第10話 推理開始
鬼柳ちゃんは身を乗りだし、その大きな瞳を少し近付けてくる。
「先輩は、練習風景を録画しているの?」
「うん、そうみたいだね。動きのチェックをするのに使ったりするらしいよ。いつもはひとりで練習してるみたいだったから、きっと必要なんだろうね」
「ふーん、そうなの。守屋くんが邪魔しないときはひとりで練習しているのね」
ひとり、うんうんと頷いている。
なかなかに感情表現豊かな動きをするものだった。まあ、それが探偵に必要な事だとは思わないけれど。むしろもっとドッシリと構え、不敵に笑っていて欲しいものだった。
代わりにとばかり、ぼくがほほ笑むことで帳尻を合わせておく。
「そういう理由で先輩は去っていったよ。ぼくも帰ろうかなとは思ったんだけどね。せっかくはるばる音楽室まで来たんだから、色々と室内を見回ってから帰宅する事にしたんだ」
「守屋くんは暇なの?」
ハハ、と苦笑。
「ただ、帰ってきてからびっくりしたよ。なんと、カバンを音楽室に忘れてきたんだからね」
「わあ」
大きく口を開けて驚いて、首を傾げてから出てきた言葉は、
「守屋くんはドジなの?」
だった。
くそう、辛辣な事を言ってくれる物だ。これはあれだ。単なる理由付けに過ぎないというのに。何も本当に忘れていったわけじゃない。ぼくもそこまでのドジではないはずだ。たぶん。
「時刻はもう夕方だったかな。取りに行くのは明日でいいかと思いもしたんだけどね。そうはいかなかったんだ」
「どうして?」
まるっとした瞳が興味津々に覗き込んでくる。
「鞄の中に大事な物が入っていたからね。結局、取りに向かうことにしたんだ」
ふーんと唸り、
「何が入ってたの?」
と訊いてくる。
おや、それも訊いてくるのかい。
はたと考え、
「男には夢と希望の詰まった、女には悪夢と失望が詰まったものだよ」
と答えてみる。
「ああ……」
うなだれるような声と共に、その瞳からは光がスッと消えた。いったい何を想像したのだろう。後でこっそり聞いてみようかなと思う。ちょっと楽しみだった。
蹴飛ばされなきゃいいけど。
「学校についた頃にはすっかり暗くなっていてね。校門はまだ開いていたけど、校舎の入り口は残念ながらもう閉まっていた」
「諦めた──、わけないよね?」
うん、と力強く頷く。その時間を狙ってぼくは訪れたのだから。
「簡単に諦めたりするもんか。ぼくは何としても、カバンの中身を死守しなきゃいけなかったんだから」
おや、大きな瞳がジト目へと変わっている。そこには触れずに話を続けていく。
「職員室に光が灯っているのは見えていたからね。外から訪ねる事にしたんだ。先生に事情を話してから、一緒に音楽室へと向かうことになったんだ」
そこで良い事を思いつき、怪談話っぽくトーンを低くして語りはじめると、
「そういうのはいいから」
バッサリと切られてしまった。
ちぇ。なんだい、つれないね。
「ほとんど教室の電気が落とされた中を、薄暗くなった廊下を行くんだ。懐中電灯を片手に持ってね」
手振りで辺りを照らしてみせる。
「先に気付いたのは井上先生だったかな。前を歩く先生が、何か聞こえないかって言うんだよ」
ピアノを弾くように、両の手の指を動かしてみせる。
「音楽室が近付くにつれ、ぼくの耳にもハッキリと聞こえてきたよ。ピアノの演奏がね」
少し離れていた鬼柳ちゃんの友達が、ひっそりと肩を抱くのを目の端で捉えた。同じように彼女も思い出しているのかもしれない。
「先輩に聴かせてもらったばかりだったからさ。すぐにそれだと分かったよ。あれはまちがいなく、月光だった」
これがオチだ、とばかりに声を潜める。今度は止められはしなかった。
「先生がドアを開けるその時まで、演奏はずっと続いていたんだ。でも中には誰もいなかった。電気もついていなかったよ」
大きな瞳は瞬きもせず、目を覗き込んでくる。まるで心の中まで覗こうかというように。
まさかこのまま、嘘の設定を見抜かれるとは思わなかったけど。ぼくは目を細め、心への侵入を拒む事にした。
「そんなに見られると照れちゃうね」
ハニカんでみせ、
「ぼくが目にしたのはそれだけだよ」
そう話を結んだ。
きょろりと瞳を動かして、
「先生の話とも違わないね。合ってる」
ほっぺに手をあて、しれっと言う。
「それは、ぼくの証言の裏取りをしていたという事かな」
と苦笑い。
まったくいい度胸をしている。ぼくを疑っていたとこっそりばらしてくるとは。危ない危ない。当たらずとも遠からずという所なのだから。
何せぼくは、ほぼ犯人なのだった。ほぼね。
それを知る由もない鬼柳ちゃんはくるりと後ろをふり返り、その小さな背中に隠していた友達をようやく紹介してくれた。疑いは少し、晴れたのだろうか。
「この子も演奏を聞いたみたいなの。夕方頃だったみたい。曲名まではわからなかったそうだけど、たぶん同じだと思う」
なるほどと頷く。
「一回」
言って自分を指をさし、
「二回」
その少女にも指を向ける。
少女は一歩、身を引いた。
「噂が本当だったとしたらあとニ回だね。演奏はまだ、これからも続くのかな?」
四回。演奏を耳にすれば、死を迎えるとされる呪いの曲。ぼくに怖がらせる意図はなかったのだけど、少女は分かりやすく怯えだした。
それを目にした鬼柳ちゃんに睨まれて、ぼくもまた怯え始める事になる。
「もう」
と言ったか、言わないか。
少女を慰め終わった口は、ツンツンして尖っている。頭を掻いてごまかしておくとしよう。徐ろにため息をつかれ、今度は瞳をスッと閉じてから微動だにしなくなった。
おや、どうしたのだろう。
まったく動かなくなってしまった姿をじろじろと眺め、いたずらでもしてみようかなと考えていたら、後方の少女がブンブンと首を振っている。たぶん邪魔をするなという意味だった。
はて、何をしているのだろう。
語った怪談話を反芻でもしているのかしらと思ったら、パッと大きく目を開き、もう既に鬼柳ちゃんは歩き出していた。
あれ、置いていかれた?
