第4話 手のひらに収まる謎

 身を隠し、こっそりと様子を覗きみる。傍からみればどちらが不審者かわからない状況だった。


 おや、変だな。


 ぼくは不審者を追っていたはずなのに、まるでミイラ取りのようである。不審者を追う内に不審者になってしまった。


 不思議な話だよ、まったく。


 くつくつ笑うとあの子の声が耳に届き、そっと耳をそばだてた。怒っているようでハッキリと声が聞こえてくる。


「下着、返しなさいよ」


「だから、持ってないし、盗ってないって。さっきからそう言ってるだろ。お嬢ちゃんの見間違いだっつうの」


 つられて男の声も大きかった。ヒートアップしているのだろうか。下着どろぼうの必死の抵抗というものに違いなかった。


 だけど、事態は思わぬ方向に舵をきる。


 あの子は下唇をギュッと噛み、悔しげに眉をひそめ、大きな瞳で男を睨みつけるに留まった。


 おや、と思う。


 どうして彼女が悔しそうにしているのか。ぼくは犯行の一部始終をみていた目撃者だった。犯人はあの男で違いないはずなのだけど。


 ポケットを漁ってスマホを取りだし、カメラの機能で男の顔をズームにしてよく見直してみる。ぼくの不審者具合いは絶好調、うなぎ登りの天井知らずだった。


 でもやっぱり人違いじゃなかった。あの時に見た下着どろぼうの姿だ。犯人はそいつだと、声にならない応援をして成りゆきを見守る。


 彼女の睨みなどまったく気にも留めず、男はむしろニヤついてみせた。


「お嬢ちゃんよ。そこまで疑うんだったら身体検査でもしてみるか。ほれほれこっちにおいで。ただ、もし何も出てこなかったらわかってるよな?」


 ズボンのポケットをパンパンと叩き、男は余裕を浮かべた表情で腰をフリフリとふり出した。 


 なんだろう。こんな状況なのに随分落ち着いているように思える。こんな窮地と呼べるような状況にも関わらずだ。


 ならきっと初めてじゃない。たぶん常習犯なのだ。こんな窮地も一度や二度ではないのだろう。


 その上で彼女にズボンをまさぐらせようとまでしている。正真正銘、立派な変態なのだろう。


 おっと、立派じゃなかったか。


 でもそれなら、あの男には逮捕歴があるのやもしれなかった。バレないようにゴソゴソとしながら。はて、あの子はどう出るのかと高みの見物を決めこんだ。


 彼女も察しているのか。男の提案にはやすやすとのらず、一定の距離を保ったままで警戒している。大きな瞳で男を捉え、睨み続けていた。

 

 ふぅん、そういう事なんだねと大体の状況は呑み込めた。あの子は男の後を追い、ほどなくして捕らえた。追いつめ、盗ったものを返せと問いつめたのだろう。


 けれど、男の様子がおかしい事に気が付いた。


 ぼくが犯行を目撃した時との唯一の違い。男が手ぶらになっている。下着を詰めこんでいたあのカバンを身に着けてはいなかった。


 どれだけ盗ったのかはわからないけど、あの膨らみのないズボンの中に収まりきる様なものじゃなかったと思う。


 男の妙な自信から予想すると、盗難物は逃げながら既に隠してきたのだろう。辺りを見回してみるけれどそれらしい物は見当たらない。


 続けて二人の様子を窺うも、膠着状態のまま目立った動きはみせなかった。少しは謎の香りがするかと思ったのに、尻切れトンボに終わってしまう。


「とんだ期待外れだよ」


 呟き、ぼくは重い腰をゆっくりと上げた。こんなのはね、本当の謎じゃない。


 そうさね。ぼくからもプレゼントするとしよう。手のひらに収まる程の細やかな、ほんの小さな謎をさ。


 木陰からこそり抜けだし、音を立てないように足音にも注意を払い、じわりじわりと男との距離を詰めていく。


 本当ならぼくも嫌だった。誰も好んで触りたくはないものだもの。でも思いついちゃったからには仕方がない。なあに、証拠隠滅のついでじゃないかと自らを励ました。


 悟られないように忍び寄り、男に手が届きそうな所であの子と目が合った。クワッと瞳が開くので、人さし指をそっと口の前に立ててジェスチャーしてみせる。


 男の背後から声をかけた。


「それじゃあ、身体検査しますね」

 

