空は、まだ咲いていた
宇波
序章 青い花の咲く丘で
1.三つ子、幼児編
第一話 三つ子、誕生前日譚 1
「わあ……!この子、空の色してる……!」
陳腐な言葉だけど、お母さんね、あの時奇跡が起きたと思ったの。
あなたたちがこの世界に産まれてきてくれた奇跡。
誰ひとり欠けることなく、無事に元気で、お母さんの元に産まれてきてくれた、そんな奇跡。
あなたたちが生まれる前ね、お母さんとっても不安だったの。
診断では双子って出ていて。元気にお腹ですくすく育っている男の子。
お母さん、初めての子育てで、二人も子供を育てられるのかなって、とっても不安だったの。
だけど、だけどね。今後の不安とか、出産のときにできた腹の傷の痛みとか、そういうもの全部、あなたたちがいたから吹き飛んだの。
あなたたちを見た瞬間に、そんなものどこかに置いてきてしまったの。
おかしいと思う? あれだけ散々、双子を育てられるかなって、不安がって、騒いで。
結果、双子のお兄ちゃんたちに隠れてもうひとり妹がいて。
三人をいっぺんに育てることになったのに。お母さん、不安なんて全部なくなっちゃった。
だって、あなたたちがとてもかわいくて、愛しかったから。
だから、ねえ。わたし、あなたたちに伝えたいことがあるの。ずっと、ずっと、いつまでも伝え続けたいことがあるの。
「愛してる。わたしの宝。大切な子供たち。ずっと、ずっと、愛しているわ」
***
「あ、双子ですね」
何気ない調子で言われた言葉に眩暈がした。
妊娠が発覚してから、早一ヵ月。エコー検査で心拍が確認できるようになり、そこで言われた衝撃の一言。
「胎嚢は一つだけど、心拍がふたつあるの。おそらく一卵性の双子ちゃんです。おめでとー」
緩い響きで祝福をしてくれる担当医。
彼の祝福ムードとは裏腹に、わたしは茫然とその場から動けなかった。
銅像のように動かない私を見かねてか、看護師の女性が声をかけてくる。
「あらら、腰抜けちゃった? 立てる?」
「いえ、すみません、なんと言ったらいいのか……。あの」
「ああ、旦那さんね! 呼んでくるわ」
エコーを見たいと着いてきた夫は、タイミング悪く掛かってきた仕事の電話を取るために外へと出ている。
随分と長引いているらしく、検査が終わっても帰ってくる気配がない。
診断結果に腰の抜けたわたしを別の看護師が二人がかりで支え、待合室の椅子に座らせてくれる。
手持無沙汰だから携帯でも弄ろうか。そう思い立ち鞄に手を突っ込んだ瞬間。
「陽毬ちゃん! ごめんね、遅くなって! 子供は?!」
病院であることを忘れたかのように、待合室に駆け込んできたのは、夫である望さん。
声をかけに行った看護師を置き去りにして、息を切らして飛び込んできた。
「うん、元気に育ってたよ」
勢いに引きながら答えるわたし。
回答を聞いた望さんは、その場にへなへなと崩れ落ちた。
「よ、かったぁ……」
虫みたいにか細い声。
わたしは彼の頭を撫でる。しゃがみ込んで肘置きくらいの高さにまで低くなった頭は撫でやすい。
「でかい図体して、そんなに臆病でどうするの」
空いた手は自然と腹の上を摩る。
目線を上げた望さん。わたしは彼をパパと呼んだ。
「二児のパパになるんだから」
「二児」
鸚鵡返しに聞き返してくる彼の目線の先にはわたしの腹。
まだ膨らみもない腹は、言わなければそこに子供がいることすら分からない。
それでも彼は、壊れ物に触れるかのようにそっとそこに手を触れる。
「……双子?」
「双子」
呆ける彼の両の目からは滂沱の涙がドバっと溢れる。
タイミングも溢れ方も、まるでギャグマンガの一コマのようだったから、お腹を抱えて笑ってしまった。
そんな病院の帰り道。
機嫌よさそうに運転をする望さんとは対照的に、わたしの口から吐き出されるのは溜息ばかり。
流れる車窓の景色は建ち並ぶビルで灰色。自然と吐かれるそれを、望さんが聞きつける。
「どうしたの? 溜息ばっかり……。機嫌悪い? お腹空いた?」
「望さんってたまにデリカシー無いよね」
「どこがっ?!」
慌てる彼が悪いことは、ひとつもない。
むしろ他よりも恵まれている自覚もある。
