第15話 浮かんだ妙案
つるりと滑る音が聞こえたかどうか。
根本先輩は怒りを顕にし、口を開いた。想いのままを吐きだすその行為は攻撃的で、凄く勢いのあるものだろう。ただその分、少しばかし理性の網の目をすり抜けやすくなる。
「ふざけんなよ。お前は、──あいつに。高橋に渡したって言うのかよ。くそっ! そんな事、あっていいと思ってんのかよ」
攻撃的になった分よけいに怖くなるものだから、諸刃の剣でもあったりする。こちらに敵意はないよと、身を縮こませてみせる。
だけども、怖い思いを我慢した分の価値はあったのかもしれない。いま確か、高橋と口走っていた。それはぼくのクラスメイトである、高橋杏奈の事だろうか。
明るく健康的で。流石にクラスのマドンナとまでは言わないけれど、愛嬌があって気持ちのいい娘だった。いったい先輩とはどういう関係なのだろう。
そしてもうひとつ──。
とても気になる口振りをしていた。はて、先輩が言う所のあってはいけない事とは何を指して言ったのだろう。何を知っていると言うのか。
「先輩は、根本先輩は見たんですね」
鬼柳ちゃんに名前を呼ばれ、先輩は眉を潜め、警戒の色を濃く覗かせた。
「ラブレターの送り主が誰なのか知っているのね?」
ぼくらの姿を交互に眺め、ハンと威勢よく息をついた。たぶんどちらの名前も知らなかった所為だと思う。自分だけが知られている不利な状況を理解したのか、逃げる気が失せたらしい。
口をひん曲げて、誰もいない壁に視線を逃がす。そうしてからふてぶてしく言った。
「お前らは知らねーからこんな余計な事をすんだよ。邪魔すんじゃねえ」
不思議な事を言う。それはまるでぼくらに非があるような物言いだった。ちらりと視線を動かしたら鬼柳ちゃんと目があう。お互い顔を見あった。同意見のようだった。
「誰がラブレターを出したのかだって?」
まったく可笑しそうにもなく空笑い、
「お前も今日、会ってただろうが」
吐き捨てる。
先輩はぼくを睨みつけながら言ったのだと思う。ぼくが今日会った人だって? パッと頭には浮かばず。はて、クラスの誰かだろうかと物思いに耽る。
でも話はそこまでだった。もう少しで送り主が判明したというのに、突然の大きな声にぼくらの会話は邪魔された。
「お前ら、授業中に何してるんだ!」
或いはぼくがふき飛んだせいだろうか。ドタバタと追いかけっこをして騒ぎすぎたのかもしれない。隣で授業をしていた先生が騒ぎに気付き、教室から顔を出して注意してきたのだ。
どうしよう。
「とりあえずここは逃げた方がいいかな」
鬼柳ちゃんをふり返ってみるも、その姿は既にこつぜんと消えていた。
相も変わらず、すばしっこい事だ。
しかしここで先生に根本先輩を捕らえてもらった方が話が早いのかもと向き直ると、先輩の姿もとっくに消えていた。
息のあったコンビプレーにぼくらは惑わされるばかりだ。ぼくらは。ぼくら……。あれ? 連帯感も仲間意識も、そんなものまるであったものじゃない。気付けばぼくが、ひとり取り残されただけだった。
あっ、ずるい。置いていかれた。もしくは生け贄だったのかもしれない。こんな囮役はさすがに聞いちゃいなかった。
ガチャと音を立て、先生がドアを開ける音がしてきた。まずい。
逃走をはかるべくぼくも走りだしたが、お尻が痛くてうまく走れず、ヒョコヒョコと変な走り方になっている。
「こら、廊下を走るな」
応援を背に受けながら、ドタバタとした逃走劇になってしまった。
さて、うまく逃げ切れるだろうか。
命からがら、どうにか廊下の端まで辿り着くことができた。肩で息をしつつすかさずサッとふり返り、追手の姿がないかと確認する。
これ以上走るのは勘弁して欲しい。そう心の中で祈るようにしながらきょろりきょろりと辺りを見回した。
よし、先生が追ってくる様子はないようだと安堵し、ふう、と深く息をつく。さすがの先生も担当クラスを放ったらかしには出来なかったと見える。
やれやれだねと肩の力が抜けていった。思いがけずひどい目にあった。どれ、誰もこない階段の踊り場で休むとするかな。
あそこなら、廊下からぼくの姿が見える事もないだろう。トボトボと階段を降りていき、しだれ柳のように手すりにぐったりとして身を預ける。
うっかり手の力も抜けそうになった所で慌てて掴みなおした。おっと危ない。つい落とす所だった。すっかりと忘れていた。ぼくの手には、逃げる時に拾ってきた偽物のラブレターがあった事を。
しげしげと眺め直す。うん、いい出来だ。やっぱりよく出来ていた。まるで純粋無垢な心を表したまっ白な封筒。その熱い想いを形どった真っ赤なハートのシール。
その子の可愛らしさを表現する、読んでくださいという丸っこい文字は、隅っこの方で控えめにしていておしとやかさまでも含んでいるように取れた。
字は人を表すと言う。
鬼柳ちゃんにこんな真似が良くできた物だなと、すっかり感心しちゃう所である。そもそもよくラブレターのセットを持っていたものだった。あのカバンの中には他に何が入っているのだろうかと興味が湧く。
まあ、ぼくだって、いつ如何なる時でも予告状をだせる用意はしてあったので似たような物だった。それに鬼柳ちゃんなら、あれは果たし状の用意なのかもしれないし。
にやりとしておく。
本物のラブレターは今どこかというと、何を隠そう鬼柳ちゃんが持っている。ぼくが持っていたら中を見ちゃうからと、取り上げられてしまったのだ。
