降って湧いた探偵
第2話 物語の始め方
その日は朝から爽やかに晴れ渡っていた。窓から差し込む日差しはぽかぽかと暖かく、家に篭っていることを何となく勿体なく思ってしまうほど晴れていた。
どこかに出かけてみようかなと思い、靴をはく。何かあてがあったわけじゃない。行き先は別にどこでもよかったんだ。
探偵はぼくの前に姿を現さず、摩訶不思議な謎だって生まれてきやしない。そんな日々にやきもきし、只々、それを持てあましていたのだから。
退屈という名の猛毒を。
外に出て直に日差しを浴びる。思った通りのいい天気だった。おまけに気持ちのいい風まで吹いてきてるじゃないか。うん、今日はいい洗濯日和になるだろう。
ぼくのこの暗くどんよりした気持ちも、一緒に洗ってもらえないかなと考えてみる。思い切って綺麗サッパリと洗い流してみれば、案外楽しくなるのかもしれなかった。
洗濯機でくるくる回される姿を想像し、思わず苦笑いした。おや、何だか目が回りそうに思える。だったらやっぱり、やめておくとしよう。
春の陽気に誘われるまま進み、そのままぶらぶらと歩いていく。うららかな春の香りを、青々しい生命の息吹を、全身でゆったりと感じながら次第に穏やかな気持ちへとなっていった。
「平和だね」
と声に出し、
『ああ、じつに退屈だよ』
心の中で答える。
ジキルとハイドごっこもそこそこに散歩を続けた。しばらく歩いて疲れてきた頃、何となしに、ふと、空を見上げてみた。
何かあると思ったわけじゃなかった。でも、そうだ。怪盗の一人や二人、飛びまわっていたらいいのになとは思っていた。
それならぼく好みの世界になる。でも現実はきびしいようで、いたいけな淡い期待は無惨に打ち砕かれる。
怪盗の代わりに飛びまわっていたのは、小鳥くらいなものだった。人の気も知らず。ピチチチと呑気にさえずってはマンションのベランダまで行き、ピーチクパーチクと鼻歌を歌っている。
ほほ笑ましいような、コケにされているような。力なく向ける視線に気付いたか。それともぼくの思考を読み取って、小鳥なりに気を利かせてくれたのか。
さながら怪盗の如く姿を消す。どろん。なんてね。洗濯物の影に隠れ、ここから見えなくなっただけなんだけれど。
キョロキョロと辺りを見回してみる。
見失った小鳥を探していた訳じゃない。見失ったのは、他ならぬぼく自身だった。
「はて、ここはいったいどこだろう」
見覚えのない場所にいた。歩き続けている内に、あまり知らない住宅街まで来てしまったらしい。
中二で迷子は笑えない。いや、大人になっても迷子になり、自分探しの旅にでる人もいると聞く。それならまだぼくは可愛い方じゃないか。どこかで聞きかじった話で自らを慰める。
まあ、どう慰めた所で迷子である事実は変わらないのだけど。
でもなあと嘆息をついた。
迷子になるほど歩き回ろうと、謎の一つにも出くわせないのだ。やっぱり探偵向きじゃないんだなと、つくづく思う。
それもまた良いのかと思い直した。ぼくは謎を作る側というだけの話。そうなってしまっても仕方がなかった。
だって謎や事件が起こらない限り、物語は始まらないのだから。何も起こらないままじゃ、何も面白くなりはしないのだから。
でもだからこそ言いたかった。声を大にして言ってやりたくなる。
退屈な猛毒に侵されながら、ああ、じつにつまらないなってね。
誰かに言えるはずもない、黒幕の主張。秘めたる胸の内でひっそりとこっそりと。まるでモグラみたいだ。内にモグラを宿すぼくは、うららかな春の日差しにげっそりだった。
本当にきょうは天気がいい。こんな晴れた日には、女の子でも降ってくればいいのになとつまらない妄想をしてみる。
そんな事が起きれば少しはドラマチックになるというものだった。猛毒である退屈も、ほんのりと和らいでくれる気がする。
落ちてきた女の子は、生きていても死んでいても構わなかった。そこにこだわる気はない。どちらでもぼくは楽しめる。
舞い降りた女の子が生きていたら、とある映画になるだろうし。
舞い降りた女の子が死んでいたら、ニ時間ドラマになるだろう。
もしも怪異憑きだったりしたら、三十分アニメになるかもしれないのだ。
なんて、ちょっぴりと物騒な考えをしていたかもしれない。そんな事を思うほどに退屈はぼくを手放そうとはせず、頭の先からつま先まで、もうどっぷりと浸っているような感覚だった。
だから、視界が急に暗くなった時は心底おどろいた反面。少し楽しみに思ったりもした。これから何が起こるのか。今、何が始まろうとしているのかと。
柔らかく、ふんわりとした物が頭に被さってくれば、誰だってビックリするものだと思う。驚きつつも、きゃあと声を上げなかった自分を褒めてあげたい。
視界を遮る柔らかい物を手に取って、まじまじと観察してみる。
これはパンツ? それともショーツ? いや、パンティと呼んだ方がいいのかもしれない。
呼び方はこの際何でもよかったと思うけれど、それを考える程にぼくも取り乱していた。だって、いきなり女性物のパンツが降ってくるとは思わないもの。
女の子が降ってくればいいと考えたけど。これは何だかちょっぴりと違うじゃないか。
まったく、困ったものだね。
