しろくてながくてあかいもの

秋犬

たべられるほかに すくいはない

 山で倒れた人がいる、一緒に来てくれないか。


 そう言われて八歳のキミエが白い人影について山の中に入ってから、三十分ほどが経った。どこまで言っても倒れている人は見えず、もう帰り道もわからない。山に入る前は明るかったはずなのに、空はどんどん赤くなって辺りは次第に薄暗くなっていく。


「ねえ、まだなの?」


 キミエは前を歩く白い人影に尋ねた。夜遅くまで母親が帰ってこないキミエは、毎日違う家に夕飯をもらいに行っていた。たまに家に母親がいても知らない男の人とお酒を飲んでいるので、キミエは家にいたくなかった。


「もうすこしだよ」


 人影の声は油を差していない蝶番ちょうつがいのように甲高かった。どうせ家にいてもつまらないし、友達の家にも行きにくくなっていたキミエはこの変な白い男に着いていくことにした。人助けをしたら、お礼に夕飯を食べさせてもらおう。そのくらいの軽い気持ちであった。


「ほら、ついた」


 人影が指さした方には、倒れた祠があった。老朽化して崩れ落ちたのか、誰かに壊されたのか。黒ずんだ木材が地面にべしょりと落ちている。


「人なんていないじゃない」

「ひとは、いるよ。ここに」


 人影の声がまた響き渡った。金属が擦れるような嫌な声。見渡しても、人影の姿はどこにも見当たらなかった。


「きたきたきたきた。ひとがきた」

「ようこそきたきた。ひとがきた」


 キミエはぞっとした。ひとりしかいなかったはずの人影の声が、いくつも重なって聞こえてくる。耳障りなその声はキミエの耳元で発せられた気がした。


「ひとはすきだ。かわいいから」


 倒れた祠の下から、白くて長いものがぬっと現れた。キミエは叫んで逃げだそうとしたが、足がすくんで動かない。


「ひとはすきだ。ぬくいから」


 地面から現れた白くて長いものは、ずぶずぶと地面から体を引き抜きながらキミエの前まで迫ってきた。表面はぬめぬめとした粘性の液体に包まれていて、土と粘液が混じって汚らしく嫌な匂いがする。


「ひとはすきだ。おいしいから」


 白くて長いものの先が割れた。真っ白で鋭い歯と、赤黒い歯茎がぐわりとキミエの視界に入った。


「きゃああああああ!」


 あまりのおぞましさにキミエは声を上げた。白くて長いものはぬらりぬらりとキミエに近づいてくる。キミエは逃げだそうとしたが、その場に尻餅をついてしまった。すっかり腰が抜けてしまい、立ち上がることができない。


「来ないで、来ないで!!」


 じりじりと迫ってきた白くて長いものをキミエは蹴ったが、ぶにぶにとした感覚がキミエの足に伝わるだけだった。


「ひとがきた。ひとがきた」


 白くて長いものはキミエの右足に齧り付いた。


「ぎゃあああああ!」


 鋭い歯を突き立てられて、キミエは絶叫する。白くて長いものはキミエの右足をそのまま噛みちぎり、咀嚼して体内に収めていく。


「いやあああ、あああああ、あああああ」

「おいしい。ひとはおいしい」


 再び白くて長いものはキミエに近づいた。声を上げ続けるキミエの腰から下を飲み込み、囓り取る。


「ああああ、たべられてる、あああああ」

「うれしい。ひとはうれしい」


 キミエが最後に目にしたのは、赤黒い歯茎と自分の血で真っ赤に染まった牙であった。


「ああああ、たべられる、ああああ」

「ひと、しあわせか」

「怖いよう、死ぬのは怖いよう」


 キミエが最後に漏らした声に、白くて長いものは返事をする。


「しなず。われとなる」

「われ……?」

「われ、ひとりにあらず。ひと、おいしい。おいしいひと、われになる」


 そしてキミエは頭から白くて長いものに飲み込まれた。頭も身体も歯でぐちゃぐちゃに噛み砕かれて、何もかもが一緒になってキミエはキミエでなくなった。咀嚼を終えた白くて長いものは再び地面の中に潜り、その姿を現さなかった。


***


 山の端で一番星が輝いていた。食べられたキミエは起き上がって乱れた服を直すと、元来たであろう道を戻っていった。すっかり暗くなった道を歩いていると、いろんな人が「白くて長いもの」に食べられているのがよくわかった。


 ああ、あの人は頭がない。

 こっちの人は腕が両方ない。

 私は腰から下がない。


 あはは、白い奴の言うとおりだ。

 おいしいひとは、みんな食べられた後だったんだ。

 私はひとりじゃなくなったんだ。


 急に腹が減ってきた。キミエは喉を鳴らして、今夜の獲物を探す。とりあえず、今夜母親が連れて帰る男なんてどうだろう。きっとおいしいおいしいって食べてくれるに違いない、とキミエは金属のような声でケタケタ笑った。


〈了〉

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