第28話 王の虚言
「ガイアですか。今更何の用ですか? 既に戦は終わりましたが」
ルフの声には、相手への警戒心が込められていた。武帝と呼ばれる男の実力は、彼も十分に理解している。
しかし、ガイアと呼ばれた男は、ルフには一瞥もくれなかった。その視線は、ただ一点、アルスに向けられている。
血走った瞳が、値踏みするようにアルスを見つめていた。
「そんなことは理解している。この場でお前たちを殺しても意味がないこともな」
ガイアの声は低く、重々しい。その響きには、長年の戦闘経験が培った威圧感が込められている。
「ルシウスを失った今、ザーマインはもう終わりだろう。俺がここに来たのは、アルス王を一目見たかっただけだ」
ガイアはアルスをじっと見つめ続けた。その視線には、興味と評価、そして少しの失望が混じっているように見える。
やがて、彼は小さく鼻を鳴らすと、踵を返した。
「期待していたが……まあ、これも運命か」
ガイアはそれだけ吐き捨てると、まるで幻だったかのように、その場から消えるように去っていった。その後ろ姿には、何かを諦めたような寂しさが漂っている。
ルフは暫くの間、ガイアが去った方向を見つめていたが、やがて首を振ってアルスの方に向き直った。
「色々とお話をお聞きしたいのですが……」
ルフがアルスに向けてそう言うと、視線を空中で暴れ続けているドラゴンの方に向けた。
ゼオニクスは、まだ逃げ惑うザーマイン兵たちを追い回している。その光景は、まさに一方的な虐殺だった。
アルスはルフの意図を理解した。確かに、このまま放置していては、被害が拡大する一方だろう。
「分かった。我は戦いが終わったことを、ドラゴンに伝えるとしよう」
アルスの言葉を聞いたルフは頷く。そして、周囲を見渡して生き残りを探し始めた。
「貴方はロラン。生き残っていたようですね」
ルフは近くにいた、見覚えのあるカーマ王国の兵士に声をかけた。その兵士は全身に傷を負いながらも、しっかりとした足取りで歩いている。
「ルフ殿! ヒヒッ……私はこの戦いで死線を数え切れないほど潜り抜けました。感謝いたします」
ロランと呼ばれた兵士は、ルフに対して深々と頭を下げた。その表情には、生き延びることができた安堵と、指揮官への感謝が表れている。
ロランがふと周囲を見回した時、すぐ傍に見覚えのある人物がいることに気づいた。その瞬間、彼の表情が驚愕で歪む。
「……な、なんとそちらは陛下ですか! ドラゴンに乗って来たというのは、本当だったのですね。恐れ入りました」
ロランの声は興奮で震えていた。まさか、戦場で王自らと会うことになるとは思ってもみなかった。彼は慌てて膝を突き、深く頭を下げる。
アルスは頷いて、ロランの言葉に答えた。王としての威厳を保とうとしているが、まだ動揺が完全には収まっていない。
ルフがロランの身体を観察すると、彼の周囲には強い気力が渦巻いているのが見えた。戦場で生き抜いた経験が、彼の実力を大きく押し上げているのだろう。その気力の質は、二つ名持ちに迫るほどのものだった。
「素晴らしい気力ですね。我々は今から帰還の準備をします。よろしければ、生き残りの兵士たちを集めてくれないでしょうか」
「ええ、承知いたしました」
命令を受けたロランは、力強く頷くと、生き残りを探しに駆け出していった。その後ろ姿には、困難を乗り越えた者だけが持つ逞しさが表れている。
それを見送ったルフとアルスは、共にドラゴンの元へと向かった。
アルスがドラゴンの方を見ると、そこには逃げ惑うザーマイン兵を、虫けらのように踏み潰している姿があった。巨大な足が地面を踏みしめるたびに、地響きが戦場を震わせる。
アルスは逃げ出したい衝動に駆られた。しかし、この状況を収拾できるのは自分だけである。意を決して、アルスはドラゴンに向かって声を張り上げた。
「ゼオニクス、其方の住処を荒らした敵の首領は、我が討った。これで其方の住処を、自ら荒らす者はもういないだろう」
アルスの声は、戦場の喧騒を切り裂いて届いた。もう暴れる必要はないことを、簡潔に伝える。
その言葉を聞いたゼオニクスは、ゆっくりと動きを止めた。巨大な頭部をアルスの方に向け、血のように赤い瞳で見下ろす。
《ほう、儂の背中からいなくなったかと思えば、敵の首領を討っていたのか。流石はカーマインの名を継ぐ者だ。感心するぞ》
ゼオニクスの声は、先程までの狂暴さが嘘のように、穏やかな響きを帯びていた。その変化は、アルスにとって大きな安堵をもたらす。