 驚いたのだろう、男はビクリと怯んだ。身を強ばらせ、戸惑っている。うん、それでこそだった。密かに近付いた甲斐もあろうというもの。


 その隙に男のポケットへと手を突っ込む。その手には、細やかな謎を握り込んでおいた。ぼくの手はひとよりもちょっとばかし大きい。


 それこそ細やかな謎や多少の嘘。一握りの真実を覆い隠すほどの大きさがあった。


 だからぼくのポケットに入りっぱなしだったパンツを握り込み、隠し持つくらいは造作もない話だった。


 マジックの世界ではこの技術をパームと呼ぶらしいけど、パンツをパームした人はどれほどいるのだろう。ひょっとしたらぼくだけだったりして。


「おやおや。これはなんですか」


 と言いながら、手に忍ばせていたパンツをさも男のポケットから取り出すようにしてみせる。


 あれ不思議。何もないポケットから、隠したはずの盗難物が出てきちゃったよ。ぼくは驚いた風な顔をして、男にもよくわかるようにパンツを広げてみせた。


 男越しにあの子とまた目が合った。パンツを目にした彼女の瞳は、少しばかり揺れたように思えた。


 突然の出来事に動転した男は、まじまじとぼくとパンツを見つめていた。あわてた様子で、取り繕おうとしたのか虚勢を張る。


「あ? なんだお前、急に。なんだそんなパンツ。俺は知らねーよ」


 そうは言いつつも男には心当りがあったのだろう。首を捻り、視線をあらぬ方向へとすばやく走らせたあと、ようやくこちらへと返ってきた。


 少し落ち着いたのか。男は眉間にシワを寄せ、態勢を低く屈め少し下側から、いたいけであるぼくをぎろり睨めあげてくる。


 やだなあ、怖いなあもう。ただ落とし物を届けてあげただけだというのに、どうしてこんな目に合うのだろう。ちらりとあの子に目を配せた。


 別に助けを求めてのことではない。盗品を目にした彼女がここいらで、男に飛びかからないかなと予想しての行動だった。


 けどそうはならなかった。


 彼女は男と別方向にバッと駆けだした。向かった先は、男が視線を走らせていたあちらの方向。それは、彼女が男に飛びかかったらぼくが向かおうとしていた場所でもある。


 へえ、やっぱりねと感心する。


 ぼくの手に収まる程の、細やかな謎ではあるのだけど。彼女、あの一瞬でちゃんと推理をしているじゃないか。


 男は盗難物を手放していたから余裕を持ち、彼女と対峙していた。証拠がないから濡れ衣だと豪語するほどに。


 だから、近くにあると思っていた。


 せっかくの戦利品だ。野良犬やどこぞの馬の骨が拾うような場所には手放さない。しかも彼女に追われながらの話だったから。凝った場所に隠す時間が取れる筈もない。咄嗟で、近場に隠されている。


