第15話「最後の資金会議」
八月十日、午前十時。
桜峰市内にある結衣の家は、外観こそ静かだが、その居間には緊迫した空気が流れていた。
丸いちゃぶ台を囲む七人。それぞれの前にはA4用紙が一枚ずつ配られ、手元にはペンと電卓、そして湯気の立つ麦茶のコップ。
結衣が深く息を吸い、口を開いた。
「……今から、収支の再確認をします。現時点で想定される赤字は──六万七千円です」
その一言に、室内の空気が微かに揺れた。
「六万七千……!?」
驚いたように声を上げたのは洋輔だ。
「この前の屋台イベントで結構稼いだはずじゃ……」
「稼いだ分は、ジェットコースターの歯車と、ステージ機材のレンタル費でほぼ消えた」と結衣が即答する。
「それに、前提として私たち、最初の見積もりでは安全備品をかなり甘く見てたの」
その言葉に、蘭が静かに頷いた。
「転倒防止マット、簡易AED、誘導灯テープ……それと、保険。どれも絶対に削れない」
「てか」と幸平が口を挟む。
「それ、全部なかったら事故起きるぞ。見積もりが甘かったってのは事実だけど、気づけてよかったじゃん」
一翔は無言でうなずいた。彼の手元には、びっしりと書き込まれた手書きのノートがあり、その一番下に大きく赤字で「67,000」と書いてある。
その数字が、ひどく重たく見えた。
「……で、どうすんの? まだ打つ手ある?」と実希が尋ねる。
その言葉に、場の視線が裕介に集まった。
彼はすでに何枚もの資料を広げ、パソコンを開いていた。
「あるよ」と、彼はあっさり言った。
「クラウドファンディング」
「は?」と洋輔が聞き返す。
「いやいや、俺たち中学生だよ? クラファンって、大人がやるやつじゃないの?」
「もちろん、未成年が名義で立ち上げるのは無理。でも、親の同意と大人の協力があれば、代理登録という形でできる。手続き的には、問題ない」
結衣が眉を寄せる。
「でも、そんな短期間で……」
「短期間だからこそ。今日中に準備して、明日公開すれば、拡散の波が夏休み中に来る」
その言葉に、全員の空気が少しだけ変わった。
実希が口を開く。
「返礼品はどうするの? “投資”してもらうなら、何かお礼とか、実物あげないと」
「その点も考えてる」と裕介は言い、プリントを手元に配った。
そこにはこう書かれていた。
【クラウドファンディング返礼案】
・500円:ありがとうメッセージ+来園者ネームボード掲載
・1000円:オリジナルポストカード+メッセージ
・3000円:遊園地オリジナル缶バッジセット
・5000円:復活当日の写真入りアルバム+手書きメッセージ
・10000円:園内放送でお名前紹介+限定ステッカー
「ステッカーとかグッズは、実希と蘭にデザイン協力してもらえる? ポストカードの原案も、遊園地の観覧車を背景にした手描きスケッチで」
「やる!」と実希が即答した。
「プリントする紙も、うちにインクジェット用のいいやつあるから、それ使えばコストも抑えられる」
「メッセージ部分、私は手書きやるよ」と聖美が申し出た。
「誰か一人の字じゃなくて、全員の直筆で書くと、温かみが伝わると思う」
「それ、いいじゃん」と一翔。
「みんなの思い、直接届ける感じになるし」
「あとさ……」と洋輔が何か思いついたように手を挙げた。
「ラッピングバス作戦でさ、協賛者の名前を車体に入れるっていうのは? “あなたの支援で走ってます”って感じでさ」
結衣がメモを取りながら頷いた。
「広告スペースに名前を入れるのは、費用対効果としてもあり。やってみよう」
裕介が静かに告げた。
「じゃあ、今日中にページ作る。写真、文面、構成、全部編集して、明日午前中に公開。期限は2週間。目標金額は八万円」
「……八万!?」
「赤字は六万七千だろ?」と幸平が言う。
「そこに、予備費と、支援返礼にかかる送料・材料費を含めて、ちょっと多めに出すのは当然。ギリギリで走るのが一番危ない」
「了解」結衣が短く頷いた。
「裕介、ページ作成はお願い。私、クラファン告知用のチラシと校内掲示データ作る。文面案はあとで送る」
「俺、撮影やる。写真素材、外観の明るいやつ撮ってあるし」洋輔が言う。
「バナー用に、遊園地の写真、ちょっと加工してもいい?」と実希。
「デザイン関係、まとめて蘭と調整しよう」
「うん、任せて」
もう、誰も立ち止まっていない。
