第十二話 夜空の月は消え――、優しき悪神はその牙を剥く

 闇夜に一つの明かりもなく、その土地を悠々と命のない戦闘機械が歩いてゆく。それを影で見つめながらその馬鹿仙人はその手に持った薬包をそばに隠れている老人たちに手渡した。


「これを持ってゆけ……、樹木が多くある場所で、それに火を付けて煙を広げれば、ある程度は欺瞞できる」

「……あ、あんた――」

「村に迷惑をかけた、その罪滅ぼしさ……」


 そんな彼を老人たちは心配そうに見つめる。


「気にするなって……、罪を軽くしたいがための愚かな行為よ――。他にもいくつか用意したから、もっていって誰かに渡せ」

「……わ、わかった」


 そのまま姿を消す老人たちを見送って。そして、表通りを睨みつける。


「は――、新霊丹を配るために、村人の情報を集めておったのが、こうも役に立つとは……。わからんもんだな」


 ――と、不意に表通りに見知った顔が現れる。その頬に殴られた跡があるのは、当然――。


「……ふざけんなよ兄師よ。師匠の行いに口を出した挙げ句に――、次は弟弟子の邪魔かよ。やっぱりお前は糞でしかないな?」

「……ち」

「なあ、出てこいよ――。出てこないとこの力士傀儡共に、無差別破壊を命じるぞ!」


 その言葉に苦渋に満ちた顔をした馬鹿仙人は、決意の籠もった瞳で表へと出てゆく。その姿を捉えて――、弟弟子であった悪魔は嘲笑を浮かべた。


「ははは……、本当に出てきたぜ。本当の馬鹿だな……」

「言ってろ……」


 自分が持っているもの、それは霊丹のみであり――、それこそが自分にとって最強の力。

 だからこそ、彼は考える――、小玉玄女の姉さんが事態を改善するまで、ここをなんとか留めねばならぬ、と。



◆◇◆



「貴様――」


 村を望む高台において、足元に少女を守る小玉玄女は、かの悪鬼と対峙していた。


「……久しぶり、というほどでもないか? 小玉玄女殿……」

「――まさか、どうやって仙境本部の牢獄を出てきた?」

「……ふふふ、それは秘密だな。それと――、あの語尾は言わんでいいのか?」

「……」


 小玉玄女の刺し殺すかのような視線を、楽しそうに受け流す紅月子。その周囲には六つの【円月刃】が旋回し、主からの命令を待っている。

 その身には、かの知臣道人が纏っていた【被甲紫衣】身につけて、さらには足を起点に風迅が渦巻いていた。

 ――むろん、彼は各種防御宝貝も所持しているだろう、これはまさしく。


「ゴリ押しもここに極まれリだな貴様……」

「ははは、言ったであろう? これが我の研究成果だと」


 小玉玄女は紅月子を睨み、怯えた様子の少女は小玉玄女にすがりついた。

 その姿に、紅月子は深い嘲笑を向ける。


「……いいタイミングだったな? いくら剣神といえど、そのような足手まといを持ちながら、全力では戦えまい?」

「……く」


 その苦い顔を見て、足元の少女は涙目で言った。


「小玉玄女様……、私」

「大丈夫……、奈美なみはウチが守る」


 そのいじらしい様子に――、紅月子は笑いで答える。


「くくくく……、なんとも美しい愛ではないか。失われてしまうのが惜しいくらいだな?」


 そう言って周囲に旋回する【円月刃】に指示を出す。その六つの光線は一気に加速して小玉玄女たちを襲った。


「――くお!!」


 奈美なみが居る故に、小玉玄女は全力回避は行わない。わずかの動きのみで、襲い来る光線郡を回避してゆく。


 ザク! ザク! ザク!