 それは目の届く範囲であり、男が一安心できる距離にあった。そしてそんな近くに隠した際、その盗難物を見せられたら。


 犯人ならどうするだろう。


 きっと動揺を見せる。隠していた筈だと瞬間、咄嗟に目で隠し場所を追ったのは本能に近しい反応だったと思う。


 たとえそれが、相手に隠し場所を教える行為になってしまったとしてもだ。


 やっぱり彼女はすばしっこい。


 ほんのちょっと目を離しただけなのに、脇にある茂みへとっくに辿り着いていた。ちょびっと逡巡し、茂みの中に手を入れてごそごそと探し始めた。


 ぼくの視線に勘づいたのか、男も後ろをふり返った。


 茂みを探る彼女に気付き、

「やべっ」

 と声を上げて飛び出したけれど、もう遅い。


 彼女は茂みから小型のカバンを取り出し、近付いてくる男から素早くパッと離れ、もう一度距離をとる。


 カバンの中は確認するまでもないだろう。さっきまでの余裕はどこへ行ったのやら、男の口からは笑みが消えていた。そして形勢不利とみるや否や、一目散に逃げ出した。


 足の痛みは和らいだのか。男は一心不乱にあたふたと駆けていく。逃げるその背を見送っていると、残る彼女と目があった。


 ぼくは最初から追いかける気がなかったけれど、彼女も男を追わずにいた。意外な反応でちょっぴりと驚く。


 ホッとしたのか。ずうっと険しかった表情にほんのり柔らかさが戻ったように見える。流石に笑顔とまではいかなかったけど、大きな瞳からは鋭さが抜けていた。


 ジロリとぼくを認め、何も言わずにやってくる。ちょっとばかしの気まずさ。払拭するべきかと思い、にへらと笑いかけてみる。


 去って行く男を指さし、

「追わないの?  逃げてるみたいだけど」

「うん。とりあえずはこれが戻ればいいの」

 大事そうにカバンを抱えこむ。


 ふぅん、冷静な判断をするものだった。


 あの男に逃げる意志がある内は追いかけても平気だろうけど、真に追いつめられた男が本気の暴力で訴えかけてきた時。


 大人の男と小柄な彼女がやりあったら、さすがに分が悪くなる。勝利をもぎとったとしても、きっと無傷ではいられなかっただろう。


 彼女に加勢でもあれば話は別だけど、あいにく近くに味方は居なかった。ぼくはそもそも手伝う気がなかったし。


 まあ、応援くらいならするけどさ。

 

 カバンを後ろ手に隠しながらツカツカと目の前までやってきた。思わず苦笑する。別に隠さなくたって大丈夫なんだけどな。ぼくに盗る気はないのだから。


 すると黙ったまま右手をスッと差し出してきた。はて、なんだろうねと差し出されたその手をじっと見返す。


 共闘から生まれた友情、友好の証かな? そうか、これは熱い展開なんだなと思い、ぼくも手を出そうとしたら怪訝な目つきで返された。


 おや?

 

