第十話 祝詞は天空に響き――、禍津は去りてハレきたる

 その時、小玉玄女は泠煌たちの側に座り込んで呆然としていた。


「――あああ、びっくりしたにゃ。本気で死ぬかと思ったにゃ」

「死んでおらぬではないか?」


 泠煌のその言葉に眉を怒らせて抗議の声を上げる。


「こうなるって、最初から言っておいてほしかったにゃ!!」

「ははは……、すまんすまん。あの時点では、こうもあっさり正体を明かすとは、思っておらなんだからな」


 口をとがらせて抗議する小玉玄女を見つめながら雷太は言う。


「とりあえず転送宝貝で場所を変えたはいいんですが――。これからどうしましょう?」

「うむ……、今さっき紅月子は仙境本部へ送ったゆえに、あの菩典老がこれ以上力を増すことはなくなった。ゆえに――、後の始末をつけるのじゃ」


 その泠煌の言葉に、雷太は首を傾げて問う。


「アレを……、どうにか出来るんですか? アレは最早大災害に匹敵する存在で――」

「……ふふふ、そうじゃな。お前はあのクラスの存在を、相手にした記憶はないのじゃな?」

「……む」


 困惑の顔を向ける雷太に、泠煌は笑顔で答えた。


「まあ……、全てはわしに任せるが良い」


 ――と、不意にどこからか、彼らに向けて声がかけられる。


「……カカカ! 何をどうするというのだ? 愚かな小娘ごときが――」

「ふん……、盗み聞きとは、まさしく変態ジジイじゃな」


 そう言って不敵に笑う泠煌。その目前に巨大な風が渦巻いて、その中心に嘲笑を浮かべた老人――、菩典老が現れた。

 当然のように、その隣には巨大な黒剣が浮かんでいる。


 その神気を感じ取って、小玉玄女は唖然とした様子で言葉を放つ。


「なんじゃありゃ……、馬鹿強力そうな宝貝にゃ?」

「……ふん、単に前方へ向けて大断絶を放つだけの、攻撃力一辺倒の馬鹿宝貝じゃ」

「いや……、それであの谷を生み出したんだにゃ?! 十分、十分……にゃ!!」


 泠煌のその言葉に、小玉玄女は冷や汗をかきながら答える。その様子に菩典老は笑いながら言う。


「カカカ……、面白い芸人共じゃ――。楽しませてくれた礼に――、


 黒剣から神気が吹き上がる。――菩典老は言葉を紡いだ。


「天地を裂き――、疾走れ――。龍断閃りゅうだんせん――」


 ズドン!!


 再び大地を神気が疾走る。それは谷を生み出し――。


「……逃げていいかにゃ?」


 遥か上空でその光景を眺める泠煌――、そしてそれに縋り付いている雷太と小玉玄女。


「ほおっておけると思うか?」

「……無論冗談だにゃ――。で? どうする?」


 そういう彼らの側に、再び暴風が生まれる。その中に菩典老が立っている。


「カカカ……、そう逃げるでない。これまでの黒剣こっけん行使で、今まで集めた100人ほどの、人間の命を使ってしまったではないか?」

「ふん……、それはご苦労さまじゃな」

「……その手に持っておる銅鏡型宝貝は――、人員転送用の宝貝じゃな?」


 そう言う菩典老に、泠煌は笑顔を消して言う。


「まあな……」

「カカカ……、当然、天命数に限界がある小娘では、そう沢山は扱えまい? もうそろそろ打ち止めじゃろう?」

「まあ、そうじゃな――」


 菩典老は素直に答える泠煌に、一瞬驚いた目を向けてから、朗らかに笑っていった。


「ならば――、次あたりで死ぬか?」

「さあ――、どうじゃろうな!!」


 そう叫んだ瞬間、泠煌は小玉玄女の手を取って、菩典老へ向けて投げた。小玉玄女は不敵に笑ってその手の【猫爪】を起動して、まさしく縦横無尽に菩典老を切り裂いたのである。


「にゃ?!」


 しかし、菩典老は笑顔を貼り付けたまま動かなかった。――全く傷一つ付くことはなかった。

 小玉玄女は足場を失ってそのまま落下する。


「のおおおおおおおお!! にゃああああああ!!」

「あ、落ちた……」


 谷底へ真っ逆さまに落ちていく小玉玄女を見つめながら雷太は苦笑いする。


「まあ……、あやつなら死ぬことはあるまい」

「いいんですかそれで?!」


 非情な言葉を告げる師匠に、雷太はツッコミを入れた。

 泠煌は菩典老を睨んだまま動かない。そんな様子に菩典老は嘲笑を向けた。


「これでわかったであろう? 我が身にまとうは――【絶甲天衣】。弟子であった知臣あきおみが纏っておった【被甲紫衣】の完全上位互換。あらゆる害を無効にする服型防御宝貝。その防御効果は我が天命数によって増えており――」

