラクタル、藤次とイオリの奇妙な共同生活が始まったのであった。

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