収支が赤字になったこと、それは事実だ。けれど、七人の間にあるのは、“じゃあどうするか”という未来への話ばかりだった。
「じゃあ」と一翔が言った。
「これから2時間で素材集めて、仮ページ確認しよう。公開まで一気にいくぞ!」
ちゃぶ台の上に、空になった麦茶のグラスがひとつ。
その横に、新しい可能性が、すでに書き始められていた──
午後一時すぎ、桜峰中のパソコン室。
普段はひっそりとしているこの場所が、今日は異様な熱気に包まれていた。画面には、クラウドファンディングサイトの編集画面。裕介の指示のもと、ページ構成が急ピッチで整えられていく。
「タイトルは……『もう一度、夢を走らせたい。閉園前の遊園地を1日だけ復活させます』──でどう?」
「ちょっと長いけど、目に留まりやすい」と結衣。
「メイン画像、これ使っていい? 観覧車のシルエット、夕暮れに重なる構図のやつ」
実希が提出した写真に、みんなの目が一瞬止まった。
そこには、誰もいない遊園地の静けさと、失われつつある“時間”がしっかり写っていた。
「……これ、泣けるな」と洋輔がぽつり。
「じゃあ、キャッチ文はこう入れよう」
結衣がキーボードを叩く。
【廃園が決まった遊園地を、僕たちは笑顔で送り出したいと思いました】
「これでどう?」
「文句なし」と一翔が言った。
その瞬間、画面に次々と文字が入り、写真が配置されていく。
「返礼品の紹介は、画像より手書きイラストのほうが温かい気がする」と蘭。
「それなら私、描いてくる」と実希がスケッチブックを手に取った。
「2時間あれば、5種類全部仕上げる!」
「速っ! でも、実希ならできそう……」と聖美が笑う。
一方、洋輔はスマホで動画素材を編集中だった。
「見てこれ。あの夏祭りの盆踊り、子どもたちが楽しそうにしてるとこ中心に繋いで……ラストだけ、“10月4日、最後の開園。”って入れる」
「BGM、著作権フリーの切ないやつあったよね? それ被せれば完璧」と結衣が補足。
タイピングの音、クリック音、プリンターが紙を吐き出す音。
校内の機器たちも、まるで彼らの挑戦に加勢するかのように、せわしなく動いていた。
「あと30分で仮ページ完成だな」
裕介が立ち上がる。
「このページはただの募金じゃない。“共犯者”を増やす手段なんだよ」
その言葉に、一翔がうなずいた。
「最後の挑戦、俺たちだけじゃできない。町の人も、知らない誰かも、みんな巻き込んで“最後の笑顔”を作る。そういう場所にしたい」
「よし」と幸平が拳を握った。
「なら、筋トレ動画でも上げるか。『目指せ!開園日までに片脚スクワットチャレンジ!』って企画どう?」
「……それ、絶対バズらない」と結衣。
「でも、やってみるだけタダでしょ?」と聖美が苦笑しつつも、メモを取っていた。
――午後三時、仮ページ完成。
数分後、仮リンクが発行され、七人が一斉にスマホで開く。
そこに映し出されたのは、タイトル、写真、動画、手描きイラスト、返礼品──そして、7人の名前と、それぞれの“ひとことメッセージ”。
《この遊園地で、また誰かが笑ってくれたら嬉しい》(実希)
《子どもたちの安全も、夢も、全部守りたい》(蘭)
《「できっこない」を、「やってやったぜ」に変えたい》(一翔)
《町の思い出を、ただの過去にしたくない》(結衣)
《全力でふざけて、全力で本気です》(洋輔)
《今日も筋肉は裏切らない》(幸平)
《ひとりじゃできない。でも、みんなならできる》(聖美)
《情報は力。支援は希望。》(裕介)
「……いいね」
結衣が呟いた。
「このページが、私たちの決意表明みたいになってる」
「よし、明日朝10時に公開。SNSでも拡散開始」と裕介。
「じゃあ今夜は早めに寝て、明日は朝から学校と……あと、町内掲示板への貼り出し」と結衣。
「もちろん、拡散は任せて」と洋輔が笑う。
「“筋トレで世界を救う”ってキャッチで、幸平の動画もセットで出すよ」
「やめてくれ……」と幸平がぼやきながらも、どこかまんざらでもない表情を浮かべていた。
空は、すっかり茜色に染まり始めていた。
資金が足りない。
けれど、それを嘆く者は誰もいなかった。
彼らは、動き出している。
虹ヶ丘ランド復活まで、あと55日──
【第15話 了】
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