「小玉玄女様!!」


 少女の悲鳴とともに小玉玄女の身体から血しぶきが飛んだ。


「おお!! さすがは剣神――、娘を庇いながら、そこまで動くか――」

「褒めても何も出んぞ? 最早、貴様を生かして返すこともしない」


 その小玉玄女の答えに、紅月子は一瞬ほおけた顔をして、そして嘲笑を浮かべた。


「ははははは!! 我をここで仕留めると? どうやって? まさか……、その娘を見捨てて? そうだな……、この場はその娘を見捨てれば、我をなんとかも出来よう」

「……」

「……ほら、どうした? 見捨てろ。命はすぐ死ぬ、弱っちい。お前も、そう言っておったろうが?」


 その紅月子の言葉に、小玉玄女は怒りの籠もった目を向ける。それを軽く受け流して紅月子は言葉を返した。


「……ははは、村にも当然わが友軍が居る。村人も見捨てれば――、それらも全滅に追い込めよう」


 その言葉を聞いて小玉玄女は目を細めて考える。


(やはり、この場を退けても――、後が続かないと不味い。あの宝貝【玄大玉】は……、一回使用すれば後が続かない)


 苦渋の色で顔を染める小玉玄女に、紅月子は深い嘲笑を向ける。


「……いやあ、小玉玄女殿はお優しい仙人様ですな? 口では、すぐ死ぬ、弱っちい、と言っておきながら、その程度のガキを救うために命をかけるとは……」


 紅月子は再び【円月刃】に指示を送る。

 ――そして、悪鬼は笑い。小玉玄女の長い長い、痛みの連続は始まった。



◆◇◆



「く……は」


 あれから暫く後、小玉玄女は血まみれで立ち尽くす。その足元に涙を流す娘を守りながら。


(……いかん、このままでは救うものも救えぬ――。ウチが死んだら、この村も終わる――、だからウチはここで死ぬわけにはいかん)


 ならば――、足元の少女を見捨てるか?

 それは出来ない――、彼女にはどうしても出来ない。彼女が仙人になった理由こそが、そこに在るからである。

 守るべきものを見捨てないと、他を救うことも叶わない、――なんという理不尽。


 そのなんとも哀れな姿に、紅月子は笑いながら言う。


「はあ……、本当に愚か者であったか。そこの娘を見捨てれば、なんとかなる可能性もあったであろうに」

「……そうだな。ウチは本当に愚か者だ――」


 血を軽く吐き、小玉玄女は紅月子に問う。


「お前は、このような理不尽が楽しいのか? なぜ命をそこまで軽く見るのだ?」

「……前にも言ったであろう? 命などすぐ死ぬ。弱い命などにいちいち構っておられん。……そして――」


 その紅月子の答えは、ある意味小玉玄女が初めからそう答えると分かっていた答えであった。


「……小虫が理不尽に死ぬさまは楽しいとも」


 ――この男は初めからこうだったのだろうか?

 どこかで何かを間違えたのであろうか?

 そう思いながら――、小玉玄女は、足元の少女の頭を撫でた。


 ――ふと、遠くから誰かが近づく足音が聞こえてくる。小玉玄女はそれを振り返って見た。


「あ、ねさん……。だい、じょうぶだ――。村のみん、なの――、避難は、く……」


 そこに自分と同じく血にまみれた馬鹿仙人がいた。


(……ああ、馬鹿だな――。本当にウチもお前も――)


 その姿を見て笑った小玉玄女は、頷いて懐から漆黒の宝玉を取り出す。――それは宝貝【玄大玉】。


奈美なみ――、そして、そこの馬鹿も……、これからとても怖い思いをするが――、安心しろ」

「小玉玄女様?」

「ウチの玄い毛に隠れておれば、すべての【理不尽】は終わる――」


 ――だから、これから起こる有り様を、目を瞑って決して見るでないぞ?


 その瞬間――、その村一帯に玄い闇が広がった。



◆◇◆



 生命あふれる森に、土地の獣達の命の残滓として【精霊獣】が産声を上げた。

 名もなき玄毛獣であった彼女は、のちにそこに開拓村が生まれても、そこの人々を森の仲間と受け入れて、見守りそして小さな交流を得ていた。

 とても平和な日々、子どもたちと共に遊び、そして大人たちから餌をえて、無論、乱暴者に追われることもあったが、とても楽しく平和な日々だった。

 しかし、その土地を望むものは他にもおり、そしてある日開拓村を制圧せんと武士団が進行してくる。かくして、二者の諍いが戦に発展し、戦力的に小さかった開拓村はほぼ虐殺に近い目に合う。無論、開拓村の人々に情を得ていた玄毛獣は彼らを守ろうとするが、その当時は弱く救うことが出来ず、戦の穢を受け続けた事と、大切だったある子の死を目にして精神が狂い始める。そうして彼女は【玄毛亡獣】という、荒ぶる玄毛の獣神に変化して、その土地の生命を根絶やしにしてしまったのである。

