影の道

@natama

影の道

 摩天楼が、コンクリートに影を落とす。

瞬きと瞬きの間には、青空が燦々と広がっている。

懐かしき校舎では、男子高校生の笑い声が聞こえた気がする。

東京から、実家へ向かう帰郷の中だった。

やけに響く、英語のアナウンス。

電車は春を通り過ぎて、真夏へと向かおうとしていた。

山を超えて、海を超えて、あの娘が住む街を超えて。

 僕は記憶探しの旅をしていた。

母さんの笑い声、父さんの酔った時の顔、少し寂れた電柱、並木道と乱雑に咲いたたんぽぽ達。

一寸、ニヤけながら、僕は駅を出た。

 地元はいつもと変わっていなかった。アスファルトは堅苦しくて、駅前の年季の入ったビジネスホテルや狭っこいローソンは、まるでひまわりみたいに、太陽の下でしたたかに背を伸ばしていた。

 僕は、イヤホンにアジカンを流した。

 何年前かに、通った裏路地をまた通る。

 公園には誰も居なかった。商店街は閑散としてて、酒屋には、神秘的な静かさが漂っていた。前よりも静かな雰囲気が匂う。境内には、瑞々しく緑の桜が散っている。

季節の変わり目に、僕はいつの間にか見惚れていた…。

 母校の近くでは、少年たちがアイスを食べている。

まだ暑くはないものの、少しずつ夏が近づいてきている。風が段々と鋭くなっていっていることに僕は今さっき、気づいた。

 野良猫が塀の上で寝ている。何年か前も見た気がする。心做しか、あの娘が飼っていた猫に似ていた。

 大きな雲が、スタジアムの上を呑気に歩いていた。さっき見た猫みたいだ。

 僕はいつかの情景を思い出す…。僕が目撃した、あの娘の日常を思い出す…。

 あの夏の午後。あの娘はキャミソール姿でアイス棒を咥え、空を眺めていた。

僕はその横顔にずっと見惚れていた。そしたら、君は僕に、

「…空ってなんで青いん?」

って聞いてきて、

「…なんでやろね…」

としか答えることができなかったり…。

 十何年か前の冬。君と初めて映画を見に行った日。あの娘は可愛い真っ赤の外套を着てきた。

 君の白い息に染まる街は、僕を特別な気持ちにさせてくれた。映画の内容は頭に入ってこなかったけど、帰り際に教えてくれたあのバンドのあの曲は、今でもたまに聴いているよ。

