第23話 気力使い

 ドラゴニア山脈の険しい岩肌に、金属が激しく打ち合う音が響き渡っていた。


 澄んだ山の空気が剣戟によって切り裂かれ、周囲に火花が飛び散る。砕けた岩の破片が宙に舞い、戦いの激しさを物語っている。


 攻めていたのはシドだった。彼の持つ黒色の剣は変幻自在に宙を舞い、上下左右あらゆる角度からルフに襲いかかる。


 一振り一振りに殺意が込められており、反撃の隙など微塵も与えない連続攻撃だった。剣先が空気を切る音が絶え間なく響き、まるで嵐の中にいるような錯覚すら覚える。


 しかし、その相手であるルフは驚くべき余裕を見せていた。シドの猛攻を受けながらも、視線の端で残り三人の動向を観察している。


 その表情には焦りの色は一切なく、まるで軽い練習試合でもしているかのような落ち着きを保っていた。


(なるほど。シドという男、噂以上に手強い。だが一対一では負けることはないですな。問題は……)


 ルフはシドの剣を受け流しながら、横目で一瞬だけ、まだ仕掛けて来ていない残りの三人を見る。ピアス、リリア、ラドクリフ。


 三人とも戦闘態勢は整えているが、まだ動きを見せていない。その理由をルフは瞬時に理解していた。


(恐らくシドが不利だと思われれば必ず仕掛けてくる。そうでなければ、下手にこの剣戟に割り込めば、逆にシドの邪魔になると思っているはず。ならば……)


 この勝負に勝つには、相手の油断を誘い隙を生じさせて、一撃をもって戦闘不能にさせるしかない。


 ルフの頭脳は戦いながらも冷静に戦況を分析し、最適な戦術を模索していた。山風が頬を撫でていく中、二人の剣士による死闘は続いていく。


「防戦一方ですよルフ殿。剣聖の名はこの程度ですか?」


 シドは揶揄するような笑みを浮かべながらルフに話しかける。その声には確固たる自信が宿っており、戦況が自分に有利だという確信が感じられた。


 黒い剣を振るう手に迷いはなく、攻撃の手を緩めることはない。


「其方こそ貴方一人でいいのですかな?」


 ルフの返答は冷静で、まるで日常会話でもしているかのような口調だった。剣を受けながらも、その声に動揺は感じられない。


「剣聖の名を継ぐためには、私一人で貴方を殺す必要がありますからね」


 シドはそう言い放つと、剣速を更に増して激しくルフに切りかかった。二人の剣が交差するたびに周囲に火花が飛び散り、金属音が山肌に木霊する。


 その光景は美しくも恐ろしく、まさに死と隣り合わせの芸術だった。


 シドは自分が攻めているはずなのに、まだルフに欠片も傷を与えていないことに少しずつ焦りを感じ始めていた。


 額に薄っすらと汗が浮かび、呼吸も若干荒くなってくる。


(この一戦、有利なのは私のはず。ルフ殿の癖はある程度捉えた。ここは勝負を仕掛けるべきか)


 シドは心の中で呟きながら、自分の剣に薄く高密度な気力をゆっくりと纏わせていく。その気力は肉眼では見えないが、確実に剣の切れ味と射程を向上させていた。


 それを見たルフは、長年の経験から危険を察知し、シドの動きを注意深く観察し始める。


(無駄ですよルフ殿)


 シドは内心で勝利を確信しながら、この剣戟の中で何度か使った突きを、何気なくルフに放った。それは今までと全く同じタイミング、同じ軌道の突きに見えた。


 ルフは既に何回か防いだシドの突きを、同じように剣の腹を使って滑らし、突きの方向をずらそうとする。


 ルフの剣がシドの黒色の剣に接触しようとした瞬間だった。ルフは自分のへその上辺りに鋭い痛みと熱を感じる。


 予想していた衝撃とは全く違う感覚に、長年の戦闘経験が危険を知らせていた。


 ルフは咄嗟に危険を感じて後方に飛び退く。そして片手を腹に当てて、その手の平を確認した。そこには真っ赤な血が付いていた。


 温かい液体が指の間を伝って流れ落ち、地面に小さな赤い染みを作る。


「流石はルフ殿。後少し遅ければ胴体を貫かれていましたよ。最も、この攻撃はそう何度も防げるものではないですけどね」


 シドの声には勝利への確信が込められていた。その表情は満足気で、まるで難しい問題を解いた学者のような知的な喜びを示している。


 ルフがシドの剣の切っ先を、目を凝らして見てみると気力が薄く細く伸ばされていた。まるで見えない糸のように、剣先から数十センチ先まで気力が延長されている。


(やられましたな。まさかこの私が気づかないとは)


