第14話 ダメな理由
我が国。日出ずる国である所の日本では、囮捜査が固く禁止されている。
いったいどうしてダメなのか。
その理由を詳しくは知らないけれど、それでもパッと思いつくだけでも十個程はダメな理由が浮かんでくる。
まず一つ、囮捜査でおとり役になる人が可哀想だからだ。二つ目は、囮役の人がイヤな思いをするからさ。三つ目は、囮役の人がとても悲しい思いをするこ事によってだね──。
と言いかけた所で、
「全部おなじ理由じゃないの」
バッサリ切られ、おまけとばかりに呆れた視線を向けられる。
「そうは言ってもだよ。あんまり気が乗らないんだからしょうがないじゃないか」
少しは囮役にも気を使って欲しいものである。まったく、困ったものだね。ため息をつきつつ、気乗りしないまま運命の時がくるのを待つ事になった。
しばらく時間が経ち。
授業の開始を知らせるチャイムは既に鳴り終わっていた。こうも堂々と授業をサボるのはぼく史上初めての事である。あんまり悪目立ちはしたくないのだけど。
あれからいくつかの授業を終わらせて。今、ぼくのクラスは目下体育の授業中。そして教室はがらんとしたもぬけの殻になっていた。
件の恋泥棒がラブレターをとり戻しにやってくるには、絶好の条件が揃ったチャンスタイムとなっているはずだ。
それは如何にもなシチュエーションで、白昼堂々盗みを働くものかなと疑問に思いもするけれど。犯人としてはラブレターをとり返したくてたまらないはずだった。
きっとぼくの手元にあるのは、気が気でない事だろう。
既に一度盗みを行なった人間なのだから、二度目はきっと躊躇いもしないと踏んでいる。この絶好のタイミングをみすみす見逃すとは思えなかった。
犯人はかならず教室にやってくるはず。──ちょっとだけ、こなくてもいいかなとは思うけれどもさ。
ぼくは男子トイレに潜み、すんと耳を澄ませていた。誰もいない廊下は寒々としていて、シンと静まり返っている。静かな廊下にはチョークのカツンカツンという板書する音がときおり耳に響くだけ。
はて、鬼柳ちゃんは一体どこに行ってしまったのか。気付いた時には姿を消していた。まさか隣の女子トイレに潜んでいやしないとは思うけど。彼女もきっとどこかで同じように見張っているに違いない。
問題は、それがどこかという事だった。
ぼく一人じゃ犯人を取り押さえるのはまず不可能だ。頼みの綱である彼女との合流は不可欠だろう。少し不安を覚えながらも音に集中していく。なるべく鬼柳ちゃんに近い所に現れて欲しいなと願いつつ。
音だけだったら見逃していたかと思う。
心配の所為か。ちょこちょこと廊下を覗いていたおかげで、低い姿勢のまま移動する学生服が視界の端にちらりと見えた。その学生服はするりと吸い込まれるようにして教室へ姿を消していく。
入っていったのはぼくのクラス。
顔はよく見えなかったけど、学生服だったので間違いないだろう。クラスメイトならば体操服でいるはずだった。
まんまと罠にかかったらしい。
そろりと音を立てず近付く。だけど教室へ向かう足は思わず早足になってしまう。最初からわかっていた事だとは言っても、自分の荷物が荒らされるのを心待ちにするのはあまりいい気のするものじゃない。
ドア越しにガサゴソと物音がしていた。
何かを物色している音だろう。何かとはぼくのカバンのことで、探しているのはラブレターだと思う。あまりひどい事はしないで欲しいんだけどな。
入り口のドアをそおっと開けて中の様子を窺ってみる。
静かに開けたドアのすき間から覗く。教室の中にはひとりの男子学生の姿。ふぅむとよく見てみるけれど知らない顔だった。
ぼくの席はあらかじめ調べられていたのかもしれない。迷うこともなく犯人はその前に立ち、もぞもぞとカバンの中へと手を突っ込んでいる真っ最中だった。
うわあ、やだなあ。
しかめっ面になってしまう。このまま飛び出していって、もっと丁寧に扱ってくれないかなと声をかけたくなるほどに、それはそれはガサツに中を漁られていた。
焦る気持ちはわかるけど、乱暴にすぎるというものだった。やだねえ、これだから囮役は人気がでないんだよと息をつく。
「三年の根本先輩ね」
「わっ」
耳元で急に声がしたものだから思わず声が出てしまう。ああ、びっくりしたなとふり返ってみると、すぐ傍に鬼柳ちゃんがしゃがみ込んで小さくなっていた。
はて、いつの間に来たのだろう。音もなく近付いてくるんじゃありません。
そして元々が小さな体なんだから、そんなに縮こまらなくてもいいのになと思うくらいコソコソと身体を小さくしていた。どうやら彼女は隠密行動向きらしい。反対にぼくは、あまりそういったものには向いてないようだった。
そう言われたわけではなかったけれど、鬼柳ちゃんの目がそうだと物語っている。半眼の面持ちでぼくの事を睨むのだ。
おや、半眼とな。それはまたなんで?