アルスは黙って頷いた。余計なことを言って、再び怒りを買うことは避けたかった。
《首領が死んだのなら良い。蟻を踏み潰すのも、そろそろ飽きてきたところだ……では話の続きをしようではないか、アルス》
その言葉を聞いて、アルスは冷水を浴びせられた気分になった。
ゼオニクスが確か、自分を目覚めさせた理由について、まだ聞いていなかったことを思い出したのだ。
もしここで「間違えて目覚めさせてしまいました」などと言ってしまえば、自分もザーマイン兵と同じ末路を辿ることは容易に想像できた。
《ではアルスよ。我を目覚めさせた理由についてだが……》
その言葉と共に、アルスに対してゼオニクスの鋭い眼光が向けられた。その視線には、答えによっては容赦しないという威圧感が込められている。
アルスは全身に恐怖を感じた。城での会話の時は、突然すぎて一周回って頭が冷静になったことで、思考を回転させることができた。
しかし、今回は違った。時間があった分、恐怖が増大している。
(ダメだ、生半可な嘘はつけん!この竜には全て見透かされる!正直に言う?いや、それこそ死あるのみだ!……どうする、どうすればいい!?何か……何か、この状況を切り抜けられる情報はないのか!?)
アルスの脳が、生存本能から猛烈な勢いで回転を始める。彼の唯一の武器は、怠惰な生活の中で蓄えた、無駄とも思える知識だけだった。彼の思考は、これまでに読んできた膨大な書物の記憶の海を必死に探る。
(そうだ!竜に乗せられる直前に読んでいたあの本……!『ドラゴンの生態』だったか。確か、あの本には……古、古の契約だ!そんな記述があった……!」
アルスは微かにそのような記述があったのを思い出す。
(うろ覚えだが、これに賭けるしかない!)
《……答えられぬか、人の子よ》
ゼオニクスが痺れを切らし始めた、その瞬間。アルスは恐怖で震える足を叱咤し、顔を上げ、必死に王としての威厳を装い、口を開いた。
「――否。答える前に、まず汝に問わねばならぬことがあった。古の契約を、汝はまだ覚えているか、山の主ゼオニクスよ」
アルスの口から出た「古の契約」という言葉に、ゼオニクスの動きがピタリと止まった。その血のように赤い瞳に、初めて純粋な驚愕の色が浮かぶ。
《……なぜ、お主がその言葉を知っている……?あれは、数百年前にカーマインの初代と交わした盟約……》
「ならば話は早い」とアルスは続けた。
恐怖で心臓は張り裂けそうだったが、ここで引けば終わりだと、彼は必死にハッタリをかます。
「我はカーマインの名において、契約に基づき汝を呼んだのだ。我が理由、これで分かったか」
ゼオニクスは、アルスの強張った表情を「王としての覚悟の表れ」と、そして彼の言葉を「代々受け継がれてきた王家の秘密を知る者」の言葉として受け取った。
《……フハハハ!なるほど、そういうことであったか!近頃の人の子は、古き盟約など忘れ果てたものとばかり思っていたわ!感心したぞ、アルス・カーマイン!》
ゼオニクスは上機嫌になり、口から手のひらほどの大きさの、赤色に輝く宝石のようなものを吐き出した。
《褒美だ。そして、今後の契約履行のため、それをお主に授けよう。かつて数百年前のカーマの王に渡したものと同じものだ。それに気力を流せば、我の方に連絡が行く。契約に基づき、力を貸そう》
その言葉を最後に、ゼオニクスは巨大な翼を羽ばたかせて飛び立っていった。その羽ばたきによって巻き起こされる風は、戦場の砂埃を再び舞い上げる。
やがて、ゼオニクスの巨体は空の彼方に消えていき、戦場には静寂が戻った。
アルスは精神的な疲労で、その場に崩れ落ちそうになった。ゼオニクスとの会話は、まさに命懸けの綱渡りだった。
そして、何とか生き延びることができたのは、ただひたすらに本を読んでいた、過去の自分のおかげだった。
手の中の赤い宝石を見つめながら、アルスは安堵の息をつく。
(助かった……。しかし、古き盟約ってなんだよ、ますます面倒なことになったではないか)
一生呼び出すつもりのないアルスにとって、それは新たな厄介事の種でしかなかった。
(この宝石は、王城の宝物庫の奥深くに封印しておこう)
そう心に決めながら、アルスは長い戦いの終わりを、ようやく噛み締めていた。
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