まったく、信用されたものじゃないか。
もっともぼくが誘惑に勝てていたかどうか、それはまた別のお話になるのだけれど。それを見越しての事ならば流石という所だった。偽ラブレターをペラペラと揺らして、手の中で弄ぶ。
さて、おかしな話になってきたぞ。
少し話を纏めてみようかと意識を内に落としていく。揺れるラブレターをみつめながらも、視界からはぼやけていった。
ぼくの下駄箱に紛れ込んだラブレター。あれは誰が、誰に宛てた物なのか。最初は靴の持ち主。その男からぼくへのラブレターかもと疑われた。その男、つまりは根本先輩という事になる。
あの体当たりが先輩なりの求愛行動じゃない限り、その可能性はないなと思えた。そんな先輩はうっかりと口をすべらせた。不明だった宛先は、ぼくのクラスメイトである高橋杏奈その人であると。
言動をみる限りでは、先輩がラブレターを出したというわけでもなさそうだった。やっぱりあの丸っこい字が表すように、どこかの女子が出したものだろう。
とある女子が、高橋杏奈にラブレターを出した。それを見ていた根本先輩が盗み、いたいけなぼくの下駄箱へそっと隠した。という事になる。
先輩の言っていた、あってはいけない事という言葉が引っかかる。はて、あれは何を指しているのか。女性同士の関係の事か。 先輩は一体、何を見たというのだろう。
そして、考えれば考える程に思う。これ、ぼくには何も悪い所がないよねと。いや、やっぱり悪かったのかもしれないなと思い直す。
運か、間がね。
ふぅむと腕を組む。この一件、もし手早く終わらせたいとするのなら、実は簡単な方法がなくもない。本物のラブレターを高橋杏奈に渡せばいいのだ。それだけで片が付く。そうすれば、とりあえずの終わりは迎えるだろう。
でもちょっと待てよと思いもする。果たしてこのまま渡してしまっていいものか。悩んでしまう。
だって、他人のラブレターをぼくから渡す自然な理由がはたと思いつかないのだ。それこそ拾ったとか。頼まれたからとか。いやいや、不自然極まりない。そんな嘘はすぐにバレるのがお決まりだった。
それで済むならいいけれど。たぶんそれじゃあ済まないだろう。きっとあらぬ疑いを持たれるのがオチじゃないかなと思う。ぼくが恋泥棒にでも疑われたりしたら、たまったものじゃない。
だからといって。
彼女の下駄箱に戻すのもどうかと思う。下策に思えてならなかった。恐れる事もなく盗みに入る、あの執念を目にした後だったから。
そんなことをする先輩がどこで見張っているのかわからない中で返しにいくのは、鴨が葱をしょって鍋の中に入っていくのと同じだった。エノキも咥えてるかもだ。
とするとやっぱり。
ラブレターを書いた張本人に返すのが、無難な所じゃないかなと結論づいた。その後、もう一度渡すもヨシ。根本先輩に邪魔されるもヨシ。ぼくの預かり知らぬ所でなら、思う存分やってもらって構わない。
それに、ここまでやって来たのだから。誰が送り主だったのか、ぼくも少し興味が湧いてきていた。
「守屋くんは今日、どれくらいの人に会ったの?」
突然、背後から刺す声にどきりとする。
ふり返るとそこには鬼柳ちゃんがいた。ぼくに気配を読む能力なんてないけれど、それにしたって何も気が付かなかった。驚かせてやろうと、忍び足で近付いてきたのではないかと勘繰りを入れる。
疲労困憊のぼくとは違い、鬼柳ちゃんは息一つ切らしていないようだった。
「今日会った人ねえ」
その中にラブレターの差出人がいると、先輩はそう言っていたのだった。
アゴに手を当て、
「そうだなあ」
記憶を探っていく。
「クラスのみんなに鬼柳ちゃん。後は──。んん。誰と会ったっけな。移動教室はこの体育が初めてだよ」
アテになるようでならない、あやふやな記憶の中でも容疑者は結構いるものだなと感心する。
「……多いのね」
鬼柳ちゃんも小さく息をつく。
書かれた文字だけで判断すれば、差出人は女子だろう。クラスの半分が女子として、それだけでも容疑者は数十人。多いといえばやっぱり多かった。
犯人は女子である。そう言えばと手近な容疑者から取り調べてみる事にした。
「まだ聞いてなかったけどさ、鬼柳ちゃんは違うんだよね?」
おや、反応がない。まさかの灯台下暗しだろうか。なるほど、彼女が差出人だったら丸っこい文字をそっくり書けたのも納得する所ではある。
「意外な人が犯人の方が盛りあがるとぼくも思うけどさ。まさか、犯人は──」
じりっと後ずさって、芝居がかった声を出す。大げさにたじろぎもしてみるけれど、鬼柳ちゃんはちらと視線を向けてくるだけだった。
「んー、何かいい方法はないのかな?」
ほっぺに手をあてて首を傾げている。
やばい、とうとう無視された。それは気持ちいいほどのスルーっぷりを見せる。なんだい、ちょっと確認しただけなのに。
とは言え、彼女もラブレターを返そうと考えていたようでホッと安心した。
その時、ぼくに妙案が浮かんだ。別に容疑者を絞る必要はないんじゃないか。ちょっと乱暴な方法ではあるけれど、本人に取りにこさせるのはどうだろう。
口元を緩めながら言った。
「こういうのはどうかな。授業中にね──」
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