彼は企業の社長。実家も太く、本人にも稼ぎがある。双子を大学まで進学させても揺るがない稼ぎが。
義実家の義父母との関係も良好で、いわゆるスープの冷めない距離に住んでいるから、行き来がしやすい。
これから起こるであろう悪阻とか、子育ての大変な所とか、協力要請すればいつでも来てくれると心強い言葉をもらっている。
実家はまあまあ遠いけれど、それでも隣県。
数時間で到着できるから、やろうと思えば毎日でも往復ができる。そんな距離。
わたしは恵まれている。とてもラッキーな人生を送れているのだと、それは常日頃から実感している。
年上の、わたしのことを溺愛してくれている夫。関係良好な義父母。協力的な実父母。
住むところもあり、その日のご飯に困らないどころか、わたしが贅沢だと思う物事を、当たり前の顔で与えてくれる環境。
だからこんなことを言えば、贅沢だと言われてしまうかもしれない。
恵まれている者の大したことない悩みだって、鼻で笑われるかもしれない。
でも、それでもわたしは。
「不安なの」
心の内を吐露すれば、運転しながらでも耳を傾けてくれる望さん。
わたしは彼に、恐る恐る零していく。不安とか、そう言う悩みをぽつぽつと。
「わたし、今まで一人っ子だったから、兄弟の育ち方なんて知らないし、男の子の育て方だって分からない」
「うん」
「それに、初めての子育てで、小さい子と関わったこともないのに、いきなり二人もなんて、とか」
「うん」
わたしの不安を、彼は相槌を打って邪魔することなく喋らせてくれている。
それがひどく心苦しい。そう思うのに、一度開いた口は止まることを知らないように、次々とネガティブな言葉を吐き出し続けている。
「ちゃんと生んであげられるのかな、とか。育ててあげられるのかな、とか。出産って痛いんだろうな、双子だったら痛みが二倍なのかな、とか。そもそも普通に産めるのかな、お腹を切ることになるのかな、とかって」
自宅のトイレで、たった一本の妊娠検査薬が母になったと知らせたときから一ヵ月とか二ヶ月とか、少なくない時間が経っているのに、わたしは不安ばかりを募らせている。
「……僕、思うんだけど。言ってもいい?」
運転中の彼から穏やかな問いかけ。
顔を上げて彼を見る。
視線は真っ直ぐに前を見据え、わたしからは彼の横顔が見える。彼が何を言いたいのか、それを知りたいと思った。
だから小さく頷き、イエスと返す。
「それってさ、陽毬ちゃんがお腹の子を大切に思っている証拠なんじゃないかな」
彼の横顔を見続ける。
表情には一遍の曇りもなく、穏やかに凪いでいる。
「だって、さっきの陽毬ちゃん。真っ先に子供たちのことを心配していたよ」
気が付かなかった。
ただ、心の中に澱として淀む不安を吐き出したかっただけ。それなのに、無意識にわたしは。
「産むのやめる? って僕は言いたくない。だって、子供たちに会いたいから。だから、生みの苦しみは全部陽毬ちゃんに任せることになっちゃうけど」
左カーブの前の一時停止。止まる時の衝撃はほとんどない。
望さんは優しい運転をしてくれている。きっと、わたしと、お腹にいる子供たちのために。
「だけど、サポートは絶対にするから、遠慮なしに頼ってほしい。手の届かないところは家政婦でも雇えばいい。僕もご飯も作るし、洗濯も掃除もするし、あと……」
止めなければ、いつまでも家事の羅列を語りそうな望さんに、わたしは小さく噴き出した。
「望さん」
「どうしたの、陽毬ちゃん」
「これから大変なことがたくさんあるけれど、どうかよろしくお願いします。パパ」
赤信号で止まった車の中、私が小さく頭を下げると、彼は照れたように頭を掻く。
「こちらこそ。大変な苦労をかけるけど、絶対に支えるから」
車窓の外。
流れる景色はいつの間にか、夕日で赤く染まっている。
燃えるように赤く染まる町の景色は、日常の中に溶け込んだ非日常。
その光は、それはそれは目にまぶしくて。綺麗で。
(この子たちに、いろんな景色を見せてあげたい。それで、言ってあげたい)
世界はこんなにも美しい。
(なんてね)
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