第四章 四季の息吹、襖を染めて
蔵前屋からの依頼は、四枚続きの襖に「四季草花図」を描くというものだった。伝統的な画題ではあるが、新太はこれまでの日本の絵画にはない、全く新しい表現でそれに挑むことを決意した。
(春の芽出しの息吹、夏の生命の横溢、秋の寂寥と豊穣、そして冬の静謐と厳しさ…。それらを、俺の“青”と、前世で見た光の表現で、描き出してみたい)
工房に籠もり、新太の苦闘が始まった。まず、下絵の制作。単に草花を配置するだけでなく、そこに奥行きと空間の広がりを感じさせる構図を練った。西洋画の遠近法と、日本画の余白の美。その二つを、どうすれば自然に融合させられるか。
次に、顔料の準備。特に「新太ブルー」は、その時の気温や湿度、原料の僅かな違いで色合いが微妙に変化するため、安定した品質を保つのが難しかった。何度も失敗を繰り返し、ようやく納得のいく青を作り出す。それ以外の色も、天然の岩絵具や草木染料を使いつつ、時には前世の知識を応用して、より鮮やかで深みのある色合いを追求した。
制作は困難を極めた。時には、数日間筆が進まないこともあった。保守的な絵師たちからの妨害も、陰に陽に続いた。ある時は、苦心して作った「新太ブルー」の顔料が盗まれそうになったり、またある時は、蔵前屋に対して「あんな若造に任せて大丈夫なのか」という中傷が吹き込まれたりもした。
その度に、新太は奥歯を噛み締め、筆を握りしめた。父・弥七の「自分の信じる道を、行け」という言葉を胸に刻み、そして、徳兵衛の変わらぬ信頼に応えるために。
襖絵の制作は、数ヶ月に及んだ。新太は、寝食も忘れるほどそれに没頭した。彼の工房の障子には、夜遅くまで灯りがともり、時折、中から低いうなり声や、あるいは歓喜ともとれる奇声が漏れ聞こえてくることもあった。
そして、ついに、その日が来た。襖絵の完成。
新太は、自ら蔵前屋の別邸に赴き、襖をはめ込んだ。静まり返った広間に、四枚の襖が立てられる。そこに描かれていたのは、まさに圧巻の「四季草花図」だった。
春の霞の中に芽吹く若草の瑞々しさ。夏の陽光を浴びて咲き誇る朝顔や撫子の生命力。秋の月光に照らされて揺れる薄すすきの穂と、紅葉の燃えるような赤。そして、冬の雪に耐え、凛として咲く寒椿の気高さ。
それら全てが、これまでの日本の絵画には見られなかった、圧倒的な写実性と、鮮烈な色彩で描かれていた。特に、背景に使われた「新太ブルー」は、空の無限の広がりや、水の深淵さを感じさせ、絵全体に不思議な奥行きと詩情を与えていた。光と影の表現は、まるで草花が本当にそこで呼吸しているかのような錯覚すら覚えさせる。
「こ…これは…」
最初に声を上げたのは、蔵前屋の主人だった。彼は、完成した襖絵の前に佇み、言葉を失っていた。その目には、驚嘆と、そして深い感動の色が浮かんでいた。
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