 やっと意識を取り戻したときには生者はなく、絶望の中で嘆き自らの滅びを望んだ。しかし、あまりに強くなりすぎた生命力では死を選ぶことすら出来なかった。かくして、その滅びた土地は禁足地となり、ある日そばに神社が置かれた。玄毛亡獣はもう無闇に殺したくなくて神社を建てて自分を奉ろうとする神主とその家族を受け入れた。

 そうして、彼女は【禍津日まがつひ】と呼ばれる土地の神となった。

 しかし、戦とその虐殺による理不尽によって生まれ変わった彼女は、その周辺で戦が起こるたびにその力を増していった。理不尽な死が起これば彼女の生者への憎悪は果てなく増加して、それこそが自らの神性であることを理解したときには遅かった。そうして、彼女の霊威はその土地では収まらぬようになってしまった。

 もはや最悪を理解した【禍津日】は、最後の最後の意識で当時の神主である娘に願いを託す。


「ウチを滅ぼせるものを探してくれ」


 神主である娘は交流を得て彼女のことを滅ぼしたくはなかったが、その意志を汲んでそして旅の【鵬雲道人】に言葉を託す。

 しかし、その力はあまりに強い、そして彼の扱える秘術の多くが彼女には効かなかった。彼女は戦の穢によって生まれたものであったが、そもそもが殺戮の喜びで成立した存在ではなく、理不尽に死ぬ人々の嘆きを受けて成立した神獣、であったのだ。

 【鵬雲道人】の秘術の多くは【殺戮を喜ぶ悪】を滅ぼすものであり、それゆえに追い詰められ、そしてののちなんとかそれを止めることはかなった。

 大事な娘を自ら殺し、それゆえに滅びを望む【禍津日】に、【鵬雲道人】は生きることを示した。なにより、犠牲になった娘が彼女を生きて救いたいと願っていたのだ。ゆえに【鵬雲道人】は【禍津日】のその神性を【玄大玉】へと組み替えて宝貝と成した。そして、それは仙人としての修行を受ければ正しく使いこなせると言った。

 そして、その力こそ後に理不尽で死ぬ者たちを、守りたいものを救う力になる、と。


 こうして、【禍津日】は【小玉玄女】と名を変えた。彼女は変化した性質から武士としての才能に得化しており、結局多くの道術を会得することは叶わず、少しでも理不尽に立ち向かえるように剣の道を極めた。



◆◇◆



「があああああああああああああああ!!」


 その瞬間、小玉玄女の形相が大きく変化する。黒い髪が長く伸び初めて、その爪が大きく長くなった。

 その目はまさに全てを喰らう悪獣そのものであり、少女と馬鹿仙人はそれを見て恐怖の悲鳴を上げた。


(ウチの玄い毛に隠れておれば、すべての【理不尽】は終わる――)


 でも、少女は小玉玄女のその最後の言葉を思い出す。長く伸びた玄毛にその小さな手を伸ばしてしっかりと掴んだ。それを見て馬鹿仙人も決意の表情でそれにならった。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「な? なんだ? 何がおこって?!」


 紅月子はただ恐れ慄いて後退りする。その視線の先に――、それは見えた。


「月食?!」



◆◇◆



「ぬ? どうも事が起こってしまっておるのか?!」


 その時、村へと急ぐ二人の影があった。それは当然、泠煌と雷太である。

 二人は目前に見える村が闇に包まれ――、空の月が闇に消える様を見た。


「小玉玄女が【玄大玉】を使ったか……」

「それって……」

「【玄大玉】は……、小玉玄女の源身とその神性を封じたものであり、それを核として機能する小玉玄女の切り札じゃよ。それを起動すると、彼女を中心とした数十㎞範囲内に【玄毛亡獣の狩猟場】を特殊結界として展開するのじゃ。それに囚われたものは理不尽な死に見舞われて、その絶滅をもって特殊結界は開放される」


 その言葉に、雷太は顔を青くして叫ぶ。


「そんな!! それじゃあ村の人達は?!」

「……ただし、は命を救われる――」


 その師匠の言葉に雷太は静かに、村を包む闇を見つめたのである。



◆◇◆



「え?」


 村の各所で隠れていた者たちのその側に、空間を裂いて玄い毛が現れる。それは温かな力を感じるものであり、誰もがそれを手にして救いを願った。


「何だこれは?」


 逃走した兄師を追っていたその悪魔は天を見つめる。そこに月はなく周囲も闇に囲まれている。

 そして――、


 ぐしゃ!