突然の事に友達の少女も置いてけぼりである。途中で気が付いたのか、すぐに帰ってきた。ずいっと身を乗りだしてきて言う。
「守屋くん、先輩と引き合わせて欲しいの」
その迫力に気圧されて少しのけ反った。どうか落ちついて欲しいものさ。あまりに身を乗りだすものだから、片足が宙に浮いているよ。
しかしこれはチャンスだった。同行が許されたという事だろう。これで心置きなく、彼女の推理を拝む事が出来るというものだった。
ああ、目撃者になっておいてよかったと胸を撫でおろす。
胸の中では安堵と期待とワクワクが溢れているけれど。でもね、まあ。ここはひとつ冷静にいくとしようじゃないか。
ぼくの仕業と悟られてはいくまいよ。実は計算通りであると勘付かれるのもよくない。心はホットに熱くとも、頭はクールで透き通らせておかないとだ。気を落ち着かせ、ぼくは言った。
はい、かるく深呼吸をしてからー。
「まったく、しょうがないなあ」
と。
快諾の返答に、鬼柳ちゃんは不思議そうに小首を傾げていた。
「どうして嬉しそうなの、守屋くん」
うん、聞こえなかった事にしよう。
昼休みを待ち、みんな揃ってゾロゾロと中原先輩のいる教室へ向かう事にした。ぼくが先頭を歩き、続いて鬼柳ちゃん、後には少女──。
おや、まだ名前を訊いていなかったや。そう、謎の少女が縦に並んで進む。
某ゲームの三人パーティーな歩き姿にうっかりと楽しくなる。直角に曲がればどうなるのかと悩む間に、ザッザッザッと三階に着いてしまった。
残念だ。
三階は少しだけ緊張する。いったいどうしてなのか。同じ校内で、階数が違うという、ただそれだけなのに異質なものに思えてくる。
異質に思うのは向こうサイドも同じようで、周囲の視線が突き刺してくるのを肌で感じていた。これはさながら監視システムのようじゃないか。侵入者を見逃すまいとフル稼働していた。
なんとか視線をかいくぐって廊下を進み、やがては目的の教室を見つけた。エンカウントせずに辿り着けて何よりだった。教室の中をそっと覗いてみるけれど、目の届く範囲に中原先輩の姿は見えなかった。
さて、どうしようかね。
誰かに呼んでもらおうかと思ったその時、背後から聞き覚えのある声が耳に届いた。
「何をやっているんだ、君は」
はて、この声は。たしか。
ふり返ったら、中原先輩が立っていた。教室の入り口に並ぶぼくらを怪訝な面持ちで見つめている。動揺を悟られぬようにとあわてて手を差し出した。
「──ええ、こちらが中原先輩です。そしてこちらが鬼に柳の、鬼柳さんです」
いやあ、予定通りにはいかないものである。なんとも締まりのない引き合わせになってしまった。
咄嗟のぼくの計らいで、二人はこんにちはと挨拶を交わした。そして片側はきろりとぼくを睨みつけてくる。おや、なぜだろうと素知らぬ顔をしてやり過ごす。
「それで、君たちは私に何か用かな」
「それがこの鬼柳ちゃんがですね。先輩に話を聞きたいらしいんですよ」
スッと先輩の目元が動いた。その視線にあてられたのか、それとも周りからの視線に耐えかねたのか。謎の少女は鬼柳ちゃんの小さな背中に身を隠している。
ちょっと騒ぎすぎたのかもしれない。
さっきより監視システムの視線も冷たくなっている気がする。もしくは嫉妬の目だろうか。中原先輩に近付くぼくを、良くは思わない連中が潜んでいるのかもしれなかった。
それらを目にした先輩が提案をしてくる。
「すまないな。私はこれから音楽室に行く所だったんだ。話はそこでしようか」
じゃあ、そうしましょうかと相なった。音楽室の方が人通りは少なく、静かで話もしやすそうに思える。それにその方がぼくにとっても好都合だった。
「少し待っていてくれないか」
そう言って先輩は自席に小走りで向かい、カバンからカメラを取り出してきた。
撮影用の物だろうか。
「待たせた。それでは向かうとしようか」
先輩も加わって、四人パーティーで音楽室へと向かう。先頭は先輩が務める事になった。哀れぼくは、勇者役を降板したようなので最後尾へとついた。
先頭を歩く先輩の足が、音楽室を目前にしてはたと止まった。急に足を止めるものだから、謎の少女は鬼柳ちゃんの背中と衝突したくらいだ。