これじゃどう転ぼうと、コメディになる未来しかみえないじゃないか。深くため息をついて考える。はてさて、このパンツはいったいどこからやって来たものぞと。
洗濯物が風に飛ばされてきたのかしらと、ふいっとマンションを見上げてみる。
ギョッとした。
ぼくでなきゃ、見逃しちゃったと思う。だってそれは、見なきゃよかったなとぼくも思ったほどだったから。
視線の先にはひとりの男。
ベランダのフェンスにしがみつく、如何にもあやし気な男がいた。そのままの状態でフェンスから手を伸ばし、下着を取ってはカバンの中へと詰めこんでいく。
おやまあ、これは間違いない。彼は下着どろぼうなのだろう。
「なるほどね」
とひとり納得する。
どこから来たのかと思っていたけれど、パンツは彼の落とし物だった。もっとも、文字どおりに彼が落としただけで、これが彼の物かどうかはまだ議論の余地が残る所だけれど。
じろり、と下着どろぼうの姿を眺める。下から眺めるぼくには気付いていないようで、彼の手は忙しなく動いていた。
でも、ぼくの興味はそこまでだった。これ以上はさしたる謎も起こりそうにない。
犯罪はいけない事だと思うけど、生憎ぼくは犯罪者と対峙して退治してやろうと思う程の、熱く燃える正義の心を持ち合わせてはいなかったのだ。このご時世、逆恨みも恐ろしく思う。
もうすっかりと興味は失せてしまった。立ち去ろうかなと考えだした頃、下着どろぼうはあわてた様子でベランダから飛び降りてきた。
おや、どうしたのだろう。
焦ったせいだろう。下着どろぼうは着地に失敗したらしく、転倒してゴロゴロと転がっている。むくりと起きあがり、何度か後ろをふり返りながらノロノロと逃走し始めた。
片足を引きずるようにしている。恐らく、転んだ拍子に足でもぶつけたのだと思う。それとも捻ったのだろうか。
逃げる男を、そのまま見送った。
そりゃそうだ。追いかける気がぼくにはなかった。ただまあ、せめてもの情けか。通報くらいはしておいてあげると思い、ポケットを叩いてスマホを探していた。
すると──。タンタンッ、カンッ。
おや、何の音だい。と思うのも束の間。ぼくの目の前にひとりの女の子がふわりと舞い降りてきた。
最初は白いシーツでも降ってきたのかと思った。なにせこの街は、パンツが降ってくる街なのだから。シーツが降ってこようとも不思議な話ではない。
でも、そうじゃなかった。
ひらひらなびいて見えた純白のそれは、女の子が身に纏うワンピースだったようだ。
さっきの男と違い、女の子は華麗な着地を決めた。白いワンピースの彼女は自分がスカート姿である事をきっと忘れていた。
ふわり、とまくれ上がったスカートにはまるで目もくれず、小柄であるその体には似つかわしくない程の大きな瞳できろりと眼前を見据えていた。
はて、いくつくらいの子だろうか。
とても小柄だった。顔が小さければ手も小さい。肩までは届かないふんわりとしたショートボブ。丸みを帯びているせいか、余計に幼くみせている。
そんな全てが小さく纏まる彼女の中でただ一つの例外、瞳だけは大きくみえた。じっと前を見据えた瞳がきょろりと動き、どうやらぼくの姿を捉えた。
小動物みたいにビクリと身を震わせ固くしている。少なからず驚きの色を覗かせた。既に大きいと思っていたその瞳はさらに大きくなっていく。
「やあ、ぼくは
と、友好的に手でも挙げてみようかな。
案外機嫌よく、ハイタッチで返してくれるかもしれない。それかもう片方の手も挙げて、自らホールドアップとするべきか。
ううむ、ここは悩み所だった。
考えている間に彼女は地面に片手をつき、前傾姿勢になっている。鬼気迫る表情で前を見据え、今にも飛びかかってきそうな姿は野生の猫を思わせた。
まったく誰だっけ、女の子が降ってきたらドラマになるだなんて無責任な事を言ったのは。
始まろうとしているのはドラマみたく、感動して涙する物じゃなさそうだった。痛みに涙する、バチバチと激しいアクション映画になろうとしている。どうか、ホラーやサスペンスになりませんようにと祈る他にない。
参ったねこりゃ。……やられ役はひょっとしてぼくなのかな?
ポケットの中で右手をぎゅうっと握って確かめる。うん、夢じゃない。夢であって欲しい所だけど、柔らかな感触がそこにはあった。
彼女が降ってきた瞬間、とっさにしまい込んだこのパンツは。はて、あの大きな瞳に映っていたのだろうか。
パンツ片手に、
「ぼくはパンツなんて見た事も聞いた事もないよ」
と言い訳するか、ポケットに隠すかの二択だったわけだけれど。
はてさて、どっちが正解だったろう。
下手に動かない方がいいと考えた。いや、動くわけにはいかなかった。だってぼくは足も遅ければケンカも弱いのだから。
と言うよりも。殴り合いのケンカなんて、生まれてこの方した覚えがなかったのだ。口喧嘩なら腕に覚えもあるけれど、長らくはそれすらご無沙汰している身だった。
争う前に煙に巻く。いつからかそれがぼくのやり方だった。
さて、どう煙に巻いてやろうかなと窺っていると、女の子はいつの間にか閉じていた瞳をゆっくりと開け、小さな口をそっと開いた。
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