「……今の貴様にとっては、絶対防御に等しい――と?」


 泠煌の言葉に菩典老は満足そうに頷いた。


「……おいおい、それって拘束とか、無力化みたいのも効かないって言うのか?」

「……ああ、そう言っておるじゃろう?」

「出鱈目じゃねえか……」


 さすがの雷太も苦い顔で菩典老を見つめる。

 ――まさしく、相手の攻撃力は果てしなく――、

 相手の防御力も果てしない――。


 それはまさしく最強でしかなく――。


「……ククク。我が軍門に下って、儂の【燃料タンク】になるのであれば、生かしてやるぞ?」

「は、……ははははは」


 その言葉に泠煌は朗らかに笑う。


「馬鹿を言うでないわ変態ジジイめが……」

「……」


 泠煌は再び金の扇を手にしてそれを起動する。再び雷力が扇に収束してゆく。


「無駄だと言っておろう? いくら貴様の雷が神に迫ろうとも――、現在の儂の【絶甲天衣】には意味はない」

「ふふふ……、ははははははは――」

「狂ったか小娘?」


 少し困惑する菩典老に、泠煌は不敵に笑う。そして、手にした銅鏡を懐にしまって、その代わりに小さな宝玉を取り出した。


「なんだ? その宝貝は――」

「【偽龍玉】――」


 そう言って笑う泠煌。


「ああ――、わしは半龍でな? 生まれたときから龍神が持つべき龍玉を持たずに生まれてきた――。龍神が持つ龍玉――要するに【如意宝珠】」

「は――、まさかそれで奇跡でも起こすと?」

「――いやいや、これは所詮【偽龍玉】――、そしてわしも所詮【半龍】じゃ――。こうして翼なく空を飛ぶことは出来ても、龍神としての多くの権能を持たぬ」


 その言葉に、さらに困惑の色を深める菩典老に、泠煌は笑って言った。


「――【偽龍玉】は、わしの師匠がわしの龍神権能の獲得のために、特別に誂えた宝貝であり――、その中にはわしの過去に獲得した多くの秘術を行使する為の、触媒としての力が蓄えられておるのじゃ」

「……なん、だと?」

「そう……、これは【龍神であって龍神ではない、仙道を進んだ半龍神のみ】の、特別製【偽如意宝珠】――じゃ」


 その瞬間、泠煌が手にする【偽龍玉】が眩く輝き出した。そして、泠煌の髪が金色に輝き――、その頭部に龍角が生まれる。


「は――、ではゆくぞ!」

「く――!」


 その瞬間、菩典老は黒剣を起動しようとする。しかし、泠煌の神気の輝きが菩典老の意識を止める。

 その時――、泠煌は天空に響く声で詩を読み始めた。


「高天原に神留座す。神魯伎神魯美の詔以て――」


 その詩は天空より大地へ向かって響き渡る。


「皇御祖神伊邪那岐大神――、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に――」


 その光景を菩典老は何故か黙って見ていることしか出来ない。


「御禊祓へ給ひし時に生座る祓戸の大神達――」

「やめろ……」


 菩典老は呻きながら頭を抱える。


「諸々の枉事罪穢れを――」

「やめ……」

「拂ひ賜へ――」

「やめろ……」

「清め賜へ――」

「……ああああ!!!」


 菩典老は絶叫する。心の奥から恐怖が湧き上がってくる。


「――と申す事の由を、天津神国津神――、八百萬の神達共に聞食せと恐み恐み申す――」


 その瞬間、秘術は完成した。


「金龍扇よ――、神雷を纏いて穢れを祓え!! 秘術――!!」


 ――龍神雷鳴・穢断けがれだち――。

 

 ドン!


 秘術は炸裂し、菩典老は地面へと真っ逆さまに落下した。


「くお……」


 菩典老はそれでも、なんとか空中で体勢を立て直す。そして、自分の身を顧みた。


「傷がない? ――どういう……」

「……無論、傷などないさ――。これは傷を与える、殺傷術ではない――」


 菩典老の側に泠煌が降りてくる。その彼女の言葉に困惑を深める菩典老。


「ならば一体――、うぐ?!」

「……そろそろ来たか?」


 菩典老のその身が痩せ細ってゆく。その時になって菩典老は自分自身の異変の正体を理解した。


「……て、天命数が――」

「……そうじゃ――。貴様の稼いだ天命数のうち――、外道をもって稼いだものをすべて消した――。貴様の今までの努力は――、まさしく元の木阿弥じゃよ」


 その言葉に菩典老は絶句する。その間にもあまりに強大すぎる宝貝の維持で、。それは、まさしく死へと向かっているということであり、菩典老は慌てて展開している宝貝を停止させた。しかし、飛行するための宝貝ですらその時の菩典老では維持できない。そのまま、ミイラのような姿へと変じてゆき――、そのまま意識を喪失――、谷底へと落下していった。


「……哀れじゃな。せっかく多くの悪行で稼いでも――、こうして無に帰る」


 もはやただのミイラとなって、魂魄すら解れゆく愚かな菩典老の、その地獄への落下を見つめながら泠煌は小さくため息を付いた。

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