 不意に何かが潰れる音が響く。傍にあった力士傀儡が潰れていた。


「え?」


 いきなりの事態に状況が飲み込めない。だが――、


 ぐしゃ、ガス、ドン、くしゃ、ガン!


 周囲に破砕音が満ちてゆく。周囲に展開していた力士傀儡も、そして共に狩りを楽しもうとやってきた兄弟弟子達も――、次々に潰れていった。


「ええええええええ?! あああああああああああ!!」


 その悪魔は恐怖のあまりに絶叫した、そしてその狩り場の中を逃げ惑った。



◆◇◆



「な……」


 紅月子は絶句する。村に展開していた友軍が消えてゆく。

 その時になって小玉玄女を探すが、闇しか見えずただ恐怖が募るばかり。


「糞……、何がおこって――」


 周囲を見回してから彼は天を見る。


 ――そこに、天空を覆うほどもある、二つの獣の目があった。


「え?」


 ――紅月子は思考が停止した。



◆◇◆



 その弟弟子は嘆きながら逃げ惑う。


「何が、狩りが楽しめるだ!! 何が人を殺せるだ!! これではまるでこちらが――」


 ぐしゃ……。


 すべてを言葉にすることなく彼は潰れた。



◆◇◆



「なあ、貴様――」

「え?」


 不意に天空の目から声が聞こえてくる。


「本当に理不尽な死は楽しいか? ――これでも楽しいか?」

「え? あ?」


 天空の目の下にあまりに巨大な大口が開く。


「……こんな苦しいことが。こんな悲しいことが。こんな恐ろしいことが。――本当に楽しいのか? 本当に――、楽しいのかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「へああああああああ!!」


 ぐしゃ――。


 その身の宝貝は彼を守れず――、そのまま彼は潰れた。



◆◇◆



 ――夜が明け始め。村を望む高台に幼子の泣き声が響く。


「小玉玄女様!! 目を開けて!! 小玉玄女様!!」


 すがりつく少女の側には、傷をそのままにただ爪で土を掻く男もいる。


「……姉さん。ちくしょう……」

「小玉玄女様ぁ!!」


 その二人のそばには、小玉玄女がピクリとも動かずに倒れている。

 そこに泠煌と雷太は現れた。


「……」


 泠煌は黙って、倒れ伏す小玉玄女を見つめる。雷太は眉を歪めて、そして涙を拭った。


「うわああああああん!! 小玉玄女様ぁ!!」


 少女の鳴き声が響き。それを見つめていた泠煌は、小玉玄女に近づいて――。


 バシ!


 その手の金扇で小玉玄女のド頭を叩いた。


「小玉玄女様?!」


 いきなりのことに少女は困惑気味にそう叫び、馬鹿仙人は呆然とする。雷太は首を傾げて――、泠煌は大きく叫んだ。


「馬鹿者!! 心配して泣いておる者たちを、安心させてやらんか!!」

「……う、ぬ、り、ん――。ほ、ぼ、うご、けぬ、ウチに――、ひ、どい――。にゃ」

「その語尾を使えるならば、まだ元気じゃろうが!」


 弱々しく目を開ける小玉玄女を見て、少女と馬鹿仙人は喜びの声を上げた。


「……ご、めん、ふ、たり、とも……、こわ、い思い、させた――。にゃ」

「ううん……、小玉玄女様の玄い毛は、とっても温かかったよ」

「う、ぬ」


 そう答える少女を見て。小玉玄女は弱々しくも笑顔を向ける。


「あ、あ……、ウチ、み、んな――。まも、れ、た――。にゃ」


 そう言って小玉玄女は一筋の涙を流す。

 その姿を少女たちは優しく、そして暖かく見つめていた。



◆◇◆



 まさしくどうでもいい余談ではあるが――、こうして助かった馬鹿仙人は、今回の事件において重要な役割を行ったとして、その罪が大きく免罪された。

 その後、彼は新しい正しい師匠について、そして、その錬丹術を極めたという。そして、それ以降、一度も罪を犯すことなく人々を助けている――、ということである。

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