第3話 サフィーネの助言
夕食の提供を終えて一旦の食事休憩をもらったリゼットは、まかないを持って自室へ戻った。
するとベッドの上ではサフィーネがうつ伏せで寝そべっており、こちらに気付くと「おかえりぃ~」と力なく挨拶してくる。
「ただいま、サフィーネ。どこか具合が悪いの? 大丈夫?」
「疲れただけだから平気よ。……ん~、いい匂い。お腹空いたぁ……」
胃の辺りをさすりながら席に着いたサフィーネは、トレイに載った料理に目を輝かせた。
「あら、ご馳走じゃない! これって牛肉?」
「ううん、それは一角鹿」
「イッカ……ん? なんて?」
「イッカクジカ。とても希少なお肉なんだって」
「へぇ~? あたし、聞いたことないんだけど……」
「私も今日初めて知ったんだけど、ほら! とっても美味しそうだよ。冷めないうちに早くいただこう」
「う、うん……」
ほのかに漂うフルーティな香りはハーブのおかげか、それとも果実酒でフランベしたからだろうか。
口に運んだ赤身肉は外側がカリッと香ばしく中はしっとりとしていて、噛めば噛むほど旨味の詰まった肉汁があふれ出す。
あまりの美味しさに早くも二枚目に手を伸ばすリゼットとは対照的に、サフィーネは眉間にしわを寄せて料理をジッと見つめていた。
「どうしたの、サフィーネ。食べないの?」
「……ねぇ、この黒っぽい料理はなに?」
「あっ、それは大王鳥の卵を使ったオムレツ。私が作ったまかないなのよ。中にチーズを入れてみたの」
「へぇ~、そうなんだ。食べてみよう……って、なるわけがないでしょうが! 大王鳥ってなに? 名前からして怖すぎるんですけど⁉」
「大丈夫。怖くない、怖くないよ、サフィーネ」
「はぁ⁉ 謎肉と謎卵を出されて大丈夫な人はいません! 説明を求めます、今すぐに!」
「はっ、はい!」
慌ててフォークとナイフを置いたリゼットは、厨房で見聞きした食材のことを話し出した。
説明すればするほどサフィーネの表情は曇っていき、最後は一角鹿の香草焼きとオムレツの皿を目の前からスッと遠ざけてしまった。
「あたしは、無理」
「美味しいよ? 味は私が保証するから」
「そういう問題じゃないのよ! 見たことも聞いたこともない謎の生き物の肉と卵なのよ。貴女は怖くないの?」
「うーん……。確かに私も最初は驚いたけど、郷土料理だと思えば平気かな。それに本当に美味しいんだもの」
「貴女の食に対する好奇心はもはや才能ね。あっぱれだわ、リゼット」
「えへへ、ありがとう」
「褒めてないから! でも、まぁ……屋敷のしきたりに従うのも住み込みメイドの務めか。──よし! 食べてやろうじゃないの!」
サフィーネは威勢よくフォークを持ったものの、やはり生理的に受け付けなかったのか、口元を手で覆って「うっぷ」とえずいた。
「サフィーネ、無理しないで。今日は食べられるものだけにしましょう?」
「うん……そうする……」
「じゃあ、お肉とオムレツは私がもらうね。サラダとパンは普通の食材だから、よければ私の分もどうぞ」
「ありがとう……。はぁ……初日から容赦なく掃除をさせられるわ、変な料理を出されるわ。先が思いやられるわ……」
パンをちぎって口に運びながら、サフィーネはブツブツとぼやきはじめた。
食事を始めた頃はぐったりしていた彼女だが、空腹が満たされていくにつれて元気を取り戻したのだろう。愚痴をこぼす声にも張りが出てくる。
「ここ、広すぎて掃除がとっても大変なのよ。男ばかりの屋敷にしては綺麗な方だとは思うけど、プロのハウスメイドのあたしから見たら、まだまだね。目に付くところをピッカピカにしてたら、もうクタクタよ」
「掃除って終わりがないから大変だよね」
「ホントにそうなのよ! 『さっき掃除したばかりなのに、その埃どこから出てきたの⁉』ってなる時、あるでしょう?」
「あるある。よくあるね」
「はぁ、明日は絶対に筋肉痛だわぁ…………あっ」
話の途中でなにかを思い出したのか、サフィーネが身を乗り出してきた。