 剣の切っ先に気力を込めて、突きのタイミングで瞬間的に射程を伸ばしたのだ。その威力、速度共に並みの剣士を凌駕していた。


 そして何より驚くべきことは、ルフに攻撃を悟らせない程の気力の隠蔽技術だった。長年の修練を積んだルフですら、その瞬間まで気づかなかったのである。


 ルフはシドの高度な気力制御に舌を巻く。一方でシドはルフの様子を見て、己の技が通用することを確信していた。


 そして慣れられる前に決着をつけるべく、奥義を放つ準備を始める。両者の間に緊張が走り、空気が重くなっていく。


(この突き技を何度も繰り出されれば、防ぐことは不可能。しかし突きの後は致命的な隙が生じる。カウンターを仕掛けるとしたらここしかないですな……)


 ルフは突きが放たれた後が、絶好の反撃の瞬間だと悟る。だが問題は、どうやって射程が分からない突きを防ぐかだった。


 相手の気力制御があまりにも巧妙で、次の攻撃がどの程度の射程を持つのか予測することは困難だった。


 そしてルフは考えた末に、まともに防ぐことは不可能だという結論に至る。ならば別の手段を考えなければならない。長年の戦闘経験が、新たな戦術を模索し始める。


 ルフが丁度結論を出した時、シドはルフ目掛けて地面を蹴って走った。その足音が岩肌に響き、決戦の瞬間が近づいていることを告げている。


 それを見たルフは額から汗を流しながら、迎え撃つ準備をする。


 そしてシドは自分の間合いにルフが入ったことを感じると、瞬時に奥義を放った。


「無作為突き」


 シドからルフに向けて、十を超える突きが高速で放たれる。その光景は、まるで一本の剣が複数に分身したかのように見えた。


 突きの中には気力で射程が二倍にまで伸びているものもあり、どれが本当の射程なのか判断することは不可能だった。


 無作為突きはその名の通り、一倍から最大二倍までの間で、射程が無作為な突きである。


 射程が別々の突きを、全て見分けて防御するのは至難の業であり、今まで防いだ人間はいないシドの奥義だった。


 シドの突きはルフの剣を通り抜けて、ルフの身体に穴を開けていった。


(剣聖と呼ばれていても、所詮はこんなものか)


 シドは自分の勝利を確信した。彼が自分の突きで、ルフの身体に穴が開いていくのを見ていた、まさにその瞬間だった。


「シド! そいつは幻だ!」


 ピアスの焦ったような声がシドの耳に聞こえてくる。その声には明らかな動揺が含まれており、何か予想外の事態が起こっていることを示していた。


 幻……シドはそんなはずはないと、ルフの身体を注意深く見つめた。


 するとある違和感を感じる。確かに攻撃は当たっているはずなのに、ルフの反応が不自然だった。


(ガードをする素振りがまったくない。最初は諦めたのかと思ったが、まさか……!?)


「もう遅いですよ」


 横からルフの声がシドの耳に入ってくる。その声は冷静で、まるで全てを計算していたかのような余裕を感じさせた。


 同時にシドの目の前にいるはずのルフの姿が、まるで蜃気楼のように消え去った。


 声がした方向へシドが慌てて目を向けると、ルフが剣を自分に向けて振っている姿があった。その距離はあまりにも近く、もはや回避は不可能だった。


「馬鹿な……」


 ルフの剣がシドの首に迫る。シドはその光景をただ見つめることしか出来なかった。時間が止まったかのような感覚の中で、死への恐怖が心を支配する。


 ルフがやったことは単純だった。瞬間的に全身を気力で包み込むと、その後気力を全く発さずに気配を断ち、高速で移動をする技である。


 気力の扱いが上手い人程、気力の存在に釣られて幻影を見る技だった。


 突きを防ぐことが不可能なら、そもそも自分の身体に突きを放たせなければいいとルフは考えたのである。


「虚影瞬断」


 ルフの剣はそのまま、シドの首を切り裂くかのように見えた。が、細く鋭い何かがどこからか飛んできて、ルフの剣に打ち当たる。


 金属音が響き、その衝撃でルフの手先が狂い、剣の軌道はシドの首から右肩へとずれた。


 シドの右肩から血が噴き出す。鮮やかな赤い液体が空中に弧を描き、地面に赤い染みを作った。


 ルフは構わずに二撃目を放とうとしたが、己に向けて複数の矢が飛んできているのに気づくと、攻撃の手を止めて剣で矢から身を守った。


「シド、もういいでしょう」


 ルフは矢が飛んできた方向を見る。そこには弓を構えたリリアがいた。その表情は真剣で、仲間を守るという強い意志が感じられる。


「……助かりました」


 シドの声には感謝と悔しさが混じっていた。剣聖との一騎打ちに敗れた屈辱と、命を救われた安堵が複雑に絡み合っている。


 ルフは今までの人生で一番かと思うほど焦りを感じていた。それはシドを一撃で仕留めることが出来なかったためである。


 この状況で四人を相手にするのは、さすがの剣聖といえども厳しい戦いになることは間違いなかった。


「じゃあやろうぜ」


 ラドクリフが言葉を吐いた同時に四人は一斉にルフに襲い掛かった。

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