妖精の森の日没

 担保、の意味はあまりわからない。

 でも、ハカセさんという大人が間に入れば、村と妖精が仲直りしやすいというのはイメージが湧きやすかった。


 ウソをつける子供と妖精だと信用はされづらいから。


 ハカセさんをこの森に留めておけるなら、私はその妖精になりたいと思った。

 妖精になった私はココネと仲良くなって、ハカセさんとも仲良くなって、村と仲直りする。

 村のみんなにウソをついているし。ほら。適任じゃないかしら。


 なんて夢みたいなことを考えてる場合じゃなかった。

 今度はハカセさんを見つけないと。


「チカ。私もね、村の大人たちが、子供のころに妖精からひどい目にあったっていうのは聞いてる。でも、かわいそうだと思う人がいたのよ。それが村長さん」


 そんなときにあらわれたのがハカセさん。村長さんは条件付きで森への滞在を認めたのだ。


「だけど、それにだって前提があったわ。妖精と仲良くなる前にしなきゃいけないこと」

「……人工の、心珠?」


 心珠のある人間が妖精と仲良くなっていなければ、村の人たちは信用しないだろうと、村長さんは言ったらしい。この役目は村の人間には頼めない。だって、村中に妖精は危険な生き物だという教えが広まってしまっていたから。


 村長さんも立場上、妖精の森に入ることはできない。支持をしてくれている村の人たちを裏切ることになるから。

 そんななかで生まれたのが、ココネ。


「私が妖精なのは、そういう事情があったからってハカセは言ってた。いつの日か帰ってくるかもしれない妖精と仲良くなるため」

「でも、それとこれとじゃ話が見えないわ。どうしてハカセさんはこの森を出ようって決めたの?」


 家の外に出て話を聞く。ハカセさんがココネに事情を話した理由。それがイマイチ見えてこない。

 裏にまわってアイリスの花を確認する。よかった、枯れてはいない。元気がなさそうに傾いているけど、これなら水をあげれば大丈夫なはず。


「決まったことなんだって。妖精の森を切り開いて、新しく引っ越してくる人たちを受け入れる場所にするって、村長さんから連絡があったらしいの」

「え……」


 妖精が戻ってくる保証なんてどこにもない。舞空祭の開催がここに決まったとき、村に居住希望者が多く集まったら、その住まいをどうするかの議論があったとのこと。

 飛行船から下りる人たちが村に住まうことになれば土地が足りなくなる。その補填をどうするか。


 村人からあがった案が、妖精の森を開拓すること。

 村長さんは板挟みになった。橋渡し役をお願いしたハカセさんと、村の発展と。

 結果、村長さんは村の発展を選び、ハカセさんを妖精の森から追い出す形となった。


「ただ、誤解してほしくないの。村長さんは代わりの住まいを用意するって言ってくれたらしいのよ。でも、ハカセは留まる理由もないからって断ったみたいで」

「そんな」


 クローバー船長以外にも、ハカセさんを気にかけてくれる人がいたことは素直に嬉しいけれど、それを拒む理由がわからなかった。


「飛行船には昔お世話になったから、せめて船を見送ってから出発するって。村長さんにもそう伝えてあるらしいわ」


 リリさんが言っていたこと。村長さんはなにか隠している気がする、と少し訝しがっていたのはハカセさんが関係していたのかもしれない。……でも。


「どうして、ハカセさんは村長さんの提案を拒んだの? 代わりの家を用意してくれるなら、問題はないはずでしょ?」

「私も気になって問い詰めたんだけど、迷惑だからの一点張りなのよ。ハカセ、絶対ほかにも隠してることがあるんだわ」


 隠す……妖精の森に住んでいた理由よりも、話しづらいことなのだろうか。それがなんなのかは考えつかないけれど、いまはハカセさんの説得だ。もう時間がない。

 でも、飛行船は見送ると言っていた。船が空に浮かべば、あの大きさだ、ここからでもよく見える。それに、ココネを置いていくつもりはないようだから、家に戻ってくるのは間違いないはず。探す必要はない。ここで待っていればハカセさんに会える。


「ココネ、あまってる植木鉢ってないかな?」

「植木鉢? うん、確かそこのひさしの下にいくつかあるけど、どうするの?」

「どうもしない。けど、何もしないまま待つのはイヤだから」


 アイリスの花を植木鉢に植え替える。どちらにせよ、ココネとハカセさんはこの家から離れることになるのだ。プレゼントのアイリスを植木鉢に入れて、別の場所でお世話をする必要がある。

 シャベルは持ってきてないので手で掘る。湿った土だから割と簡単に掘り進められるけど、軍手がほしいと思った。それに、目は慣れてきているけれど、暗がりなせいか作業はあまり捗らない。きっと、服は泥だらけになってしまっているだろう。


 植木鉢に土を入れながら、ふと思う。

 ハカセさんに合う環境ってなんだろうか、と。


 花畑に水やりをしたとき、ハカセさんを花にたとえて考えたことだ。人間には必ず心珠が備わっている。目や耳や口、鼻と同じ体の器官の一つ。それがないあの人にとっての、最適な環境って?