「あっ」
いけない。ぼくは隠れている最中だったのだ。教室の中にすばやく視線を戻すと、こちらを見ていた根本先輩とバッチリ目があってしまった。ぼくの姿に驚いたのか。クワッと目を見開いている。
そしてその手には、カバンから取りだしたばかりのラブレターがしっかり握られていた。
次の瞬間。
哀れぼくのカバンはポーンと宙を舞っていた。もう用がないのか、空飛ぶカバンへと様変わりしていた。やっぱりさっき、丁寧に扱ってと言っておくべきだったのかもしれない。
後悔を胸にカバンへと手を伸ばす。
が間に合うはずもなく、ドスンと虚しく床に叩きつけられてしまった。無念だ。
その隙を狙い、先輩はぼくらのいたドアとは反対側に向かって駆け出していた。
「あっ、逃げたよ」
ぼくの的確な指示が飛び、
「誰の所為よ」
と的を射たような反論が返ってくる。
そんなことを言いながらも、鬼柳ちゃんは負けじと反対側のドアへと飛び跳ねた。やはりどこか猫を思わせる瞬発力だった。いいぞ。負けるな鬼柳ちゃん。
応援をする手にもギュッと力が入る。
そのすばやい身のこなしと、ドアまでの距離が短かった分。どうやら彼女の方が速かったらしく、先にドアへと辿り着いた。遅れて着いた先輩をきろりと睨みつけ、ドアをくぐらせまいと前に立ちはだかる。
小さな手を横に広げて通せんぼする姿は少しばかり大きく見えた。先輩の目にも同じように映ったのか。鬼柳ちゃんのプレッシャーに押されでもしたか。きょろりと首をふり、先輩はぼくのいる方へ踵を返して向かってきた。
「守屋くん。そっち行った」
鋭い声。
「どけっ」
怒号。
乱暴に手でかき分けるようにしながら、猪突猛進で突っ込んでくる。瞬間、どこうかしらと悩みもするけれど、その後の鬼柳ちゃんが怖いのでやめておいた。
それにしても舐められたものである。
鬼柳ちゃんとぼくを見比べ、こちらの方が突破しやすいと判断したわけだ。舐めてもらっちゃ困る。ぼくはこう見えてもやる時はやる男なのだ。
やおらに手を広げ、腰を低く落とし、あらかじめ重心をさげておく。お腹にぎゅっと力をこめ、衝突に備える。きりっと気を引きしめ、視線はただまっすぐ前へ。向かってくる先輩と対峙した。
よし、かかってこい。カバンの仇だ。
──ふき飛ばされた。
根本先輩はスピードを緩めず突っ込んできて、か弱いぼくに対して無情にも体当たりをお見舞いした。必死の抵抗も虚しく、ぼくの体はさながらカバンのようにぽーんと空へ向かって放り出される事になる。
ふわっと体が浮いた。
まるでダンプカーにぶつかったのではと勘違いするほどの衝撃に思えた。これは意見の食い違いによっておきる、交通事故そのものだったに違いない。
ぼくの体は後ろに吹き飛ばされ、お尻をぶつける羽目にあう。痛いなあ。だからぼくはこういうのに向いてないんだってばと項垂れる。
先輩は倒れたままでいるぼくをあざ笑い、そのまま立ち去ろうとした。あっひき逃げだ。いや、ぶつかり逃げだろうか。事故った場合は救援の義務があるはずだけど、今はそれを望むべくもない。
だったらぼくは、立ち去る先輩に向けて恨み事のひとつも口にするとしよう。ぼく向きの方法で勝負といこうじゃないか。
倒れながら言葉を投げつける。
「それは偽物ですよ」
余裕綽々で立ち去ろうとしていた先輩の動きが止まった。
「なんだと」
くるりと引き返してくる姿を目に捉え、ムクリと体を起こす。お尻が痛かった。割れちゃったかもなというベタな言葉が浮かんできたので、ちょっと恥ずかしくなる。赤くなって、より可愛くなってるかもしれないなと考え直しておく。
そんな事をしている間に、根本先輩は目の前までやってきていた。
「どういう意味だ」
さっき打ち付けたお尻をさすさすと擦りながら、その問いかけに答える。
「それはですね。そこにいる鬼柳ちゃんに頼んで書いてもらった、偽物なんですよ」
そう言いながらふり返ってみるけれど、そこに彼女の姿はなかった。おや、また消えちゃったよと思っていたら、向いた方向とは逆方向から声がした。
「そう。わたしが書いたものなの」
気付けば隣にいた。そこじゃなくて、ここだったらしい。
消えたり現れたりと、相変わらず心臓に悪い女の子だ。ドキッとした事は言わないでおくとしよう。ぼくの沽券に関わる気がしないでもない。
「だったら本物はどこにある」
「本物はもう手元にはありませんよ。本来もらうべきひとに渡しておきました」
ぴくりと鬼柳ちゃんが揺れる。ぼくの嘘に反応したのだろう。先輩の手にあるラブレターが偽物なのは本当だけど、本物のラブレターもまだ渡せてはいなかった。
だって宛先が不明だもの。配達不可だった。
先輩はこれでもかというほどラブレターに顔を近付けてみつめる。書かれた文字を確かめてから、わなわなと身を震いだしてしまった。
あの偽物のラブレター。外見はそっくりだけれども中身はどうなっているのだろう。開けちゃダメと言ったのは鬼柳ちゃん自身だった。まさか中身まで写したわけじゃあるまいね。
「あの中にはなんて書いてあるんだい」
訊いてみる。
「あなたが恋泥棒です、って書いたの」
目がまるくなり、
「そんな、手品じゃないんだからさ」
と苦笑うと。
「ふざけんな」
「ほら言われてるよ。先輩も笑えないってさ」
何故かぼくはふたりから睨まれた。
そして偽物のラブレターは、床にパシンと投げ捨てられてしまった。ああ、せっかく鬼柳ちゃんが字まで寄せて本物そっくりに書いてくれたのに。ひどい事をするものだった。
先輩は肩を怒らせている。どうやら怒りが体内をかけ巡っているようだった。鬼柳ちゃんのほんの茶目っ気に、そこまでして怒らなくてもいいじゃないかと思う。
そしてそんな時はよく注意しておかないとならなかった。えてして、口が滑りやすくなっているものだから。
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