第4話名前


ブリッジのハミングが胸をゆっくりと振動させる。透明なホログラムに映るのは、依頼主への手掛かりとなる座標断片――完全ではないものの、確かな“点”だ。メティスは深く息を吸い込み、静かな声で告げた。


「解析できた座標断片は複数。どこかの惑星に通じている」


メティスは端末を滑らせるように動かし、画面のノイズを消し込んでいく。

「今のままではバッテリーも通信も保たない。補給拠点で再解析が必須です」


カルマンはスクリーンから視線を外し、窓越しに宙域を仰いだ。

「連合ルートなら、あの星系にある民間ステーションが使える。俺のコネで燃料も部品も確保できるはずだ」


マクリルは眉間にわずかな皺を寄せ、艦内の壁を軽く拳で叩く。

「補給を認める。ただし、荷卸し作業と同時に脱出ラインを組め。警戒を緩めるな」


決定の瞬間、アドラスの胸の奥で誓いが光を帯びた。守るべき存在がここにいる――ブリッジの静寂が、その思いを鮮やかに浮き上がらせる。



補給ステーションの大気はオリーブ色で重く、硫黄のような甘酸っぱい匂いが混じっていた。午前の陽射しは薄く、錆びついた金属を黄色く染める。砂塵を含んだ風が頬を撫でるたび、肌に微かなチクチクとした痛みが走った。


アドラスはヘルメットのシールドを上げ、目を細めて地表を見渡す。眼下には波打つ金属パネルと、ぽつりぽつりと点在する小型の給油塔が並ぶ。足元のグリッドパネルを踏むと、かすかな振動が伝わってくる。


カルマンは地元の技師と流暢に会話を交わし、腕章に刻まれた印章を見せながら手続きを進める。

メティスは機材箱からポータブル解析機を取り出し、座標断片をひとつずつ読み込んではデータを書き留めた。

マクリルは周囲を見回し、警戒用の小型ドローンを展開する。ハンマーのように放たれたドローンは、大気中に小さな軌跡を描きながら旋回する。


ステーション脇の市場に陳列された果実に、赤子は興味深げに手を伸ばそうとしていた。光沢のある紫色の実を目で追い、ふわりとただよう甘い香りに小さな顔を輝かせる。しかし、大人たちが慌ただしく動く中で、手は届かない。


レアは優しく赤子を抱きかかえ、ひとしきりその仕草を微笑ましく見守った。

「危ないから、今は見るだけね」

短い安堵の時間が過ぎ、補給作業は無事に完了した。アドラスは微かに肩の力を抜き、赤子の髪をやさしく撫でる。その手のぬくもりが、自分の胸を締めつけた。



市場通りの喧噪は、不意にアドラスの意識を攫った。香辛料の香り、熱い金網から漏れる蒸気、子供の歓声──すべてが一瞬で遠ざかり、目の奥がざわつく。戦争中に襲撃した村の情景がアドラスの脳裏を駆けていった。その時、振り返ったその先に、赤子の姿はなかった。


「――!」


叫びは砂塵の中にかき消され、アドラスの世界だけが音を失う。心臓がひきちぎれんばかりに暴れ、頭の中をかつて失った娘の声が駆け巡った。


〈見捨てるのか……〉


記憶の底から蘇る後悔が、胸を鋭くえぐる。だが、その痛みはすぐに力強い決意へと変わった。


「お前を――絶対に取り戻す」


拳を握りしめると、血管が浮き上がる。両腕に響く脈動が、全身を突き抜けるようだった。



廃れた工業倉庫の地下。錆と埃が混ざる冷たい空気が、アドラスの頬を撫でた。揺れる蛍光灯の下、通路の壁に貼られた警告ステッカーが風化して文字を失いかけている。


ナイフの刃を静かに抜くと、アドラスは影を縫うように進む。最初に襲い掛かってきた傭兵は、不意を突かれて床に崩れた。身体を反転させ、腕のスナップで二人目を制圧する。鉄製パイプと廃棄コンテナが散らばる空間で、戦闘は赤い火花と金属音を伴いながら瞬く間に終わった。


「必ず取り戻す…」


息を切らしながら進むと、扉の隙間からかすかなすすり泣きが漏れ聞こえる。扉を蹴破ると、そこには縛られた赤子が小さく丸まっていた。鎖の金属が冷たく、泣き声は嗚咽に変わっている。


アドラスは傷ついた身体を顧みず、素手で鎖を引きちぎり、赤子を抱き上げた。熱い血潮が背中を伝い、涙がこぼれ落ちそうになる。


「安心しろ。もう離さない」


小さく震える背中を胸に押し当て、彼は出口へと駆け出す。背後から銃声が連打のように鳴り響き、鉄扉が激しく震えたが、振り返らずに走り抜けた。



ブラストドアが轟音とともに開き、白い非常灯の光が二人を包み込む。アドラスは荒い息を吐きながら、ブリッジへと戻った。仲間たちの視線が一斉に注がれ、緊張から解放されたように表情が和む。


「表情が頼もしくなったな……」

マクリルの声は、いつになく優しく響いた。


「すっかり懐いたじゃないか」

カルマンが腕を組み直し、軽く微笑む。


レアはゆっくり近づき、小さく問いかけた。

「ねえ、この子を、これからどう呼ぶ?」


アドラスは赤子を抱きしめたまま目を閉じる。亡き娘の面影を胸に、そして今目の前にいる小さな命に、新たな名前を捧げる覚悟を固めた。


「――ネイラ」


赤子の瞳が光り、そっとアドラスの手を握り返す。

艦は再び静寂の宙域へと泳ぎ出し、守るべき約束を胸に、新たな航路を描き始めた。

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