ぼくもゆるゆると足を止め、後ろを向く先輩へと目を向けた。
「どうかしたんですか」
先輩はひと差し指を立てて口元にそっと当てる。長い髪がさらりと流れた。
「しっ」
促されるまま、自然と耳をそばだてる。耳に届いたのは弱々しくもあり、力強くもある、静かで不気味なあの旋律だった。
月光だ。
互いに顔を見やった。誰も声を発さず、手ぶりで音楽室のドアを指さした。恐る恐る先輩がドアを開けてみると、途端に演奏は鳴り止んでしまった。
中を覗いてみたが、誰の姿もなかった。
「いやぁあ!」
いやぁあ、びっくりした。
隣にいた謎の少女が音楽室を覗き、
「いやぁあ!」
と叫んで走り去っていったのだ。
耳元で急に叫ぶものだからびっくりして、
「はい、ぼくが黒幕です」
と白状する所だったじゃないか。
心臓はまだバクバクとしていて、耳なんかはキーンとした耳鳴りが残っている。
まったく、困ったものだね。あの少女はホラーよりもホラーしているようだった。ぼくはそんな風だったけど、他の二人はどんな様子かと窺ってみる。
中原先輩もさっきの悲鳴にやられたのか。顔色が優れないみたいだ。その綺麗な横顔はすっかりと色を失っているようだった。ものを言わず、たじろいでいる風に見える。
まあ、無理もない事だろう。
さて、鬼柳ちゃんはどうしている。ぐるりと首を回すけれど、おや、姿が見えない。またどこかへと消えてしまったらしい。
それとも謎の少女と一緒に逃げ帰ったのかな。ガクリと肩を落としかけると、音楽室の中からガサゴソと物音がした。覗いてみると、鬼柳ちゃんは臆さず室内を物色していた。
おや、いるじゃないの。
どうやらお得意のワープをしていただけらしい。怪談騒ぎを目にして、すぐに調査を始めるとは中々に驚かせる。たいした度胸じゃないか。
探偵はそうこなくっちゃね。そろりとぼくも入って先輩はどうするのかと眺めていたら、恐れながらもしずしずと中へやってきた。
鬼柳ちゃんは手早くパタパタと、ひとの隠れられそうな場所を調べていく。きっと怪談の犯人を探しているのだろう。
音楽室の出入り口は前と後ろの計二箇所。そして演奏が鳴り止む瞬間まで、出入り口にはぼくらがいた。どちらからも逃げだすようなひとはいなかったト思う。
そしてここ音楽室は三階にあった。窓からの逃走劇は少しばかり厳しいといえる。つまり奏者はまだ、音楽室の中にいる事になる。そのはずではあるのだけれど。
粗方を調べ終えたのか。鬼柳ちゃんはトコトコとぼくらの元へ戻ってきた。
「変ね。誰も、どこにもいないの」
小首を傾げていた。
そしてほっぺに手を当てて、
「これまでと同じね。また演奏だけしていった」
と呟く。
「もう、カウントダウン間近じゃないか。大変だ。噂通りだったら、次のピアノ演奏で恐ろしい事が起きちゃうよ」
なんてね。ちゃんと怯えた様な声は出せていたかなと、ちょっぴり不安になる。
「恐ろしい事、起きるの?」
「さあ。そういう噂だからね」
その噂を考えた人に訊いてみたらいい。それはつまりはぼくの事で。やっぱり、さあと答える事になりそうだけれど。
「ううん、違うの守屋くん。そうじゃなくってね。次の演奏は四回目なのかなって思ったの」
おや、それはどういう意味だろう。
くるりと向きを変え、
「先輩はいつもここで練習をしているんですよね。これまでにもこんな事はありましたか?」
おっと、危ない。そうか、そうだった。他に演奏を聞いた人がいるかもしれないのか。そんな人がいないと知るのはぼくだけだった。
先輩は力なく首を揺らし、答える。
「いや、こんなのは始めての事だよ。私は知らない。こんな……、こんな事は」
ショックが大きかった所為だろう。先輩にしては歯切れの悪い返事をしている。
少し肩も震えていた。
それを恥としたのか、己を守る為か。これ以上震えさせないようにと両手でしっかりと抱え込み、抑えている。手首にかけた紐で吊ったカメラが、代わりにプラプラと揺れていた。
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