「そうじゃなくて、返して」


 上目遣いで少し恥ずかしそうにしながらきろりと睨んでくる。いったい何の話だと首を傾げ、ああ、パンツの事かと思い出す。


 すっかりと忘れていた。逆の手に持っていたパンツを、はいどうぞと手渡しながら笑顔で問いかける。


「きみのLINEを教えてくれるかな」


 おや、今度はどうしたのだろう。口を真横へと引き結び、眉根にはシワを寄せ、とても不快そうな顔でなおさら睨んでくる。


 ふぅむ、なんでだろう。


 彼女は視線を外さないままじりっと一歩あとずさった。うん、それはあれだ。熊にあった時とかにする奴だった。何だか警戒されている。


 戦友に向ける物にしては随分とつれない態度だったと思う。後ろ手にしていたあのカバンも、気付けば胸で抱き抱えるように守っているし。


 訊き方を間違えたかいなと頬をかいた。思い込みも甚だしいものだ。彼女はきっとナンパされたとでも思っているのだろう。


 まったく、困ったものだね。


 こう見えてもぼくは、人畜無害な、ただの謎好きな黒幕だというのにさ。


 ナンパ男と一括りにされちゃ敵わない。


 ちっぽけな物ではあるけれど、ぼくは己の名誉を守らなければならなかった。落としそうになりながら慌ててスマホを取り出し、ある画像を開いた。


 そして彼女に向かって、さながら黄門様の印籠の様にして見せつける。ええい、控えおろう。この写真が目に入らぬか。控えい。とは心の中で思うだけにしておく。


「さっきの男の写真さ。必要なかったかな?」


 その写真はぼくが不審者になりつつも、こっそり街路樹から隠し撮りしたものだった。


 下着どろぼうの常習犯らしきあの男は、警察に記録があるだろう。被害者である彼女が写真を持ってかけ込めば、御用だ御用だとなると思う。


 揺すりのネタにでも使えないかなと考えて撮ったのはナイショだけども。


 大きな瞳をまるっとさせ、彼女は写真をまじまじと見つめ、

「あ、そういうこと」

 優しげな目つきになった。


 ハハー、とひれ伏さないのがテレビとは違うけど、どうやら誤解は解けたらしい。名誉は無事に守ることができた。


「じゃあ、──パンツ隠してたのはこれで許してあげる」


 いたずらに笑った。


 うっ……。


 ベランダから飛び降りてきた時の話だろう。ポケットに隠す所をちゃっかりと見られていたのか。それとも男の逃げた方を示した時、指し手を変えたのを見逃さなかったか。


 どちらにせよ、なかなかに目ざとい。


 ひれ伏すべきはぼくの方だった。御用だ御用だと名誉は本当に危うかったらしい。


 なにはともあれ、彼女に画像を送った。はて、このアドレスはどうしたものかなと削除するかを悩み、まあ、一応は残しておくことにする。


 そういえば、まだ名前を知らなかった。


「なんて名前なんだい。 嫌なら訊かないけど」


 その場合、ぼくの中のきみはパンツの君になる訳だけど、それは致し方ないことだった。


 手を組んでもじもじとしながら、

「みほ」

 とつぶやいた。


 しばし待てども、続きはなかった。


「あの、名字は?」


「……あんまり好きじゃないの」


 ふぅん、そっかそっかと頷く。


 あんまり好きじゃないのみほさんという名前だったのか。あらまあ、変わった名字もあったものだ。


 さて、帰ろうかなと思ったら、

「訊かないの?」

 と訊いて欲しそうにしてきた。


 くすりとする。


「良かったら、名字も教えてもらえるかな」


「きりゅう。……鬼に柳」


 鬼、か。


 あの男を追う時の、鬼気迫る表情を思い出した。うん、ピッタリだ。何も名に恥じる所はなかった。


「何よ」

 と、睨まれる。


 にやりと緩む口元を見られていたのか。鬼が漏れ出し、彼女は語気を少し強めた。


「ううん、なんでも。鬼柳さんね」


「だから、名字は嫌いなんだってば」


「そうは言われてもさ」


 初対面の女子を名前呼びする気はないのだ。なんだかちょっぴり気恥ずかしいから。


「じゃあ。鬼柳ちゃんだね」


 変わらず不服そうだけど、ぼくも簡単に主義を曲げる気はなかった。落とし所としては妥当な所じゃないかと思う。しばらく睨み合っていると、はあ、と彼女から折れてくれた。


 こちらも名乗るのがフェアかと思ったら、

「強情なんだね、守屋くんは」

 ため息まじりで名を呼ばれた。


 おや、どこかで名乗ったろうか。


「どうして名前を知っているの?」


「え、だって」


 訊いてみると同級生だったとわかる。なんと同い年だったのか。彼女、鬼柳ちゃんは全クラス、全生徒の名前を覚えているのだと言う。実際、たいした記憶力だった。


 探偵の素質を感じる。


 もう用が済んだのだろうか。鬼柳ちゃんはくるりと方向転換して歩きはじめた。


「お姉ちゃんの下着だからね」

 と言い残して。


「それってさ。小さなリボンの付いている、可愛らしい水色パンツの事かい」


 首を傾げ、背に声を投げたら声が届いたのだろうか。


 わざわざ引き返してきて、

「このっ」

 とぼくの足を蹴飛ばしていく。


 あっ、痛っ。野蛮だなあ。お姉ちゃんの物ならそこまで怒らなくてもいいだろうに。


「でも、ありがとうね」


 と不意に無邪気な笑顔を向けられてちょっとドキリとしてしまった。何だい、ちゃんと可愛らしい一面もあるじゃないか。


 去り行く小さな背に期待を重ねて眺めた。あの時、あの一瞬。確かに推理をしていた。彼女ならば、つまらない探偵役だとしてもこなしてくれるだろうか。


 待ちつづけるのはもう飽きた。


 謎なき探偵に意味などなし。


 いいよ、謎なら。ぼくが用意するから。この守屋もりやすすむがね。どうか頼むから、お願いだから、ぼくを失望させないでおくれよ。解けるものなら解いてみろ。


 探偵なんてくだらない。

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