 今何をしているのか、そもそも僕のことを覚えているのか。そんなことはわからないけど、僕は今確かに、あの娘と一緒に歩いた想い出路地を歩いている。

 あの時の街並みは今も変わらない。相変わらず、僕の真上では今もヘリコプターが喚いている。はいからなあの娘は、そんな僕を頬を赤らめながら、初々しく笑っていた…。

 そうやって僕は、ノスタルジーの渦に巻き込まれていた。路面電車が、悠々と遊んでいる。

 交差点を通り抜けて、実家までへと向かう。会ったら、最初なんて言おうか…。

そんな事を考えている内に、土曜日は午後へと歩いていった…。

 近所の老犬は、相変わらず何を考えてるのか分からない。ずっと僕のことを見つめて、舌をだしながらハアハア言ってる。

 そういえば、あの娘とここを歩いている時、あの娘はじっと犬のことを見つめてた。

それで何秒か経った後に、僕の方へ振り返って、

「私猫より犬派なんよねえ」

って笑いながら言ってた。

僕は、家猫娘だってのに犬派なんだって思いながら、そのあどけなさに惚れていた。

 イヤホンには、いつの間にか知らない曲が流れていた。

それは、なぜかわからないけど、僕のことを歌っているみたいだった。

ハヌマーンというバンドの「若者のすべて」って曲らしい。

フジファブリックじゃないのか。

初めて聴いたけど、妙に沁みた。

 夢中で聴いているうちに、実家が見えてきた。

高校の時に乗りつぶした自転車も、小学生の頃からある盆栽も、ちゃんと残っている。

ひとつひとつが、忘れていた記憶を引っ張ってきた。

まるで、建物そのものが僕の脳の海馬を担っているみたいだった。

 深く息を吐いて、扉を開けた。

「ただいまー…」

できるだけ、さり気なく言ってみた。

 何秒かして、母がやってきた。

シワや白髪は増えていたけれど、笑ったときの顔は昔のままだった。

父は今寝ているらしい。今も昔も、あの人は自由気ままで、母は相変わらず手を焼いているようだった。

「また、なんも食べとらんやろ」

「まだ食ってないわ、なんで分かるねん」

なぜだか、気取った声で答えてた。

「自分の子のことぐらい、なんでもわかるわ。何食べたいん?」

「なんでもええわ」

「言うと思ったわ、あんた昔から“なんでもええ”しか言わんやん」

“言うと思ったわ”は、母の昔からの口癖だ。

「だって本当に、なんでもええもん」

「もうええわ、今から作るから待っとき」

「親父は?」

「寝かしとき。作ったら起こすわ」

 母の声は、どこか突き放すようで、それでいて温もりがあった。僕はなんとなく、自室へと向かった。

 階段がギシギシとなっている。そこには、世紀末を乗り越えた跡があった。

 少し、息を吐く。ドアノブへと伸ばす手は変に緊張状態だった。

 扉を開けた瞬間、光みたいに記憶が飛び込んできた。あの娘との夏の残像が、ぼんやりと見えた。僕は感傷に包みこまれた。散らかった本やcdに、ノスタルジーが確かにあった。

 足元には、あの娘が貸してくれたナンバーガールのCDが転がっている。

白い背景に、女学生の絵。下手な絵だけどなぜか吸い込まれそうな魅力があった。

そういえば、確か、最初に聴いたのはIGGY POP FAN CLUBだった。

 あの曲を聴いた後、僕はよく口ずさんでいた。

そんなとき、あの娘は一寸笑いながら言った。

「…その歌、うちらのこと歌ってるみたいでいいよな」

 僕が何て返したかはもう忘れてしまった。

でも、あのときの空の色だけは覚えてる。

UFOでも見たのかと思うくらい、世界がふわっと揺れて見えた。

でその後、あの娘が言った。

「やっぱし、スピーカーが二つあるってことはさ、そこにはもう二次元の世界があるってことなんかな?」

 その時はよくわからなかった。あの娘はふざけているようで、本気で思っているような顔だった。

 ギターが、部屋の角に立てかけてある。

安っぽくて、ボロボロで、でも弦はちゃんと張ってあった。

僕はそれを手に取って、Eのコードを鳴らした。

まるで、中学生が覚えたての言葉を乱用するように。

 ビビる弦。ズレたチューニング。

それでも、そのノイズの中には、僕の青春が芽吹いていた。

 母の呼ぶ声に、何秒かして気づいた。

 台所では、母が唐揚げを上げている。

「飯まだ?」

「もうちょい待って。」

「さっきできたよ言うたやん」

「まだちょいできてなかったわ」

数十年前もこんなこと話してた気がする。

「親父どうするん?」

「いらんって」

僕は何かを悟った。母は少し曇ってた。

「できたー」

唐揚げが食卓へ並べられてゆく。

金色に光るカリッとした見た目は、まるで夏のプールの乱反射みたいだ。母の料理の腕はまだ落ちていないそうだ。

「…いたただきます」

小さく呟いた。

 口に入れた唐揚げは、思っていたよりもずっと熱くて、衣がサクッと鳴ったあとに、懐かしい味が舌に染みていった。

 ああ、これだ。これを食べに帰ってきたんだ。

 僕は無言で噛み締める。目の前には母が立っていて、僕の箸の動きをなんとなく見守っていた。

「…うまい」

 テレビでは特に興味もない旅番組が流れている。そこではどこかの海岸線を歩くリポーターが、潮風が気持ちいいですねと言っていた。

 でも僕には、この食卓の唐揚げの湯気の方が、よほど確かで、やさしい風だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

影の道 @natama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