「そうそう、聞いて。清掃のために屋敷の見取り図を見せてもらったんだけど、子供部屋があったのよ」
「子供部屋? でも旦那様は独身だよね?」
「そうなのよ! だからあたしも、『これはなにかあるぞ』ってビビッときてね。調べようとしたんだけど、子供部屋の辺りは立ち入り禁止だし、そもそも今日はそんな暇もないくらい忙しくて……。だから、明日から情報収集してみるつもり! リゼットもなにか掴んだら、教えてちょうだい」
「フフッ。情報収集って、なんだか探偵さんみたいだね」
リゼットがおっとり返すと、サフィーネは「チッチッチ」と人差し指を左右に振った。
「ぼやっとしていちゃ駄目よ、リゼット。あたしたちみたいな立場の弱い使用人こそ、屋敷の事情に精通してなきゃ。気付かないうちに貴族の面倒事に巻き込まれて、職を失うどころか人生メチャクチャになっちゃうんだから」
サフィーネの言葉をきっかけに、脳裏をよぎるジェイドの顔。
(もしあの時、気持ちに気付けていなかったら……)
想像しただけで背筋に冷たいものが走る。
「庶民のあたしたちにとって、情報はとっても大切よ。自分を守れるのは他の誰でもない、自分だけなんだからね!」
──自分を守れるのは、自分だけ……。
他人の想いを読み取ることは良心が
けれど力を使わずに取り返しのつかない事態になってしまうのなら、これからは時と場合に応じてうまく使用していくべきなのかもしれない。
サフィーネの助言は、リゼットに自身の能力を見つめ直すきっかけをくれたのだった。
楽しい夕食の時間を過ごしたリゼットは、皿をトレイに載せて立ち上がった。
「厨房の片付けが残っているから、私は戻るね」
「夜遅くまで大変ねぇ、お疲れさま。いってらっしゃい」
部屋を後にして厨房の前まで行くとちょうど扉が開き、中から焦げ茶色の短髪の男性が出てきた。
彼はトレイを持って両手が塞がっているリゼットに気が付き、ドアを押さえたまま待ってくれている。
「ありがとうございます」
感謝を告げて中に入り振り返れば、彼はにっこりと微笑み去っていった。
調理場ではすでに食事休憩を終えた使用人たちが、片付けをしたり翌日の仕込みに取りかかったりとテキパキ働いていた。
「すみません、遅くなりました。明日からもっと早く食べ終えて戻ってきます」
「いや、気にするな。俺らが早飯食いなだけだ」
「軍人の職業病って奴だな。──なあ、コンラートさん、ゆっくり食事休憩を取っても問題ないよな?」
「ああ。好きにしろ」
そう答えながら近づいてきたコンラートはリゼットの手元の皿を覗き込み、「へぇ」と小さく呟いた。
「完食か。もうひとりの新人メイドも肉とオムレツを食えるたぁ、意外だな」
「いえ、その……食べ慣れない食材だったようで……」
申し訳なさそうに答えるリゼットの表情から、サフィーネが口にできなかったことを察したのだろう。コンラートは特に気にした様子もなく「だろうな」と返した。
「じゃあ、お前がふたり分食ったってわけか?」
「はい! とても美味しくいただきました」
「あの量をひとりで……お前、底なしの胃袋だな」
苦笑しつつ感心したように言うコンラート。
なんだか、少し前にもサフィーネに似たようなことを言われた気がする。
「まぁ、あの食材は食い慣れるまで要塞の兵士でも苦戦するシロモノだ。今日はたまたま新鮮な肉と卵が手に入っただけで、そう頻繁に出すわけじゃねぇ。安心しろと、もうひとりのメイドに言っておけ」
「分かりました。伝えておきます」
「あとは、そうだな……。今回みてぇな時は、慣れるまでお前さんが代わりになにかを作ってやれ」
「よろしいのですか?」
「余りモンの食材を使うなら、別に止めはしねぇよ」
「ありがとうございます、コンラートさん」
コンラートは軽く頷いてそのまま厨房を出ていく。
リゼットは空の食器を流し台に運び、せっせと洗い物を片付けはじめるのだった。
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