 土があっていないのか、水が足りていないのか、日差しの量は不足なのか過剰なのか。

 ハカセさんを説得するには、魔法のような大きな力がほしいのかもしれない。

 あの、出身の違う花を無理矢理咲かせるために施された魔法みたいに。


 ううん。魔法じゃなくたって良い。

 私は魔法を使えなくても、お花の世話は大好きだ。

 図鑑や教本を読めば、もっと好きになれる。それと同じように。


「とりあえずはこれでいいわ。荷物になるから、ハカセさんに運んでもらわなきゃいけないけど」

「うん。ありがとう、チカ」


 せっかく育てたのに、それが無駄になるなんて悲しいこと、あっちゃいけない。

 これは、ココネがハカセさんに届けるべきプレゼントだから。


「なに。してるの」

「……っ」


 ひと息をついた瞬間だった。背後に大きな影がのびて振り向くと、そこにはハカセさんが大きなリュックを背負って立っていたのだ。ココネにも気づいたようだった。視線を私たち二人にむけ、鳥かごの鍵を開けたことを瞬時に悟ったのだと思う。


「ハカセさん。私、説得しにきたんです。ココネから事情は全て聞きました。でも、飛行船には乗ってほしいですし、それがイヤでも……森がなくなることになってしまっても、この村に留まってほしいんです。みんなと仲良くなりたいっていうなら、私もお手伝いします。研究のことも、勉強します。だから……」


 これが、私のできる最大限。村長さんとも交えて話ができるなら、きっとお互い納得できる答えがでるはずなのだ。村には悪い人なんていない。怯える必要もない。


 きっと、みんな迎え入れてくれる。

 そういう想いを込めた、のに。

 ハカセさんは首を横にふった。ふるだけで、何も語ってはくれない。拒絶そのもの。


「ど、どうしてですか? ハカセさん、このままココネを世話しつづけると、感情が全部なくなっちゃうって聞いてます。それが本当なら、ココネがかわいそうです。ハカセさんもずっと苦しむことになるんじゃないんですか!?」

「迷惑。かかる。だから。……ほうっておいて」


「迷惑なんて……そんなことないですよ!」

「ココネも。ボクと。出ていく。……これから。ボクの。ことは。……いい。気に。しないで」

「ココネは? ココネの気持ちはどうするんですか? こんなに心配してくれてるのに、それを無視しつづけるなんてかわいそうです。わ、私だって」


 この気持ちを言いあらわせない。

 ハカセさんには少しだけ勇気をもらった。心珠をみてもらって、励ましてくれて。


 良い人だと思った。良い人だから、幸せになってもらいたい。たったそれだけ。

 私のわがままだっていうのはわかってる。でも、心のどこかでこんなのはおかしいって叫んでる自分がいるのだ。

 勇気をだしてほしい。踏み出してほしい。


「ココネ。返して」


 手を差し出される。私の問いかけには、返事をする気がないようだった。

 ココネを見ると、泣きそうな顔で目を伏せ、首を横にふっていた。


 この拒絶は、どれだけ悲しいことなのだろう。

 ハカセさんのことが大好きなのに、そんな人を受け入れたくなくなるなんて、今まで考えたことがなかったに違いない。


「嫌がってます。だから……渡せません」


 私も辛かった。この言葉を振り絞るのに、どれだけためらったか。


「じゃあ。力づくに。……なる」

「……っ。ココネ、逃げて!」


 ハカセさんの前に立ちふさがる。でも、私はあっという間に押しのけられてしまった。すれちがいざまに足にしがみつくけど、ハカセさんはまったく意に介さない。


「ココネ、早く!」

「で、でも……」


 ココネは何かに気をとられたかのようにためらっている。植木鉢──アイリスの花だ。それを置いてけぼりにするのが惜しいみたいだ。

 ハカセさんへの日頃の感謝をこめた、プレゼントにするはずの花。ここで離ればなれになってしまえば、二度とアイリスを渡すことができなくなるかもしれなくて。


 急いで立ち上がり、再びココネの盾となるよう手を広げる。

 説得する言葉が出てこない。なにを言えばいいのかわからないけど。


「待って! せめてココネが納得するまで話をしてあげてください! じゃないと、迷惑をかけるからの一点張りじゃあ何も解決しないですよ!」

「……ここで。説明する。つもり。ない。……だから。どいて」


 ハカセさんの態度は相変わらずだ。大きな体から腕が伸ばされる。それは、私をすり抜けてココネに届いてしまいそうで。


 ──そのときだった。


「あなた! チカさんから離れなさい!」


 森に響き渡る女の子の声。

 見ると、私がやってきた方向からリリさんが鋭い視線でハカセさんを睨んでいた。

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