学校に残されていくモノ
@namakesaru
由美
行きたくない。
苦痛しかないその場所に、なぜ行かなければならないのだろう。
いっそ、壊れてしまえば楽かもしれない。おばあちゃんみたいに。
由美の祖母は、認知症を患っていた。
買い物に行っては、あんパンやメロンパンを大量に買ってくる。そんな症状が見られ始めたのは、由美が中学校に入学する頃だった。
それから2年たち、祖母は金を払うという手続きをせずに、欲しいものを持って帰ってくるようになってしまった。つまり万引きだ。
両親は、祖母が買い物に行く店に話をつけ、事後払いを許してもらっていた。
仕事が大好きで役職にも付き輝いていた母は、仕事をパートに変えてその輝きを失った。
夕方早くに帰ってきては、祖母の支払いのために出かけていく。そして帰宅してからは、祖母の持ち帰ったものをご近所に配る。これも、頭を下げてもらっていただくのだ。
肝心の祖母は、自分が持ち帰ったものを処分されることに納得がいかずに、母を罵る。あなたたちが喜ぶと思って買ってきたのに、そう言って。
そして、翌日にはすべて忘れて、また万引きを繰り返す。
「由美のおばあちゃんって、泥棒だよね?」
亜沙のその一言がきっかけだった。
「ねえ、みんな聞いて! 由美のおばあちゃんって泥棒なんだよ。私見ちゃった。たくさんのパンを袋に入れて、黙ってお店から出ていくところ。家族にそんな人がいるってことは、由美もヤバいよね」
「やだ、私のボールペンが由美の机にある! さっきから探してたのに!」
佳奈が声を張る。さっきまで私の机のまわりでおしゃべりしてたじゃない。その時に忘れていっただけでしょ?
佳奈を見ると、片方の口角だけが上がっている。いままで見たことのない表情に本能的に感じたのは悪意だった。
亜沙や佳奈は、クラスの誰かの持ち物で気になる物があれば勝手に自分の物とした。本来の持ち主が抗議すると、私のせいになる。
「え? 由美がくれたんだけど…。ごめんね! 泥棒の言うこと信じちゃダメだったよね」
そう言って。
クラスのみんなもわかっていたはずだ。でも、面倒だったのだろう、やがて由美は孤立した。
孤立した由美がサンドバックに転落するのは早かった。
泥棒の孫なんだから、平気だろ? 盗んで来いよ。
断れば、暴力が待っていた。髪を引っ張られ、背中を思いっきり殴られる。
「いいの? この間万引きしたこと、チクっても。学校がいい? 警察がいい?」
由美は、抗うことができなかった。
事実を伝えれば、両親は由美を信じてくれるだろう。でも、万引きを犯してしまった事実はそこにある。
輝きを失い、いつも暗い顔をしている母にこれ以上負担をかけたくなかった。
母が得ていた収入の補填と祖母の見境のない買い物の支払いのため、父も無理をしているのだろう、帰宅が遅くなった。
家にいるときの父は、自分の母親の面倒ごとを引き受けてくれている妻をねぎらうことに終始していた。自分の食器は自分で洗い、母にコーヒーを淹れその日の報告を聞く。休みの日には祖母を連れて外出する。
そんな父に相談することもできない。
由美は惰性で生きていた。昨日朝ご飯を食べたから今日も朝ご飯を食べる。昨日学校に行ったから今日も行く。そんなふうに。
そして、今日も惰性で登校した。
教室に入る。何人かがこちらを向く。目線だけをこちらへ向ける。由美だとわかると皆、何も見なかったように今まで通りの行動を継続する。
惰性で席に着く。
カバンの中の荷物を机の引き出しに移す。
興味のない文庫本を開く。
彼女たちの声を拾い、身がすくむ。
いつもなら、朝の時間はかまわれることはない。ほおっておかれるはずだ。
なのに、その声は今日は直接降ってきた。
「由美ちゃん、おはよう」
棘のない、妙な粘っこさもない、明るい響き。
おそるおそる目を上げると、亜紗と佳奈の明るい表情。見たことのない人懐っこい表情がそこにあった。
「お、おはよう」
どうにか言葉を絞り出した時には、二人はもういない。それぞれの席に向かっていた。
その日。
彼女たちは穏やかな笑みを浮かべて存在していた。授業にも今までになく積極的に参加していた。
いままで由美の背中に被さっていた黒い重さはなかった。その軽さに、思わず由美は影を探したほどだ。
一番警戒すべき昼休み。
「わたし、パン買ってくるね! 先に食べてて!」
佳奈が宣言したと同時にいなくなった。
いつもなら、由美に買ってくるよう命じるところだ。
「お腹すいちゃったから、お言葉に甘えて先に食べようかな。 由美ちゃん、食べるでしょ?」
この気持ち悪さは何なのだ。
「…亜紗ちゃんが食べるなら私も食べる…」
「良かったあ! じゃあ、いただきます!」
やがて、パンをゲットした佳奈が戻ってきて。
「思ったよりも時間かかっちゃった。良かった! 待たずに食べてくれていて。わたし、超特急で食べるからね!」
食事が済めば。
また校舎の影の目立たぬところに連れていかれることを想定する暗い気持ちと、もしかしたら今日は何も起こらないのかもしれないという淡い期待と、相反する気持ちが波のように訪れていた。
結論として、その日の昼休みは教室の中で過ごした。
由美ちゃんはどんな本を読んでいるの?
そんな二人の問いかけに、大して興味のない文庫本を二冊取り出す。
「なんだか、意外」
佳奈のつぶやきに亜紗が同意する。
「そうだよね。なんだか由美ちゃんのイメージと違う…。でもイメージと好き嫌いは違うよね! いま読んでない方、借りてもいい? 読了するかはわからないけれど、チャレンジしてみたい!」
そうして、一冊を亜紗に渡した。
何が起きているのだろう。何かがおかしい。
この状況を素直に受け止めるほど、由美は愚鈍ではなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます